アニー・ディラード | ダライ・ラマ | ジョン・ミュア | ゲーリー スナイダー |
マーシャル プルースト | ヤマノミ族のお話 | 長倉洋海 | グランドファーザー |
モリー先生との日曜日 | インディアンの愛 | 小島あずさ | 佐藤初音 |
タイ | 松木正 | 豊田佐々雄 | 帯津良一 |
デニス・バンクス | マルピ通信 | 青柳昌宏 | 重松清 |
松木 | ポーラアンダーウッド | フォレストカーター | オーレン酋長 |
レイチェル・カーソン | くどうなおこ | 星野道夫 |
作者 | 言葉 |
アニー・ディラード 上へ |
野生動物に万歳と叫びたくなるのは、 彼らがともかくも存在しているからであり さらに万々歳なのは、 彼らを見たその瞬間だ。 (アニー・ディラード) |
ダライ・ラマ 上へ |
野生動物は我々にとって自由のシンボルだ 何ものも彼らを制することはできない 彼らは自由に駈けぬけてゆく 彼らの存在なくしてどんなに美しい景観も 何かが欠けているものになってしまう 大地は、野生の生きものたちの息づかいを その懐に抱いて初めて その美しさに命が吹き込まれる (ダライ・ラマ) |
ジョン・ミュア 上へ |
ひとつのものだけを選び出そうとしても それは森羅万象 あらゆるものにつながっているのです (ジョン・ミュア) |
ゲーリー スナイダー 上へ |
自然とは訪れるための場所ではない それは我々にとっての「故郷(ホーム)」なのだ (ゲーリー スナイダー) |
マーシャル プルースト 上へ |
太古から生きもののつくった風をすべて集めている図書館が 地球を取り巻く大気だ。 風がすっぽり体をつつむとき それは古い物語が吹いてきたのだと思えばいい |
真の冒険の旅は 新しい土地を探すことではなく 新しい目で見ることである (マーシャル プルースト) |
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ヤマノミ族のお話 上へ | ・ 市場/ここには、きれいにラップされた商品を売るショッピングセンターよりも、命の鼓動が激しく打っています。 |
・ 死/生まれた時に何もなかったように、死ぬ時も特別なことは起きない。自分の「生」も「死」も大きな川の一部でしかない。自分の「死」でその流れが途切れることはない。 | |
・ 時間/時間は自分の道を歩いていく友達のように考えている。だから時間に追われることはない。 | |
・ 夜の贈りもの/夜ができる前の遠い遠い昔の話。一日中明るくて、みんなはいつ休んでいいかわからず困っていた。疲れてもいた。そこで長老たちが創造主に嘆願することになった。長い旅をして創造主のところに着くと「働く時間と休む時間がわかるようにしてください」と頼みこんだ。創造主はひょうたんに夜を入れて彼らに渡したが、帰る途中にひょうたんを持った人が転び、夜がこぼれ出てしまって、そのとたんまわりは真っ暗闇。仕方なくみんなはそこに野宿した。しばらく寝て起きてみると、外は明るくなっていた。「夜と昼ができた」とみんな安心して帰っていった。(ヤマノミ族のお話) | |
長倉洋海 上へ | ・ 我々の言葉で、『生きる』ことは『呼吸』と同じです。宇宙の全ては呼吸しています。ですから、命を授かった時点から地球のサイクルに入り、宇宙の全てと呼吸を共有しているのです。生命を授かったことに責任を持ち、自らを啓蒙しながら自分の道を歩まねばなりません。それこそが地球を通過している本来の意味なのです。私たちクレナック族の伝説の中では、命が立たれたあと、我々は宇宙全体の命を支えている輝きのあるエネルギーの源とつながると言われています。 |
・ 地球上での遊びや好奇心が満たされた時、我々は安らかな気持ちでこの世を捨てる準備が整ったと思えるようになります。そうなれば、残った屍を灰にしようが、粉にしようが構わなくなります。土に埋めようが、海に流そうが、風に吹かれて風化しようがです。 (鳥のように川のように?森の哲人アユトンとの旅/長倉洋海 1999.4.4) |
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グランドファーザー 上へ | ・ 人間は造物主と創造物の道具なので。人間が自然に手を貸せば、自然だけでは何年もかかることが早くできる。人間は大地のものであり、大地は人間のものなのだ。大地からもらうものだけもらっておかえしをしないというのではない。いま見るように大自然であるこの森は、かつては私におおくのものを与えてくれた。私はそのお替えしに、森が丈夫に育つよう手助けしたのだ。人間は創造物が生きるために、重要な役割を担っている。人の力によって、自然は強く健康に育つことができるからだ。(P111) |
・ 私たちが自然からものを取っても、その魂は死なないということだ。それは私たちの体の一部となり、魂の一部ともなる。死というものは存在しない。少なくとも、正しい方法で命を取ったものならばね。無意味な死が起こるのは、ものがどん欲さのために奪われて土地が破壊されるときだ。おまえは創造の掟に従い、その掟の一部であり、自然とともに生きている。おまえがこの木の一部であて、木もおまえの一部であるのと同じだ。自然は私たちがいなくても存在することができるが、ずっと苦労するだろう。私たちは、自分の利益を超えた大きな目的のためにここにいることを思えておきなさい。私たちはケア・テイカーなのだよ。(p115) | |
・ とりわけ私が興味を引かれたのは、単純さということと、すべてはつながりあっているということだった。(p175) (グランドファーザー 1999.4.5) |
