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だれが利己的なのか

 東京地裁で日の丸・君が代強制を巡って、画期的な判決が出た。画期的とはいうものの、日本国憲法の認める内心の自由、国旗国歌法制定時の野中官房長官の「法律ができたからといって強要する立場に立つものではない」との確認などを考えれば、何の不思議もない判決であるのだが。それでも、昨今の情勢を考慮に入れると、やはり画期的であるといえるであろう。
 石原都知事は記者会見で、「裁判官は都立高校の実態を見ているのか現場を見たらいい。」とうそぶいていた。そして、予想通り控訴した。高裁段階で引き続き違憲判決が出たとしても「最高裁があるさ!」と言った思惑であろう。よしんば最高裁で都が敗訴することになっても、その間は係争中と言うことでこれまでの都の主張を繰り返し、既成事実を積み上げてゆこうという魂胆であろう。
 それでも、この判決が出た以上次の機会に処分することは法的に疑義が生じると考える。通常であれば処分の自粛であろうが・・・。石原都知事の体質からすれば、裁判が確定していないことをもって、処分の強行を重ねる物と思われる。どのみち、判決が確定する頃には石原氏は責任をとらなくていい立場になっているとの読みもあるだろ。よしんば、都知事を続けていたとしても、これまでのように得意の開き直りをすることであろう。自分と意見を異にする物が法規法令や判決に反すれば、このときとばかり叩くし、自分の考えが違法・違憲だとされれば、公然と判決や法や憲法を否定してみせるのだろう。
 何故、日の丸君が代を強制しなければならないのであろうか、強要の違憲性に気づいていないのか、違憲だとしたらそのそのような憲法が「間違っている」と思っているのであろうから、いわば確信犯だといえる。石原都知事や同様の考えを持つ人たちは何故確信犯になることができるのだろうか。
 「日本の現状に問題ありと考えている人は?」と問えば、そのこと自体はこの反戦情報の読者を含めて多くの人々が、そうだと答えるであろう。実のところこの問にはさほど意味はないのかも知れない、不満足のベクトルはきわめて多様であるのだから。
 問題の原因に、国民の「利己主義・わがまま」であるとの考えが存在する。少なくとも石原都知事などは、「裁判官が都立高校の現状を見れば・・」云々という発言からして、本心からどうかはともかくもそのように主張しているように思える。そして、自分たちの国のシンボルである旗や歌に敬意を表そうとしない「輩(やから)」が増えてきたからと信じている(あるいは信じ込ませようとしている)ようである。そもそも、旗や歌に敬意を表している人が「利他的」であったり「協調性」に富んでいたりするという事そのものが、単なる思いこみにしかすぎない。(反する具体例は枚挙にいとまない)
 では、旗や歌に敬意を表さない者(表したくない者)の内面はどうなっているのだろうか。それは、実に多様な可能性がある。その可能性に石原都知事は思いが至らないようである。(もしくは気づかないふり?)
 そもそも、家族・親族・仲間・郷土など自分の身近なものに対する愛着は、ごく自然な感情だと思う。そして、そのような親近さが拡大したところに国家があるとすれば、自国に対する愛着もまた当然と考えられる。しかし、このような愛着は執着にしかすぎないとする考えもある。博愛・兼愛やインターナショナルの観点から、このような執着から自ら及び社会が解放されるべきであるとの考え方も出てくる。この観点から国旗・国歌に必要以上の敬意を表さないとの理念や行動があり得る。このような考えはむしろ、「利己的・わがまま」の対局にある思想である。
 より身近なものを愛するという感性を、良しとする考えもまた多様である。家族や親族や郷土と「国」のどちらを上位に置くかである。儒学の祖である孔子は、家族などより身近なものを国より優先すると説く。お国のための肉親の情まで切り捨てるのを、仁とは考えていない。
 順位はともあれ国を愛する心を持つ人の中にも、その愛し方は多様にある。いかなることがあろうとも自国のことは無条件に善であるという表し方もあるであろうが、愛するが故により良くしたいと、嫌われても損になっても行動するという表し方もある。どちらがより深い愛情かは、意見が分かれるところであろうが・・・。
 旗や歌についてもそうである。、国のシンボルである国旗・国歌は無条件で良しとする考えもあるであろうが、自分たちの国によりふさわしい旗や歌であるべきとして、苦言を呈する考えも愛国と矛盾しない。そもそも、どのような旗であれ歌であれ、忠誠を誓わせ強要するような国であってはならないとする考えも、愛国と矛盾するものではない。
 人の考えは多様である。現在の日本で、日の丸や君が代の強要に抗することは、(残念なことに)不利益を被る。それでもなお、志を曲げないあり方は、どう見ても利己的とかわがままからかけ離れている。このようなことにすら気づかない(気づかないふりをする)石原都知事や都教委あるいは広島県教委は、他者に対する想像力も協調性もない人たちのようである。このような感性こそが、今日の問題の原因といったら言い過ぎであろうか。

