ネイチャーゲームの個々のアクティビティー(活動)は、その活動をするために適切な心理状態になる必要が有ります。そのためのひとつの方法は、ふさわしい詩を、シェアすることです。
ここには、ふさわしい言葉や詩やお話を集めてみたいと思います。
昔、人々は文字どおり大地を愛するためにやって来た。 母なる大地の力を近くに感じようと、 土の上に座りこみ、身を横たえる。 大地に触れることは肌にいい。 だから昔、人々はモカシンを好んで脱ぎ捨て、 裸足で聖なる大地の上を歩いた。 ティーピーを大地の上に建て、土で祭壇をしつらえた。 空を飛ぶ鳥は、羽を休めようと大地に降りてくる。 そこはすべての生きものが最後にたどりつく場所。 そこで魂は安らぎ、勇気づけられ、清められて、癒される。 だからこそ年老いたインディアンは、 命の源から離れて動きまわることはせず、いまだに土の上に座る。 土の上に座り、横たわることで、 より深く考え、より鋭く感じることができるから。 生の不思議がよりくっきりと見え、 生きとし生けるものを、より身近に感じることができるから。 「風のささやきを聴け」より引用 モ・ノ・ラー(母なる大地)の感触がモカシンをとおしてぼくの足裏から伝わってきた。 槌の凹凸やなめらかな感触、血管のように大地の体内を走り回る木の根、さらに深いところを流れる細い水脈の生命さえも。大地は暖かく弾力があり、ぼくはその厚い胸の上をピョンピョン跳ねているのだった。 『リトル・トリー』より引用(p22) ぼくは道端に腰をおろし、靴と靴下を脱ぎ捨てた。「こんなのはいていたら、山道を歩いている感じがしないよ、おじいちゃん」素足の裏に土のかすかなぬくもりが伝わり、すねから膝へ、膝からももへと、ゆっくり這い登ってくる。祖父は声をたてて笑い、自分も腰をおろすと靴を脱いだ。靴下も脱いで靴につめこみ、立ち上がって思いっきり遠くへそれを放り投げた。 『リトル・トリー』より引用(p314) |
「子供の訓練は、『じっと座っていなさい、そしてそれを楽しんでごらん』という教えから、はじめられるものである。 子供たちは、嗅覚を敏感にして、なにも見るものがないところになにかを見たり、まったくの静寂のなかに、じっとなにかを聞き取ったりするように、と教えられた。じっと座っていることのできない子供は、ちゃんと成長していない子供だ」 ルーサー・スタンディング・ベア(テトン・スー・インディアンの首長) |
アメリカンインディアンにとって勇気とは?
なんといっても馬泥棒でした。馬はとても貴重な財産ですから、どの部族も自分達の馬が盗まれない様に用心していました。特に野牛狩りに使う駿馬は大切に保護し、夜はティピーの近くに繋ぎ、中には手綱の先を手首に縛って寝る者もいました。番犬が徘徊する敵の集落に忍び込み虎の子の良馬をそっと盗むことは至難の業で、もちろん見つかれば命はありません。そういう状況の中で馬泥棒を成し遂げるのは優れた運能力と素早い機転、そして何より大胆不敵な勇敢さを必要としたわけです。 ※ちなみに「クーを数える」とは? 昔の西部劇のイメージと違い、アメリカインディアン(ネイティブアメリカン)は、争いは好みませんでした。戦争は白人の侵略以降のことだという説もあります。 しかし、それ以前に部族間の戦いが無かったわけでは有りません。このために命を落とす者もあるが、敵を殺すことそのものが戦いに行く動機ではなく、部族が全滅したというような全面戦争はほとんど 知られていなかったし、むしろ嫌われていて、虐殺のようなことはほとんど無かったようです。 どの戦いにおいても、主なる目的は---そして、名誉を得る唯一の方法は ---「クーを数える」、つまり勇敢な行いをなし遂げることだったのです。 クーとは、フランス語で打撃の意味です。待ち伏せ場所から銃で人を殺しても、それは容易なことだから、クーにはならない ---それなら臆病者でもできる。だが、怪我もしていない完全武装の敵に 馬乗りになり、素手あるいはクー・ステッキ(鞭の柄など)で相手に触れるのは、大変危険で勇気のいることだったのです。生きた相手だけでなく死体でも「クーを数える」得点になります。敵の戦友が亡骸を守っているので敵の死体に触れる事は生きた敵に触れる以上に危険な行為なので高く評価されました。敵を殺した事より、「クーを数える」事の方が手柄になったようです。 敵のほんの目と鼻の先で馬を盗むこともすばらしい「クー」となったのです。
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草の名
人の知ってる草の名は、 私はちっとも知らないの。 人の知らない草の名を、 私はいくつも知ってるの。 それは私がつけたのよ、 好きな草には好きな名を。 人の知ってる草の名も、 どうせ誰かがつけたのよ。 ほんとの名まえを知ってるのは、 空のお日さまばかりなの。 だからわたしはよんでるの、 私ばかりでよんでるの。 |
人生とはおもしろいものです。 何か一つを手放したら、 それよりずっといいものがやってくるものです。 サンセット・モーム |