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モリー先生との日曜日 上へ |
・ いいかい。実は小さな波の話で、その波は海の中でぷかぷか上ったり下がったり、楽しい時を過ごしていた。気持ちのいい風、すがすがしい空気-ところがやがて、他の波たちが目の前で次々に岸に砕けるのに気がついた。『わあ、たいへんだ。ぼくもああなるのか』そこへもう一つの波がやってきた。最初の波が暗い顔をしているのを見て、『何がそんなに悲しいんだ?』とたずねる。最初の波は答えた。「わかっちゃいないね。ぼくたち波はみんな砕けちゃうんだぜ!みんななんにもなくなる!ああおそろしい」すると二番目の波がこう言った。『ばか、わかっちゃいないのはおまえだよ。お前は波なんかじゃない。海の一部分なんだよ』 |
・ 南アメリカの熱帯雨林にデサナ族という先住民がいる。彼らの見るところ、世界には決まった量のエネルギーしかなくて、それがすべての生きものの間を流れているという。したがって、何かが生まれれば必ず何かが死に、何かが死ねば必ず何かが生まれることになる。それで世界のエネルギーの総量は保たれるわけだ。デサナ族は、狩をして動物を殺せば、その分。霊の井戸に穴が開くと考えている。その穴は、デサナの狩人が死んだどきに、その霊魂で埋められる。人間が死ななければ、鳥も魚もうまれない。 (モリー先生との日曜日) |
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インディアンの愛 上へ | ・ もし一生をかけてひとつの場所を美しく保ち、一握りの人々でも彼等が潜在能力に気づくように助けるならば、あなたは何百人もの人々に直接影響を与えることができるような。力強いリーダーになったも同じです。 |
・ どこにあなたの力があるのでしょうか。あなたの人生の一瞬一瞬にあなたが選択できることがたくさんあり、何を選ぼうか全く自由であるという事実にあるのです。 | |
・ 教えられていない時ほど、子供はよく学んでいる。子供に多くを指示する必要はありません。創造主は人間を模倣者として創りました。 (インディアンの愛/1999.4.23 ) |
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生命=その人に与えられた有限な時間。 |
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映像や図鑑をみても形はわかるが「いのち」は感じにくい |
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小島あずさ 上へ |
・環境問題は簡単です。始めることと続けること (小島あずさ) |
佐藤初音 上へ |
「揺れ動く時」人は成長するって思うんです。揺れることが悪いことではなく、成長するひとつの過程にあるんだって。芯が通っていれば大丈夫なんです。大揺れでも。樹とおんなじです。 (佐藤初音) |
タイ 上へ |
・ キャンプというのはいろいろな道(考え方、生き方)を示すもの。その種がいつ芽を出すかはわからなくても、いつかいい土、いい水に出会えば、必ず芽を出してくれる。 (タイ 2000.1) |
松木正 上へ |
・ ビジョンの探究は「未来」に思いを馳せることではない。Visionの「夢」は「今、ここ」の自分からやてくる。人があるがままの自分になる時、自分の内からやってくる。生命の木として、大地の上で凛とたつために、人の森で生きていくために Mitakuye Oyashin わたしにつながるすべてものたちよ。 (松木正) |
豊田佐々雄 上へ |
・ 私たちが取り戻そうとしているのは「里山」ではなく、望ましい「人と自然の関係」。あの谷戸で作ろうとしているのは、米ではなく、自然と共生できる人間の歓びなのです。 (豊田佐々雄 2000.4) |
私たちは「インタプリター」として、公園を市民を深いところで結ぶ仕事をします。 (豊田佐々雄 2000.4) |
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帯津良一 上へ |
・ 木の香りが漂うきれいな樽です。中には清冽な水がなみなみとたたえられています。その清冽さが樽にしみ込み、樽を突き抜けて、樽の存在も際立たせていきます。樽が身体で、中の水が生命、その生命が樽を通して外部にあらわれてものが心と考えると、身体性と精神性、霊性がうまくイメージできるのではないでしょうか。 (帯津良一 2000.6.7) |
デニス・バンクス 上へ |
・ 樹木は人間を必要としていない。しかし人間は樹木なしでは生きていけない。だから私は木を植えるのだ (デニス・バンクス 2000.6) |
マルピ通信 上へ |
・ 人には自分から燃える人と、人から火をもらって燃える人、火をつけられても燃えない人がいる。 (マルピ通信 no.130/1999.2) |
青柳昌宏 上へ |
・ 一日は長く、一生は短い (青柳昌宏 1999.4.19) |
重松清 上へ |
・暗闇のなかにぽつんと瞬く明かりは、むしろまばゆさに包まれているときよりも温もりを感じさせてくれるものだ (重松清) |
松木 上へ |
・ 自然は語らない (屋久島自然研究センター/松木 2000.5) |
ポーラアンダーウッド 上へ |
・ 「今度は狼のことを考えに入れることを学ぼうではないか!」「狼の代弁は誰がする?」 (知恵の三つ編み/ポーラアンダーウッド 1999.4.27) |
フォレストカーター 上へ |
・ 朝日は祖父をぼくの顔をまぶしく照らして。「世界はすっかり生きかえったな」そう言いながら、祖父は帽子をとった。祖父とぼくは同じひとつの思いをわけあっていた。またいつか二人で山の頂点にきて、朝がうまれるのを見よう (リトルトリー/フォレストカーター 2000.4.17) |