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ヒロシマの「日の丸」「君が代」強制
 かつて広島は、「日の丸」も「君が代」もその実施率において、極めて低い数字を維持していた。これは、旗と歌の歴史的事実と差別性や侵略性を、学び・反省する中で、県教委も管理職もそして保守勢力すら巻き込んでの合意として、「強制はできない」との認識があったからである。とりわけその歌詞の内容から「君が代」を強制してはならないとの空気が広島にはあった。実施率の低さは、原爆慰霊碑に「過ちは繰り返しませんから」と誓ったヒロシマの良心の表れでもあった。
 しかし、そのことは文部省や保守政治家にとっては許し難いことであったのであろう。「政治屋」たちの圧力のもと「文部省是正指導」というまやかしをもって、人権団体と教職員組合が連携していることがあたかも「教育への不当な介入」であるかのごときでっち上げがなされ、なりふり構わぬ「広島の教育」への弾圧が行われた。これに対して、私たちは、校長の教育者としての良心に訴えた。
 返答に窮した校長の一部に「職務命令を出してもらえれば」理念を無視して強要できるとの卑劣な発想が生まれる。それに、県教委も乗った。それからは校長に対する「職命」の乱発と、校長による職員に対する「職命」の強要がなされた。私たちは、これに対しても、歴史を語り、人権を語った。心ある校長は良心と職命との間で揺れた。県教委やそれに結託する校長会の一部は、悪辣にも、校長本人に対する恫喝だけでなく、教頭の人事に対する恫喝や該当校への予算を減らすとの恫喝などで、校長を脅した。その様な状況の中で、世羅高校の校長の自死が起こる。
 県教委や一部校長会のメンバーの悪辣さに原因がある「自死」を、あろう事か良心に基づいて踏ん張っていた、われわれの反対運動にあるかのごとく、責任を転嫁してきた。(このことは、精神科医でもる野田正彰氏が「させられる教育−思考途絶する教師たち−」(岩波書店)の中で、極めて明確に分析されている。)
 この事件を悪用して「日の丸・君が代」の法制化が行われたのであるから、二重の悲劇である。強要を否定したはずの法制化の後も、旗・歌の強制は続き、入学式・卒業式は思想調査(踏み絵)の場になりはてている。入学生・卒業生を主役にする式の演出は、日の丸が正面に来ないからと「職命」で排除され画一化される。歌詞の内容に配慮してテープによる曲の演奏だけであったものが、会場で歌声が聞こえないと歌詞入りのテープになり、ついに「君が代」斉唱時の起立が強要され、座れば「職命」違反であるとして処分である。着席者に対する嫌がらせ人事。さらに「不適格教員」にするとの恫喝までちらつかせている(私自身、何度かの着席を理由に戒告処分を受け、賃金の損害や不当人事を受けてきた)。無論、座らないことだけが正しいことだとは思わない。起立もまた一つの選択である。しかし教育の現場で毎年のように繰り返される「踏絵」は、教師の思考を途絶させ、確実に広島の学校現場をむしばんでいる。そして、学校現場の実態・意向を無視した、机上の空論的施策が強行され、現場は無意味に繁忙化し、教職員は疲れ切り次々に倒れて休職・退職に追い込まれるものが続出している。
 民間出身の校長登用も、このような空気の中で行われた。ちゃんとした、検討もないまま、学校現場を全く知らない(教員は定刻には下校し、夏休みは学校に来ていないというレベルの認識であった)人が、わずか2日間の研修を受けただけで、現場へ派遣された。それをフォローしようとした教頭は、過労のため次々倒れ、学校はますます混乱。自らの非力に悩み責任感を感じ落ち込む校長(躁鬱病であった)を援助もないまま放置し、頑張れと追い込む…。現場が見えない(見ようとしない)、「命令」さえ出せばうまくいくと「思いこもう」とする教育行政の犠牲者である。この死に対して、またぞろ「日の丸・君が代」問題に対する組合の反対運動がその原因であるかのごとき、責任転嫁を試みるマスコミも現れる。民間出身の校長には、旗・歌をめぐって主体的意思もなく、良心の呵責によって追いつめられる根拠すらない。むしろ、教職員の側こそ野田氏のいうように精気を奪われているというのに、でたらめも甚だしい。県教委の支援体制が問題にされる中で、跳ね上がりの「右翼」は銃弾を放ち、前面に立たされていた市教委の教育次長が追いつめられ自死。悲しい連鎖である。
 職場での圧迫は続く。つい先日もヒロシマをめぐって高校生が毎夏行ってきた「ピースウオーク」に生徒会が協力することも、「是正指導」の名の下で禁止された。ヒロシマそのものまでも圧殺しようとしている。それでも私たちは挫けない。
(国立の教育市民版28号に掲載)

