おもしろクイズの解答と解説について 内容については私なりに様々な書籍やネット上の資料を調べて書いています。しかし、本にしろネット上の資料にしろ必ずしも科学的に正しいとは限りません。また、書かれた時点では通説とされていても、その後より妥当性のある説が発表されいている可能性があります。 私が調べた時点でも、異なる説が見つかる場合が多いです。その場合、私の判断で確からしい内容を正解として書かせてもらっています。私自身は専門家ではないので、所詮素人判断といえます。 このクイズを参考して色々と判断されることはかまいませんが、それぞれの判断と責任でご利用ください。 |
北限のサル 世界的に見て、ニホンザルは、最も寒さに適応したサルなのです。その北限が、下北半島にいるニホンザルで、「北限のサル」と呼ばれています。北緯41度30分、下北半島(脇野沢村)には人を除くサル類では地球上で最も北に棲むサルということになります。 下北半島のマサカリの刃にあたる西側に沿ってサルは生息しています。その昔、地球が寒冷化してきたときに、南にゆきたいけれど、海があって南下できないで、この地域にサルの分布が残っているということのようです。 下北半島は厳冬期でも−10度以下になることはまれで、北限のサルの特徴は、南方のサルより体重が大きく、体毛が密で長いので、冬の寒さに耐えられると考えられています。 北限のサルについては 下北半島のサル調査会のHPに詳しいです。 http://www.northern-monkey.org/ ニホンザルの分布 「第2回自然環境保全基礎調査(環境庁)」の中で、ニホンザルの分布と雪積、植生状況の関係は次のようにまとめられている 1 多雪地域(150cm積雪深日数50日以上の地域)はニホンザルの分布に直接の制限を与えない。しかし、多雪地域で亜寒帯林がある場合は、ニホンザルの分布は制限される(例外、朝日岳東斜面、岩菅山周辺)。 2 亜寒帯林は明らかにニホンザルの分布の制限要因の一つであって、深い積雪がみられない地域でもニホンザルの分布を制限する(例:北上山地、富士山、八ケ岳、御嶽山)。 3 深い積雪のない地域では、亜寒帯林でもニホンザルの分布が見られる(例:赤石山脈、木曽山脈、金峰山)。これは深い積雪がニホンザルの分布をある程度制限する働きをもっということを示すとともに、これらの地域の他の環境要因(たとえば、亜寒帯林といっても北陸、東北地方のものに比べると、その種組成が異なるといった植生上の、あるいは気温の高さなどの気候上の要因)の多雪地域との相違を示すものとも考えられる。 4 森林率に示される人為的影響は、ニホンザルの分布を制限する最大の要因である。ニホンザルは森林率の低い区画(森林3)でも見られるが、それらの地域での生息率はきわめて低く、このような環境は、ニホンザルの分布を確実に制限している 分類学でのサル サルは、分類学上は動物界>脊椎動物門>哺乳綱>サル目(霊長類)となります。 その中を大きく分けると、キツネザル亜目(原猿類)とサル亜目(真猿類)に分かれます。 原猿類は、リスやネズミとそっくりなサルらしくない仲間でロリスやキツネザルやアイアイなどがいます。 真猿類は、さらにアフリカ大陸を中心に住む狭鼻猿、メキシコや南アメリカに住む広鼻猿に分かれます。 広鼻下目は中南米にすむサルで、鼻の穴の間隔が広く、穴は外側に向いている。新世界ザルとも呼ばれる。クモザル、マーモセットなどが広鼻下目に属する。 狭鼻下目はアジア、アフリカにすむサルで、鼻の穴の間隔が狭く、穴は下方またはやや前方を向いている。旧世界ザルとも呼ばれる。マントヒヒ、ニホンザル、マンドリルなどが狭鼻下目に属する。 さらに狭鼻下目の中にヒト上科も含まれます。この中に、テナガザル科とオランウータン科とヒト科があります。学説によって幾分違いがあるのですが、ヒト科の中にチンパンジーやゴリラが含まれます。もちろんヒトも含まれます。 いわゆる類人猿(るいじんえん)は、大型の人に似た形態の猿を総称する通称名です。ヒトの類縁であり、高度な知能を有し、社会的生活を営んでいる。 類人猿は生物学的な分類名称ではないが、便利なので霊長類学などで使われている。一般的には、人類以外のヒト上科に属する種の総称をさします。(伝統的な分類では、オランウータン科と同義であった。科にはオランウータン属・ゴリラ属・チンパンジー属を含む。) しかし、DNAの進化分析を考慮した新しい分類では、オランウータン科はオランウータンのみとなり、ゴリラ属・チンパンジー属はヒト科に分類されるということです。 サルの文化行動 文化行動 幸島のニホンザルを一躍有名にしたのは、土のついたイモを洗って食べるという新しい行動が生まれ、さらにその行動が群れの中に広がっていったことでした。この行動が発見されるまで、動物は本能に従って行動するのだと言われており、人間の文化と何じようなことがおこるなど、考えられていなかったのです。 その後、イモを洗って食べる行動は、海水で塩味をつけて食べるという行動に変化しました。さらに、砂の上にまかれたムギを砂ごとすくいとって運び、水に接げ込んで砂とムギを分離してから、ムギだけをひろって食べる行動も見られるようになりました。ほかにも、水を恐がらなくなったり、イモを持ち歩くのに2本足で立ったり、新しい行動が見られるようになりました。 こうした文化行動は、その後群れのサルにひろまり長く続いていくように思われました。けれども、この40年の間にはサルをめぐる状況も大きく変化しています。特に昭和47年以降は、餌の量が大幅に減らされています。まず、ムギを遠くまで運んで水に投げ込んでから食べるようなサルは、すっかり少なくなりました。この方法には致命的な欠陥があって、一旦投げ込んでしまうと、強いサルにすぐ取られてしまうのです。逆に強いサルの中には、水辺で他の弱いサルがムギを進んでくるのを待っている、強奪専門のサルも出てきました。そもそも一度に握って運べるムギの数も限られています丁.