オーレン酋長 上へ |
おまえが大きな船に乗り、私が小さなカヌーに乗っていても、私たちは同じ生命の川を分かち合わねばならない。 (アメリカインディアンの古老、オーレン酋長) |
レイチェル・カーソン 上へ |
自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです。 (レイチェル・カーソン) |
くどうなおこ 上へ |
いのち わしの しんぞうは たくさんの ことりたちである ふところに だいて とても あたたかいのである だから わしは いつまでも いきていくのである だから わしは いつまでも いきていて よいのである けやきだいさく くどうなおこ 『のはらうたより』) |
星野道夫 上へ 星野道夫 星野道夫 上へ 星野道夫 上へ 星野道夫 星野道夫 上へ 星野道夫 星野道夫 上へ 星野道夫 星野道夫 上へ 星野道夫 |
「一頭のカリブーの死は大きな意味をもたないんだ。それは生まれ変わる爪のように再び大地からうまれてくる……追い詰められたカリブーが、もう逃げられないとわかった時、まるで死を受容するかのようにあきらめてしまうことがあるんだよ。あいつらは自分の生命がひとつの繋ぎに過ぎないことを知っているような気がする」 個の死が、淡々として、大げさではないということ。それは生命の軽さとは違う、きっと、それこそがより大地に根ざした存在の証なのだ。 カリブーの首が離され、角を下にして川岸の土の上に置かれた。心臓が切り取られ、火にあぶられ、私たちはフーフー言いながらほおばっている。ポカポカするからだの暖かさは、ついさっきまで原野を旅していたカリブーの生命の暖かさだ。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P38) |
僕はいつの頃か、歴史の長さを人の一生で考えるようになった。今、自分がここに在るということは、歴史のどの時代にも自分の分身がどこかにいたということだ。親からスタートして自分の分身が一列にずっと並んだなら、例えば二千年前の弥生時代の分身はわずか七、八十人先なのだ。振り返り、少し目をこらせばその男の顔をかすかに読みとることだってできるだろう。僕たち人間の歴史とは、それほどついこの間の出来事なのだ。 不安なことは、人の暮らしが変わってゆこくことではない。その速さである。暗い予兆を内包する、加速度的な速さである。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P52) |
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カリブーであれ、ツンドラの木の実であれ、人はその土地に深く関わるほど、そこに生きる他者の生命を、自分自身の中にとりこみたくなるのだろう。そうすることで、よりその土地に属してゆくような気がするのだろう。その行為を止めた時、人の心はその自然から離れていく。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P56) |
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自分たちが殺したもの、とくにそれがなかなか獲れない巨大なものだったりするときの、対象にたいするじつに神聖な感じ方、あの神聖な感謝の気持ちのもち方というのは、その場にいない人にはほとんど想像できないのではないかと思います。 相手をころすことによって、かえって共に生きている、という共生の感覚がしっかり根を下ろす。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P56) |
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食べることは、殺すこと。 きっと、自然とはそれ自身何の意味さえもたないものなのかもしれない。そして、そこに、何か意味を見い出そうとするのが私たち人間なのだろうか。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P62) |
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「おまえが撃ちなさい」。ムースは目の前にいた。「キャサリンがアルヴィンに言った。朝陽を浴びた身体が輝いていた。つぶらな瞳が、不思議そうにことらを見つめていた。自然から狩人への贈り物……引き金が引かれ、その瞬間ムースは崩れ落ち、自然の中へ帰っていった。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P15) |
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ケワタガモの群れが南から渡って来ると、人々は舌なめずりをしながらその鳴き声を追った。ぼくは頭上を飛び過ぎていく編隊に見とれ、彼等はスープを思い描きながら銃をかまえていた……それは自分が知らなかった人間と自然のか関わりだった。自然は見て楽しむのではなく、喜々として生命を奪う相手であった。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P) |
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野生動物とは、人間にとって決して相入れることない彼岸の生き物であり、そこにはもっと緊張感のある関係があるはずだ。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P15) |