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拉致事件と国家権力の邪悪性

−日本人の有りようを自省し反転するチャンスに−

 米国の心理学者スコット・ペックは、その著「平気で嘘をつく人たち−虚偽と邪悪の心理学−」の中で、邪悪な人たちについて分析している。邪悪な人は、罪悪感や自責の念に耐えることを絶対に拒否し、他者をスケープゴートにして、責任を転嫁すると。そして、ベトナム戦争下のソンミ村虐殺事件の原因を究明する中で、軍隊のような集団や組織の中に潜む危険性を説いている。事件の背景は、当時の米国政府が欺瞞に満ちたナルシスティックな政府にとなり、方向感覚を失った結果であると看破している。国家が邪悪性にとりつかれてしまうのである。

 朝鮮民主主義人民共和国による拉致事件も又、国家権力が持つ邪悪性を痛感させるものとなった。
 首脳会談で金正日総書記自らが、13人の拉致を認め謝罪した。世論の大半は、謝罪の意思は本物なのかと疑っている。これまで日朝交渉の中で日本側から拉致「疑惑」問題が持ち出されると、共和国側は拉致を否定するだけでなく、誹謗中傷であり「反共和国謀略劇」であると非難し、交渉を打ち切り、その責任はあげて「架空の」拉致問題を持ち出した日本側にあるとしてきたのだから。一体、どの面下げて謝罪するのかと、拉致被害者やその家族はもとより、共和国を支持してきた人々までも共和国不信におちいる。

 そもそも、共和国の最高指導者である金正日総書記は、拉致の事実をどの時点で知り得たのだろうか。彼は、首脳会談で「70〜80年代初めまで、特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走ってこういうことを行った」として、「拉致にかかわった責任者をすでに処罰した」と、トカゲのシッポ切りを表明している。本当に、彼の知らざるところでこの国家犯罪は企画・実行されたのだろうか。少なくとも、過去の日朝交渉の場で拉致問題が追求されたとき、彼の立場であればすぐさま真実を知り得たはずである。それとも「大躍進」当時の毛沢東のように、取り巻きによって真実から遠ざけられていたというのだろうか。そうであれば、共和国政府の病巣はさらに深い。

 国益のためならば「嘘」も当たりまえという外交交渉においては、国家の代表として自国の責任を認めるということに、重大な政治的決断を要することはそれなりに理解できる。そのような事を斟酌しても、真実を追究する者を嘘つき呼ばわりする虚言をくり返して来たことは、なんともえげつない。トカゲのシッポ切りも含めて「国家権力の邪悪さ」を強く感じる。
 無論、共和国のみが邪悪なのではない。多くの国家権力が国益のためだと、他国民さらには自国民の幸せさえも平然と踏みにじる。同様な邪悪さを日本国政府も長らく示してきた。強制連行や従軍慰安婦問題を含む、植民地支配の凶悪な事実を直視し認める事をどれほど躊躇してきたことか。事実そのものを否定しようと画策しては、国際的な非難を受ける中で、やっと国の代表が謝罪したのである。謝罪の後も、「その様な事実はなかった」「被害をでっち上げて嘘をついている」と強弁する輩が今に至るも絶えない。それも政府のしかるべき地位にある人たちまでがである。その様な強弁は、国際的には日本の信用を貶めて結果として国益を損なう。

