サウンド・オブ・サイレンス考


 この曲は不思議な曲です。比喩に満ちあふれ黙示録的な表現が続きます。その中心に「 The Sound Of Silence(静寂の音)」という何とも不可思議な言葉があります。その不思議さ故に、人々はこの曲に引き寄せられてゆきます。そしてこの曲が黙示録的に示すものを分かろうとします。そうです、隠された深いメッセージを理解しよう、分かろう、共有しようとしてきたのです。
 ただ、作り手が仕掛けるこの手のもくろみは、単にわかりにくさを生み出したり「小細工」として時間の中で淘汰されてしまうことが多いものですが・・・この曲は1964年に作られて以来およそ半世紀の時をへて尚、謎を深め心の奥底に迫ってきます。共に歌うアート・ガーファンクルは、この曲は謎で終わっているといいます。作者のポール・サイモン自身にすらこの詞の持つ全ての意味は、謎なのかも知れません。

この曲を解釈してきた先人の解釈を頼りに、私なりの解釈をできたらなと思います。

1.
Hello darkness, my old friend
やあ 暗闇君 僕の古い友よ 
I've come to talk with you again
また きみと話に来たよ
Because a vision softly creeping
なぜってあるビジョン(幻影)ががそっと忍び込んで
Left its seeds while I was sleeping
寝ている間に種子を置いて行ったものだから
And the vision that was planted in my brain
そして、僕の脳に植えこまれた幻影は
Still remains
今なお息づいている
Within the sound of silence
静寂の音のなかで

 まず「僕」は、暗闇(darkness)に古くからの友だちとして話しかけます。暗闇は普通の人にとっては魑魅魍魎があふれていて、おどろおどろしく恐怖の場所です。人は避けこそすれ近づきましてや友になろうとなどしないものです。出だしから謎めいています。
 現代の生活では夜になっても人工の光に包まれていて、「暗闇」を実体験している人は少ないと思います。私は、ネイチャーゲームで、参加者を人工の光など無い夜の森に案内し、無灯火で一人になってもらう活動をよくします。すると参加者のかなりの人は、闇を恐れ恐怖と闘ってしまう人が多いものです。
 でも、「僕(この曲を作ったポール自身でしょう)」は、暗闇を友として語ることをしているのです。 そしてこの感性は、私には違和感なく受け入れることのできるものです。ネイチャーゲームの活動の一つである〈夜は友だち〉では、暗い森の中に一人座って、森と話をします。それは,私にとって至福の時でもあります。参加者に恐怖を克服するのでは無く、夜の豊かさを楽しんでもらえるようにと心がけています。この活動は、シンプルでかつ奥深く、多くの参加者にネイチャーゲームの持つ奥深さを感じてもらえることができるのです。

さて、僕が眠っている間に忍び込んだ「the vision」とは何でしょう? 夢幻のたぐいでしょうか、視覚的な何かでしょうか、ビジョン(展望)でしょうか?一応、先例に従い幻影と訳しましたが・・・なんだか入り交じっていて両義的であるような気がします。取るに足らない幻、非現実的でとらわれてはならない幻影、であると同時に神秘的で本質的なことを指し示すビジョンを意味するのではないかと思うのです。
 
 そして、そのthe visionは、「the sound of silence」の中で息づいているというのです。音の無い状態こそが静寂なのに、その音とは・・・。これを、沈黙の音と判断して、音として発してはいるけれども意味としては無い(=沈黙)であるとの解釈が一般的になっているようです。確かにこのように解釈すると、3番・4番の歌詞がよく分かります。ただ一方で・・・全く逆の事も考えます。静寂の中にこそ「the sound(音)」がある、真実を伝える音があるとも言えると思うのです。ネイチャーゲームに〈サイレントウォーク〉という活動があります。これは、自然との一体感を分かちあうというネイチャーゲームの最終段階の活動の一つです。喋らず音を立てず心静かにフィールドにいると、素晴らしい気づきに満ちあふれる至福の時が訪れます。ですから、静寂にはとても前向きな印象があるのです。メディテーションでも、物理的な静寂や心の静寂はとても大切です。

2.
In restless dreams I walked alone
不安な夢の中で僕は1人で歩いていた
Narrow streets of cobblestone
石畳の狭い通りを
'Neath the halo of a street lamp
街灯の灯りの下で
I turn my collar to the cold and damp
僕は湿気を帯びた冷気に襟を立てる