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誰かの歌声が聞こえてきた。古いエスキモーの歌だった。見ると、誰もいない氷の見晴らし台のうえで、老婆が海に向かって踊っている。ゆっくりとした動きで、何かに語りかけているようだった。それは古くから伝わるクジラに感謝する踊りに違いなかった。近づくとマイラは泣いていた。ぼくの存在などありはしないかのように踊り続けている。他者の生命を奪うことでしかわかり得ない、生命への想い、そして感謝。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P34) |
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私たちが生きてゆくということは、誰を犠牲にして自分自身が生きのびるのかという、終わりのない日々の選択である。生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。近代社会の中で見えにくいその約束を最もストレートに受けとめなければならないのが狩猟民族である。約束とは、言いかえれば血の匂いであり、悲しみという言葉に置きかえてもよい。そして、その悲しみの中から生まれたものが古代からの神話なのだろう。動物たちに対する償いと儀式を通し、その霊をなぐさめ、いつかまた戻ってきて、再び犠牲になってくれることを祈るのだ。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P35) |
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人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、より深く大地と連なることができる。そして、その行為をやめたとき、人の心はその自然から本質的には離れてゆくのかもしれない。 星野道夫(Switch 1994.7月号 P35) |
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人が旅をして新しい土地の風景を自分のものにするためには、誰かが介在する必要があるのではないか。どれだけ多くの国に出かけても、地球を何周しようと、それだけでは私たちは地球の広さを感じることはできない。いやそれどころか、さまざまな土地を訪れ、早く動けば動くほど、かつて無限の広がりを持っていた世界が、有限なものになってゆく。誰かと出合い、その人間を好きになった時、風景は初めて広がりと深さを持つのかもしれない。 星野道夫(アフリカ旅日記P12) |
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風景とは言いかえれば、人の思い出の歴史のような気もする。風景を眺めているようで、多くの場合、私たちは自分自身をも含めた誰かを思い出しているのではないか。誰だって他の人の人生を分かち合うことなんてできはしないように、それぞれの人間にとって、同じ風景がどれほど違って映るものなのだろうか。 星野道夫(アフリカ旅日記P40) |
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あの母からつたわる力が 君のなかに深く 根をおろしたら 君の命は 限りなくつづく道に つながるのだよ 老子 老子道徳経第52章「道は萬物の母親」 ※老子は道(タオ)が萬物産み出す元、道は萬物の母なのだといっています。 |
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人は目耳鼻口という穴が開いているが この七つの穴をいつも開けて、 外の刺激を追っていたら、 心も体もやがては 消耗しちまう。 時には その穴のうちのどれかを閉めて、 母親の所へ戻るがいい。そうすれば 身も心も長持ちするんだよ。 加藤祥造 |
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虚(うつろ)とは 受け容れる 能力のことだ 目に見えぬ 大いなる流れを 受け容れる それには うつろで 静かな 谷のような 心が要る 老子 老子道徳経第16章 「静かさに帰る」 |
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虚(うつろ)とは受け容れる能力を言うんだ。 目に見えない大いなる流れを 受け容れるには 虚で、 静かな心でいることだ |
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静かで空虚な心には、 今まで映らなかったイメージが見えてくる。 萬物は 生まれ、育ち、活動するが、 すべては元の根に戻ってゆく。 それは、静けさにもどることだ。 水の行く先は.−−海 草木の行く先は−−大地 いずれも静かなところだ。 すべてのものは大いなる流れに従って 定めのところに帰る。 (そして、おお、再び甦るのを待つ。) 加藤祥造 |
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Awaken to the wonder that woits for you within. This is the welling place of the Tao. あなたの中で、待っている驚きに 気づきなさい その驚きの中に「タオ」がすんでいるのだ 加藤祥造 |