 日本政府による強制連行(騙しての募集・官斡旋による徴用・陸海軍の労務動員命令による強制連行)と共和国による拉致問題は相殺されるというような論調が、左からも右からも聞こえてくる。自分の人生の悲劇を、他の悲劇で埋め合わせることなどできはしない。過去に強制連行が行われたからといって、このような拉致も殺害も許されるものではないし、拉致被害者が、やむを得ない事としてあきらめることもできない。同様に強制連行の被害者やその家族・子孫が、今回の拉致の事実をもって強制連行がもたらした悲劇・不条理を受け入れるということもできないであろう。
 ただ、今回の拉致事件の事実に接した在日の人たちは、被害者のつらさや怒りをより深く理解できるだけに、より大きなとまどいと悲しみに包まれている。

 これまで、日本人の多くは強制連行を「過去」の事として葬ろうとしたり、被害者とその子孫である、在日の人々の憤りに対して共感的に理解することができずにいた。
 今回、帰国を果たした5人の個別の事情を知れば知るほど、一体どのようにすれば原状回復ができるのか暗澹たる思いになる。どうやっても、過ぎ去った20数年の人生は取り返しようがない。それなりの支援を得ても、先々の暮らしを心配することなく日本にとどまることは困難であろう。共和国に残してきている家族の事も考えると、新たな悲劇が生み出されそうだ。すでに、死亡されたとされる人々にいたっては、死亡が事実とすれば、原状回復などあり得ない。それでもなお、できうる限りの原状回復への努力がされなければならない。その上で、個別に金銭的な補償ということになるだろうが、いったいどれほどの金額が提示されれば納得できるのだろうか。それぞれに億単位の金額が提示されたとしても、納得などできそうもない。
 振り返って、強制連行された約60万の人々の内、どれほど多くの人が過酷な労働の中で非業の死を迎えたことか。そして、生き残った人たちの多くは原状回復どころか「賃金」すら支払われずに放置された。未払い賃金の支払いを求める裁判では、会社側は資料が無い(敗戦時、会社側が証拠隠滅のため処分した)から支払い不能であると主張している。

 拉致事件では、「どのように拉致し、その後どのような事が行われたのか、死亡したとされる人についても、共和国の責任で明らかにすべきだ」という意見が聞かれる。もっともな主張である。多くの場合、被害者の側では一体何がどうなっていたのか分からないのだし、そもそも道義的な説明責任はその犯罪を犯した側にあるからだ。共和国政府が、自国のメンツや誰かの責任を隠蔽するために、事実の究明をごまかそうとするなら、さらに邪悪である。
 同じように、約60万人の強制連行被害者についても、その一人一人について、それが誰によりどのように行われ、どのような不幸をもたらしたのかを、犯罪を犯した政府なり会社の側が調査し説明する道義的責任がある。今に至るもそれをしない日本という国も又、邪悪である。
 事実の認定だけでなく、困難ではあるが原状回復の努力をしなければならない。さらに、個別の被害者に対して金銭的な補償もしなければならないであろう。(これもそれぞれに億単位の補償となればその総額は数十兆円あるいは100兆円にもなる)これは、国家に対する賠償や経済的支援とは、別個である。前述したように、別のことと相殺することはできないし、国家に対する賠償等で済ませることではない。現実に国家によって生命やあるべき人生を奪われた本人やその家族にとって、国家間の賠償問題やメンツの問題は、ある意味で無関係だからである。残念なことに、日本政府は、これまで個別の人に対する責任をほとんど何も果たしていない。
 それどころか、日本人の中には強制連行という名の拉致事件の被害者やその家族(子孫)である在日の人たちに対して、今回の拉致事件を契機に攻撃するという心得違いの者がいる。本当に拉致という国家犯罪を憎み、拉致の事実を隠蔽し被害者を二重三重に苦しめることが道義的に許せないと考えるのであれば、まず自国の行ったことや現に行っていることを恥じるべきである。あろう事か、より過酷な拉致事件(強制連行)の被害者を攻撃するなど、何とも破廉恥なことである。
 「拉致事件を起こすような国に支援はできない」という、まことしやかな意見を述べる者がいる。本来は、過去の日本の侵した犯罪行為に対する賠償ないし補償行為を、(日本政府のメンツをたてるために)「支援」と称しているという事実を意図的に無視しているといえる。あるいは「50年以上たってもまだ文句を言ってくる」と、本末転倒の論理を持ち出す者がいる。その本質は「50年以上たってもまだちゃんとした賠償も補償もできていない」と言うことなのだが。