When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
ネオン灯の閃光が 僕の目に鋭く突き刺さった時
That split the night
夜の闇を引き裂き
And touched the sound of silence
そして、静寂の音に触れた

僕は、夢の中で夜の狭い石畳の道を行き、その下だけを照らしている街灯の灯りの中に立ち、湿った冷気を感じて襟を立てます。 そこへネオン灯の閃光が僕の目に鋭く突き刺さります。ネオン灯はネオンサインを意味するとも思うのですが、・・・・ネオンサインはカラフルではあっても目を突き刺すような強さは無いと思うのですが、夜の闇を引き裂きます。ネオンサインは人工の灯り・宣伝の灯りの象徴と言うことでしょうか?
そして、静寂の音に触れるといいます。音に触れるとはどういうことでしょうか。一般的な解釈「沈黙の音」だとすると・・・ネオンサインの音は目立つ灯りであっても、声として音にならないし、宣伝文句の空虚さをも意味するのでしょうか。暗闇は「無関心」と「無感動」あらわし、真実と啓蒙を象徴する「光」が、ネオン灯となるとき極めて痛く破壊的になることを意味しているのだとか。

3.
And in the naked light I saw
むきだしの光の中に見えたのは
Ten thousand people maybe more
一万人かそれ以上の人たち
People talking without speaking
語りかけることなく ただ話している人たち
People hearing without listening
耳を傾けることなく ただ聞いている人たち
People writing songs that voices never shared
決して歌われることのない歌を書いている人たち
No one dared
誰もあえて
Disturb the sound of silence
静寂の音を破ろうとしない。

むき出しの光は、裸電球をイメージします。すると闇の中のわずかな光です。そのわずかな光の中に、1万人以上数え切れない人たちがいるのです・・・これは何を象徴しているのでしょう?
 歌詞はその膨大な人々が、ちゃんとコミュニケーションをとっていない事を指摘しているように思います。このことから、 the sound of silenceとは、音はあっても意味のない雑音を聞いているだけ、であればその声は沈黙しているのと同じ事をあらわし、「沈黙の音」という解釈がふさわしくなります。それを打ち破ろうとしないとは、膨大な意味のない(あるいは心の声を聞かない)空虚なコミュニケーションを止めようとしない。ということでしょうか。
 ただ、3番の冒頭の歌詞では思い出深いシーンがあります。1981年9月19日に、ニューヨークのセントラル・パークでのサイモン&ガーファンクル再結コンサート(観客動員53万人という驚くべき人数でした)でのことです。(テレビでその一部始終を放映しました)夕闇の中で照明はあるものの客席は薄暗かった。その中で、二人の歌がサウンド・オブ・サイレンスこの場面まで来ると、会場がどよめきました。暗闇の中の1万人以上の数え切れない程の人、まさにこの状況という受けとめだったと思います。裸電球の下にある膨大な数の人々が、心の無いコミュニケーションをしている人たちだとしたら、あの会場の人たちは、自分たちがそうだと思ったのでしょうか?

4.
"Fools," said I, "you do not know
「バカ!」と僕は言った「君たちは分かっていない
Silence like a cancer grows
静寂はガンのように広がってゆくのだ
Hear my words that I might teach you
あなたたちに教えるから僕の言葉を聞け
Take my arms that I might reach you"
あなたたちに差し伸べる僕の腕をとれ。」
But my words like silent raindrops fell
だけど、僕の声は音もなく降る雨粒のように落ちて行き
And echoed in the wells of silence
静寂の井戸の中にこだまする

この歌詞も、「沈黙の音」と解釈すれば、比較的無理なく理解できます。心のこもらないコミュニケーションにならない沈黙を続けてゆくならば、「生命」とりになってしまうという警告であり、その警告そのものも沈黙の井戸の中では、誰も耳を傾けずむなしく響くだけという事になります。

5.
And the people bowed and prayed
そして、人びとはぬかずき祈る
To the neon god they made
彼らの作ったネオンの神に向かって
And the sign flashed out its warning
そのサインは、警告をひらめかせた
In the words that it was forming
それが作り出した言葉は
And the sign said "The words of the prophets are written on the subway walls
こう言った「預言者の言葉は地下鉄の壁に書かれている
And tenement halls "
そして 安アパートの廊下にも」
And whispered in the sound of silence
沈黙〈静寂)の音の中でそれはつぶやいた