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Be who you are. Do what you love. Have what you need. 自分の在るがままでいる 自分のほんとうにしたいことをする 自分の要るものだけを持つ! 加藤祥造 |
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木々は自分の自由を持っている インド クリシュナムルティ ※それはセカセカ走り回る人間には持てない自由だ。 |
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木々には 木々だけの秘めている知恵がある アレコレ頭だけ使う人間には持てない知恵だ 木々は木々の愛を持っている セコセコ押しのけあう人間が忘れちまった深い愛だ 加藤祥造 |
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谷の夕暮れ 大きなものがゆっくりし 静まるとき そこには 大自然の優しさがある 加藤祥造 |
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もしあなたの心が 疲れているなら ここに来ないか ここにはこんな辛夷(こぶし)が 人知れず立っている ここでは この辛夷とあなたは ふたりっきりだ 春の前の 山に雪がかがやく日に 加藤祥造 |
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谷ふかくに 咲くもの 人の眼を 求めない美とは いったい 何なのだろう 加藤祥造 |
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花は人のために咲くのではない 人のために薫るのではない 虫たちのために咲く 虫たちのために香を放つ 人は美しいと言い いい匂いだと言う それは花にとっては 余計な差し出口なんだ 花々の喜びとはタオに 大自然に従って虫のために咲くことなんだ。 加藤祥造 |
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美しいと汚いは別々にあるもんじゃない 善悪だってそうさ 悪のあるおかげで 善があるってわけさ ものが在るのも 無いがあるから在りうる お互いに片一方だけじゃ在りえない このタオの 本当のリアリティを受け入れるとき ひとは何かを造りあげても威張らない 老子 老子道徳経第2章 |
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Poetory is looking at life with wonder. 詩とは驚きを持って人生をみつめることだ 加藤祥造 |
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あらゆる花に宿るもの あらゆる水に宿るもの あらゆる風に宿るもの それがわたしたち ひとりひとりの中にあるんだ そしてそれは 誰ひとり あなたから奪い取れぬものなのだ 加藤祥造 |
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加藤祥造 加藤祥造 加藤祥造 加藤祥造 加藤祥造 加藤祥造 |
静けさに帰る 萬物は 生まれ、育ち、活動するが すべては元の根に帰って行く。 それは、静けさにもどることだ。 水の行く先は−海 草木の行く先は−大地 いずれも静かなところだ すべてのものは大いなる流れに従って 定めのところに帰る 老子(第16章) その人の心は 大きな谷のようだ その水の 行く先は 海 草木の 行く先は 大地 いずれも静かなところだ 加藤祥造 |
強くこわばったものは 下にいて 根の役をすべきものだ。 しなやかで柔らかで 弱くて繊細なものこそ 上の位置にいて 花を咲かせるべきなのだ 老子(第76章) |
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わが山河に 帰ろう ここでは 自分のなかの声を 聞くだろう そして 安らぎは ゆっくり くるだろう 加藤祥造 |
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求めない そして 受け入れる −−− これが 心に据わったら スバラシイ 自由が生まれるんだがなあ 加藤祥造 |
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受け容れる−−− それは心の柔らかさからくる 受け容れ手盛ると、自分の柔らかさを自覚する−−−− 自分という器が柔らかく広がるのを知るよ 受け容れる−−− それは 許すことだよ 降参することじゃない 加藤祥造 |
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美しいものも そうでないものも みんな 実をむすぶ みんな それぞれの味に 加藤祥造 |
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受け容れる この秘訣を学ぶには 自然natureを見ることだ その在り方と生き方を 知ることだ−−そして自然が 自分のなかにも働いていると知ると いま生きる自分を 受け容れやすくなるよ 加藤祥造 |
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