 そもそも、共和国政府や指導者の邪悪性や体制の違いを、補償をさぼる理由にするのも、日本の邪悪性を考えに入れるとおかしなものである。何より、(今回の拉致被害者に対して何がなされるべきかを考えてみれば簡単に分かるが)本来まずなされるべきは、国家間の賠償ではなく、強制連行などの国家犯罪の被害者の救済のはずである。ところが韓国籍の被害者(日韓条約で国家間で解決済みだそうである、個々の被害者の救済を放置して何が解決済みなのか?)にも日本国籍を取得した被害者にも補償がなされていないのであるから、共和国だからできないとは、あまりにも見え透いた言い訳である。支援などという、いわば恩恵的なものでなく、まさに道義的責任としての個々人への各種の補償の義務すら果たされていないのだ。

 共和国内においては、拉致事件という犯罪の事実も謝罪の事実も報道されていないという。共和国のマイナスを明らかにするのも、金正日総書記の責任を追及するのもタブーなのであろう。自国の悪かったことを国民に知らせるのも、最高指導者を非難するのも「非愛国的」な行為だというのだろうか。日本にもその様な主張を、公然とする輩がいる。日本国内で天皇の責任を追及することは(それどころか単に責任の存在を指摘しただけで)、生命の危険を覚悟しなければならない。強制連行の事実や従軍慰安婦の事実を内部告発しようとすると、「裏切り者」・「国賊」扱いの攻撃にさらされる。強制連行に関わった日本人が、自らの行為を懺悔すれば、「自分だけの正義の味方ぶりっこ」と非難され、嘘つき呼ばわりさえされてしまう。それではと被害者の側が、事実を告発し不満を主張すると「内政干渉」だの「でっち上げ」だの「しつこい」だのと公然と非難する者がでてくる。それでいて、今回の拉致事件では、同じ口が「(共和国を)つぶせ」などと言い出す。

 共和国の普通の国民は、拉致被害者に出会うことはなかったであろう。しかし、日本国民のかなりの人が、「強制連行(拉致)」によって日本に連れてこられ、強制労働を強いられた約60万人にも及ぶ人々に出会っている。広島県であれば、「高暮ダム」等は、強制連行と強制労働によって建設された。そして、周辺住民はその事実を目の当たりにしたし、あまりのむごさに「逃亡」を手伝った人たちもいる。世代的にそのような体験が無くとも、非公式の場で「自慢話」・「昔語り」・「懺悔」など、言い様はともかく体験話を聞いた人は決して少なくないはずである。日本では、その気にさえなれば、国家犯罪の事実に出会えるのである。にもかかわらず、経緯を無視して、「いやなら(母国に)帰れ」とか「不法滞在者呼ばわり」や「犯罪者呼ばわり」をする人が絶えない。心底、恥ずべきことである。

 今回の拉致事件の推移を目の当たりにすることで、多くの日本人が被害者やその家族に感情移入している。被害者の側に立てば、共和国政府がこの事件に関わって行って来た邪悪性をするどく見破ることができる。被害者の立場に立てば、国家は何をなすべきかが見えてくる。被害者にはどのようなフォローが必要かが分かってくる。それらの気づきは、自らの国家の行為や同胞の行為や自らの行為についても向けられなければならない。自らは、判断の外に置くというのであればすでに邪悪だ。国内的にはいざ知らず国際的な説得力は全く無い。

 今回の拉致事件を他山の石として、これまで理解しづらかった、強制連行などの被害者の思いに寄り添い、これまでの日本人の有りようを自省し反転するチャンスにできるならば、この不幸な事件も日本民族の心の歴史にプラスの意味を持ってくることになるのだが。