自分たちで作ったネオンの神(現代社会の偶像ということでしょう)にぬかずき祈るという行為は、キリスト教やユダヤ教やイスラム教といった偶像崇拝を拒否する宗教的風土からするとこれもかなり強い警告になるはずです。
 ところが、ここからが腑に落ちません・・・そのサイン(ネオンサイン)が、警告を発するというのです。ここまでの流れでは、拒絶すべき偶像であり、全てのコミュニケーションから意味を奪い沈黙にしてしまう象徴が、警告を発するというのは矛盾です。ましてや、その預言が「地下鉄の壁や安アパートの廊下に書かれている」と警告するのは、大逆転の驚きです。
 声高に主張する「意味」ではなく、地下鉄の壁や安アパートの廊下に書かれた「落書き」の中に、真理を読み取るというのは・・・このような暗示的(黙示的)文脈の中では、むしろこれこそが伝えるべきメッセージとなるからです。静寂の音がコミュニケションを拒否する状態であるとすると、その中でささやかれる警告も又聞き届けられることがないことになります。

ポール・サイモンは、The Sound of Silence の曲名を、自身がソロでうたうときは、Sound(単数形)にしていて、ガーファンクルと歌う時はSounds(複数形)→Sounds of Silence と分けているそうです。「沈黙の音」として否定的な側面しか無いとすると、このような使い分けをするのは合点がいきません。

そして、この最後の文句、「静寂の音の中でそれはつぶやいた」は、全く同じような表現が旧約聖書(ユダヤ教の聖書)の列王記上に描かれています。モーセと並び賞される預言者エリヤは、主なる神(ヤーウェ)を離れ他の神を信仰するイスラエルの民と政治を正すために活動します。そのため権力者から命を狙われ、逃げ・・・・天使に勇気づけられ、・・・四十日四十夜行って、神の山ホレブに着きます。ホレブはシナイ山といった方がわかりやすいでしょう。奴隷の地エジプトからイスラエルの民を救い出したモーセが主なる神から十戒と掟と法とを授かった聖地です。エリヤもシナイ山に行き、洞穴に入ります。そこで・・・・

主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。 〔列王記上 / 19章 11節12節〕

恐ろしいほどの激しい風や地震や火が起こりますが、それら強烈な現象の中には主はおられなかったというのです。『静かにささやく声が聞こえた』とあります。エリヤは耳を澄ませ、静寂そのものの音を聴くのです。静寂が生み出す声を聴くのです。ここでは静寂の音は主の声なのです。

このように、「 the sound of silence 」は二重の意味を持っていると思えて来ます。音はしているけれども聴かれることなく意味の無い「沈黙の音」と、静寂の中に耳と心を澄ましてに音を聴きとる「静寂の音」の二重の意味です。前者の意味で現代の危機を警告し、後者の意味で危機を脱する道を示しているのではないかと考えています。


アート・ガーファンクルが、「この曲の詞は謎のまま終わっています。聴き手にそれぞれ意味を探っていただくのが一番いいと思います。」と言っていると言います。私が、探った意味はここまでの所です。

 そして、私たちが静寂に耳を澄ますとき実際に聞こえてくる音があります。「シーン」という音です。この音はいつも、ある音ですが無いことにしている音です。文字通り音はあるのに無いことにしている音です。
「シーンの音」については、静寂の音(シーン)に耳を澄ますをご覧下さい。
                        
アート・ガーファンクルが、「この曲の詞は謎のまま終わっています。聴き手にそれぞれ意味を探っていただくのが一番いいと思います。」と言っていると言います。
今の時点で私がたどり着いた意味はここまでの所です。
                       
参考: SIMON&GARFUNKEL のカバーグループThe Side Of A Hill の解釈です
http://www5.ocn.ne.jp/~tyun/soundofsilence.htm
                         
参考:佐藤弘弥さんのThe Sound Of Silence考です  
http://www.st.rim.or.jp/~success/soundofSi_ye.html

Simon And Garfunkel - The sound Of Silence Lyrics
 (歌詞付)

Sound Of Silence - Simon & Garfunkel (live sound)
  ポールのギターだけの演奏です。
  このシンプルさがこの曲にはふさわしい気もします。





2003年(二人が63歳の時のもの)

コンサートで




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