だから、餌が少なくなると、この行動は割に合わなくなったのです。 そのぶんムギを洗う行動はずっと機会まかせになったのかもしれません。近くに水があれば、そこに手でムギを砂ごと払い込んでから食べますし、わざわざ砂浜を掘ってプールを作るサルも出てきました。このように、状況に応じていろいろに内容を変えられる、それも文化行動と呼ばれるゆえんなのです。イモは現在では、年に数回ぐらいしか与えません。でもイモ洗い行動はずっと続いていますから、よほどサルにとって魅力のある行動なのでしょう。それとも、幸島のサルは「より旨いものを食べたがる」グルメサルなのでしょうか。イモをゴシゴシこすって洗う行動は少なくなりましたが、きれいに洗ったイモしか売っていない昨今、それは仕方のないことなのでしょう。 この頃では魚を食うサルが増えてきて困っています。 それは、時々フグを食べているサルを見かけたりするからです。まだ食中毒を起こしたサルはいませんが、大変気になるところです。いずれにせよ、サルの食べ物ひとつとってみても、決して本能だけできまっているのではないということが分かります。 ※ 「京都大学霊長類研究所 付属ニホンザル野外観察施設幸島観察所発行の冊子『幸島』」より一部を抜粋したものです。 元の文章です 別の資料です 参考資料 幸島のニホンザル 渡辺 邦夫・冠地 富士男・山口 直嗣 (京都大学霊長類研究所幸島観察所) http://miyazaki.4zen.jp/012/04/ |
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みやざきの自然 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/category/5089103-1.html ※「みやざきの自然」は、宮崎市在住の坂元守雄さんが、1989年に創刊した 自然誌のタイトルです。現在は廃刊されましたが、Web上に残されています。 その中でも幸島に関わる内容です。 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/ Vol.01 00-03 こうしま 幸島 HAPPY ISLAND1992 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/article/105166021.html Vol.01 04-05 弁天様と幸島の由来−サルの伝説− http://miyazaki-4zen.seesaa.net/article/105166069.html Vol.01 06-09 ニホンザルの社会 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/article/105166091.html Vol.01 10-13 サル社会の愛情 三戸サツエ http://miyazaki-4zen.seesaa.net/article/105166111.html Vol.01 14-16 幸島にあそぶ /有明小学校 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/article/105166130.html Vol.01 17-17 幸島のトビ 鈴木素直 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/article/105166149.html Vol.01 18-20 幸島とそのサルたちの価値 サル学研究発祥の地 岩本俊孝 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/article/105166163.html Vol.01 22-23 サル社会に学ぶ 自然の中で 三戸サツエ http://miyazaki-4zen.seesaa.net/article/105166183.html |
幸島を訪れた人とその研究 渡邊 邦夫(京都大学霊長類研究所) 第14号 1997-06 順位と血縁、「リーダー」あるいは「ボス」 2005.11.23 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/category/5089105-1.html 第15号 1998-02 「ニホンザルの社会構造」をめぐって 2006.01.16 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/category/5089105-1.html 第16号 1998-11 三戸サツエさんと河合雅雄先生 2006.02.19 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/category/5089105-1.html 第17号 1999-09 最近の研究者たち 2006.03.19 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/category/5089105-1.html 第18号 2000-10 華やかなりし頃 2006.05.29 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/category/5089105-1.html 第19号 2001-09 折々のこと 2006.07.29 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/category/5089105-1.html 第20号 2002-08 「幸島」の果たした役割と今後への展望 2006.10.09 http://miyazaki-4zen.seesaa.net/category/5089105-1.html |