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「歴史は科学ではない」人たちの作る教科書

 「新しい歴史教科書」の白表紙原稿を見る機会に恵まれた。その冒頭部分において「歴史は科学ではない」と断言してあった事が目を引いた。そもそも、科学とは何だろうか?少なくとも、科学と称される範疇での議論は、その課程を通じてより真実に近づくことが求められる。検定で「誤解を招く」と指摘されて、この表現を削除しているが、彼らの本音だといえる。彼らは、何故このような袋小路に自ら入ってしまったのか。「自由主義史観」の藤岡氏が得意とした、ディベートという手法が一つのキーワードになるように思える。

 ディベートは、優れた教育手法である。この手法を学ぶ事で、物事を多面的に理解し、敵対ではなく相互理解へつながる議論を生み出す事ができる。さらに、日本人が一般的に苦手とする論理の積み重ねができるようになる。ところが、ディベートでは、自分の主張にかかわらず賛成や反対を争う結果、真実を求めるのではなく論争に勝つための「技術」を磨いてしまう可能性もある。
 たとえば論争に勝つために、自分たちの設定した結論に都合の悪い事実は隠し、論争相手がそれを提示してしまった場合には、できうる限り無力化を図る。こうしてディベートは、事の真実を多面的に理解する手法のはずが、いつしかご都合主義の技術に成り下がる。真理の探究者としてのソフィストたちが、詭弁家に成り下がってしまったように。
 O真理教のJ氏も学生時代にこの方法を学んだとされるが、事件当時彼がTV等で展開する論理は、対談者を上回っていることが多かった。そのあまりの巧みさ故に「あー言えばジョーユー」などと揶揄されたが、それは論争においておおむねJ氏が勝っていたことを意味する。彼は論争に勝つために、知り得ていた事実を意図的に隠していた。テクニックとしては正しいかもしれないが、虚しい。

 J氏が、O教が悪くない事を証明しようと、あらゆるテクニックを駆使したように、藤岡氏たちも「日本が悪くない」「日本は天皇が支配して来た素晴らしい国である」等々を証明するために、あらゆるテクニックを駆使する。都合の悪い事実を無力化しようと「歴史は科学では無い」と布石を打ち、「現代の道徳で歴史の善悪は論じられない」と新しい価値観を持ち出す。もっとも、彼らのご都合主義は、彼らに都合の悪い歴史上の人物に対しては平気でその欠点をあげつらい、歴史上の外国の判断に対しては、だめだと言ってしまう。まったく自由気ままで、一貫性は見事に放棄される。

 こうした歴史の事実の歪曲に対して、外国の民衆や政府が疑義を唱えると、内政干渉であると反論し、国内の良心的・科学的人士が、疑義を唱えると、「自虐的」であると攻撃する。これらの論理に対して、「自国が悪い国であって欲しく無い」と願う人々は、無意識にそのご都合主義に目をつむり同調してしまう。しかし、O教信者たちが、教祖は悪くないと信じたいが為に、J氏の論理を信じようとすればするほど、外の世界の人々は、O教とそのその信者たちに嫌悪感を増したことを忘れてはならない。

 日本の教科書検定制度が、このような教科書を合格とし、家永氏の教科書を不合格にしてしまう所に、その非科学性が現れる。百歩譲って、言論の自由だからとするのであれば、このように非科学的な内容の教科書を、どこかの教育委員会が、教員や生徒に押しつけるような事があってはならない。もしそのような事態になれば、その人たちの不幸はもとより、事実を知る国々の民衆は、日本や日本人の良心を疑い、嫌悪感を深めることになるであろう。自国や自国民に対してそのような事態を呼び込む行為は、彼らの主観的思いこみに反して、「非愛国的」行為といえる。

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奉仕の義務化が意味するもの


 1995年(阪神淡路大震災のあった年)は、日本におけるボランティア元年とされている。引き続いて起こったナホトカ号の原油流出事故への対応も含めて、ボランティアは行政のするべきことを代行しているだけとか、偽善的でうさんくさいとかいう批判も影を潜めた。ボランティアが成し遂げたことは、行政では代行する事ができない事だったし、その成果はあまりに大きかったことによる。ボランティアの本質と力を、個人も社会もしかりと認識するようになったといえる。同時にボランティアとして飛び込んだ者にとっても大きな学びがあったし、貢献感を得られるものであった。一緒に活動していた人たちの生き生きとした目も、忘れることができない。

 一方、認知が高まってくると、これを利用しようとするものも現れてくる。それは、「権利・権利と要求するばかりで、自らの義務を果たそうとしない近頃の若者」に、対応をしてるよというポーズであったり、無料で働かしたいといったレベルの考えに基づくものである。
 こうして、国や県教育委員会は奉仕やボランティアを推進するとして、一定の施策を行うことになる。以前に勤務していた学校にも県の役人がやってきて、是非モデル校になって欲しいなどと言ってきた。「奉仕」でなく「ボランティア」ならということで、了承したものである。言葉にこだわったのは、奉仕という言葉には、他者への貢献という行為の内容はあっても、それを行う者の自発的な意志を必要としない側面があると考えていたからである。

 しかし、実際に国や県が推進のためと称して行っていることは、高校入試の内申書でボランティア活動を高く評価するとかいうレベルのものである。その本質は、餌で釣るに等しいもので、ボランティア本来の自発性はないがしろにされがちであった。その餌もできるだけ安あがりなものということである。そこには、それぞれの人間性を高めたり深めたりするためのものとしての、ボランティア精神をはぐくもうなどという意気込みは感じられない。そんなものは、権力を握る連中には、最初からなかったのである。
 そのことが、森喜朗首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」の中間報告に、如実に現れている。教育を変える提案と称するものの中に、「奉仕活動の義務化」を上げている。一般的には横文字好きの報告書が、ボランティアでなく奉仕という言葉を使ったのにはわけがある。当初、ボランティア活動の義務化という表現で、官僚から提示されたが、自発性が基本条件のボランティア活動を義務で行わせるというのでは語義矛盾をきたすとの、委員の反対にあって、奉仕活動の義務化という表現に変更したというのである。言い換えによって、委員の国語能力に対する批判は、回避できることにはなったが、彼らに「ボランティア」の推進の意図がないことも明白になったといえる。
 自発的である必要は無い、それどころか自発的に動くものを忌諱するという、権力側の腹の底すら感じられる。

 個人的な事になるが、この春広島県教委の行った恣意そのものによる人事異動で、職場の6割もの仲間とともに職場を離れることになった。この常軌を逸した人事異動によって、前任校の学校体制は大混乱を余儀なくされたが、私がボランティアとして関わっている社会的活動も大きく阻害されることとなった。県教委にこのことの不当も訴えたが、彼らは(そこまで配慮することが技術的に難しいというのではなく)考える必要が無いと回答している。ボランティア活動のじゃまをしたくないという意識すらないのが、推進をうたうものの本音だったのである。

 仕事においても、自発的なものは否定されてしまう。広島県の文教委員会の論議を見れば、家庭訪問や研修活動も、命令の無いものを行うことは「悪いこと」にされてしまう有様である。権力から命令されたことだけをする職員・国民こそが、望ましい公務員であり日本人であるという価値観なのである。
そもそも、利害を離れても自発的に活動することの豊かさの体験が希薄な彼らには、ボランティア活動は理解不能なことなのかも知れない。そのような彼らにこそ、ボランティア教育が必要だと感じる。
 このような価値観しか持ち得ない者によって作成された答申の提案は、いわば鞭で奉仕を強要し、それに従う国民を作り上げようとしている。その先には、明らかに徴兵制が射程にある。

 答申の提案者たちが、本当に人格形成のために重要であると考えているのであれば、義務でなくても(制度が無くても)自分や自分の家族に、実践するように強要しているであろう。それがないのは、彼らの考えている奉仕活動は、税金と同じような意味での義務だと考えている事を意味する。租庸調の庸の復活である。そして、庸には防人などの徴兵に応じる義務も含まれていた。現に、自民党議員の中には、奉仕活動先として自衛隊を入れればいいではないかとうそぶき、衣の下の鎧を見せつける者まで現れている。

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レンジャク突然死事件の真相の究明を


1996年11月から97年の2月にかけて、長野県各地でレンジャクを中心として大量死事件が発生した。それは、多いときには一度に50羽とか70羽にも及び、その発見総数はおよそ200羽にもなった。当時、この事件は、長野においては不可思議な現象としてマスコミが取り上げ、社会問題化した。

原因について色々に推測される中で、1997年の本誌(「科学」)7月号において、信州大学の中村浩志氏が「窒息死説」を書かれた。中村氏はレンジャクを、群で行動し臆病でかつ町中の環境に適応できていない生き物と規定され、それゆえに、食事中驚いて飛び立った時に窒息死を起こしてしまったと推定されている。
この論文のまとめでは、人間によって豊かな生態系を奪われ、やむなくなれない人里に餌を求めなくてはならなくなったレンジャクの悲劇ととらえられ、日本の豊かな生態系が最近さらに変わりつつあることを端的に示す現象として、警告を発しておられる。

この論文に対して、翌98年10月号に読者の声として、立教大学の上田恵介氏の反論が掲載されている。もともと食べ物をかまずに飲み込む鳥は、気管が大きなものを飲み込んでも窒息しないような形態になっており、窒息死は有り得ないというものであった。そして、死因は未熟果に含まれるシアンによるもであると推定されている。栽培種のピラカンサなどは、未熟果にもかかわらず果皮は赤くなり、経験不足の若い個体の群は、そのことを知らないまま大量に食べ、大量突然死を招いたというものである。

このようにあまりにも違う結論があるにも関わらず、双方の論のすり合わせが行われた形跡はない。一方、97年に中村氏の論が本誌(「科学」)で発表されると、中村氏自身の権威に加えて、岩波の権威も加わって、現地では、原因が特定されたとして、公的な原因究明の幕引きがされてしまったようである。

このような事態の中で、地元長野県の中沢和夫氏は、日本野鳥の会軽井沢支部の会報の中で、全く異なる可能性を指摘されている。すなわち、畑に大量に捨てられたリンゴの絞りかすなどの上に、故意あるいは不注意によって、不法投棄された農薬による中毒死説である。
中沢氏及び軽井沢支部は、その後もこの問題にこだわり続けておられる。会報によると、98年以降には全国的にレンジャクの大きな飛来がなく、レンジャクの大量死はおこっていないようである。しかし、98年・99年にもヒヨドリやムクドリさらにはスズメなどの大量死まで起こっている。スズメは97年の中村論文では、人里になれているから、窒息死をしないとされているものである。また、99年にはトビの大量死(11羽)まで起こっている。

このような事実を見ると、少なくとも、中村氏や上田氏の説だけで、全てを説明することはできないと考える。特に、本誌で取り上げられた中村氏の窒息死説は、多くの人が行っている野鳥観察の中に、驚いて飛び上がった群の中の一部が落ちてくるという報告がなく疑問である。窒息死説の中村氏自身、そのような具体を確認されたわけではないようである。仮にそのような事実(ある個体が食べている状態と驚いたタイミングが悪くて窒息死する)が有ったとしても、その様な事故が何十羽も同時に起こるということは別のことだと考える。事故による窒息死が発生する確率を、1/1000と極めて高く設定したとしても(このように高ければ、野鳥観察者は度々現場を目撃することになるはずです)、百羽前後の群が驚いて、その中の数十羽が窒息死を起こしてしまう確率を計算すると10のマイナス何十乗という事になってしまう。すなわち、ある個体の偶発的窒息事故はともかく、大量死は有り得ないと考える。

中村氏や上田氏の説に立てば、長期的にはともかくも短期的には、人間のとるべき緊急の対応策はない。事実、公的な対応は鈍いようである。しかし、(中村氏も上田氏も共にふれておられるが、)死亡個体の中には、致死量を超える農薬が発見されているものがある、中沢氏の説が正しいとすると、人的被害の危険性も顧慮に入れて、できるだけ早く対応しなければならない。
このように見てきたときに、このような説の違いがそのまま放置されている事は、適切な対応を遅らせる事になりかねない。
本誌《科学)としても、その様な事態に荷担する意思は毛頭ないであろうから、三氏の論のすり合わせを企画してもらいたい。

科学的思考において、事実にであった時に、その事実を説明しうる(できるだけ再現可能な)論理を考え、違う見解が現れた場合にはには、どちらがより事実に即しているかすり合わせる事。その結果、それぞれの論の抱える問題点が明らかにされ、より整合性の有る論が浮上する可能性を保障する事が大切と考える。
《雑誌科学に掲載した文章を手直ししました》

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