カッキーの東北タイ・カオヤイ自然学校


昨年12月22日から30日まで、日本ネイチャーゲーム協会主催の『東北タイ・カオヤイ自然学校』のツアーに参加しました。
昨年のアメリカの『ヨセミテ自然学校』に続いての海外の自然学校訪問になりました。
ヨセミテでは、圧倒的な大自然と素晴らしいインストラクターに感動し、今回のタイの旅では、人々のおおらかさ、優しさに感動しました。
参加者6名にコーディネイターの方1名の総勢7名で、家族旅行のような楽しい旅になりました。
またタイでは、日本人の通訳の方に終始同行して頂きました。
旅の行程は、バンコク→アユタヤ→カオヤイ国立公園→『森を愛するこども学校』(スリン)→バンコクと移動しました。

カオヤイ国立公園
『森を愛するこども学校』を運営しているジュートさんとスタッフのチャンに3日間に渡ってカオヤイ国立公園を案内して頂きました。ジャングルの中で絵を描いたり、植物や動物の話を聞いたりしてゆったりとした時間を過ごせました。ジャングルの中にいる間中、ワクワクした気分になりました。この森の何処かに野生のゾウやトラが潜んでいると考えるだけでも楽しくなってきました。ゾウの痕跡は、至る所にありました。大きな足跡、大きなフン、ゾウが歩いた所は、木がなぎ倒されていました。トラのフンもありました。シカの毛がぎっしり詰っており、フンの側には、一つだけでしたが足跡がありました。爪の部分まではっきりと確認する事ができました。トラは、非常に用心深く人に目撃される事は、まずないとの事でした。日本では、オオカミが絶滅してしまい大型の肉食獣がいなくなってしまったのが、残念に思えました。テナガザルとも遭遇できました。木から木えと起用に飛び移る様に思わず見とれてしまいました。宿舎になっていた山小屋には、シカが数頭やってきました。シカは、トラ等の肉食獣が警戒して近寄らない人家の近くに多く生息しているとの事でした。シカには、角が触れるくらい近くに近づく事ができました。この他にもサル、ヤマアラシ、イタチ等を見る事ができました。いずれの動物も毛並がとても綺麗で、森の豊かさを感じました。カオヤイを離れる日の朝に、オオサイチョウを見る事ができました。白、黄、黒の3色がとても鮮やかでした。飛ぶ姿には、なんとも言えない優雅さを感じました。サイチョウは、あまり進化をしていない鳥で飛ぶ時の羽音は、とても大きいそうです。残念ながら私は、聞けませんでした。一生涯同じペアのカップルで過すそうで私が見た時も2羽が寄り添っていました。
ジャングルに沈む夕日と日の出をいずれも広々としたポイントから眺めました。この素晴らしさは、とても言い表せないので、行って見きて下さい。としか言えません。私は、日の出を見たポイントのジャングルで尺八を演奏しました。ジュートさんに、尺八を持ってきたのでカオヤイの森の何処かで演奏したいと話したら、ジュートさんが選んだ場所は、断崖絶壁の上からジャングルを一望できるとてつもなく大きなステージでした。さらにジュートさんの演出は、他の参加者には、告げずにバックミュージックとして少し離れたジャングルの崖から朝日が登るとともに尺八の音色が聞こえてくるというものでした。薄暗いジャングルをかきわけて演奏ポイントへ向かうと猛獣のうなり声が聞こえてきました。姿は、確認できませんでしたが、今回の旅で唯一緊迫した瞬間でした。この時は、恐怖を感じたのですが今では、貴重な体験ができて良かったと思っています。何も気配が感じられなくなったので演奏は、無事に終了する事ができました。ジャングル、断崖絶壁、朝日、猛獣のうなり声、尺八という組み合わせに、不思議な気分になりました。
カオヤイのジャングルで特に印象深く思ったのは、流れる川の水の色です。日本の原生林を流れる川の水のように透明という感じではなく、ほんの少しだけ茶色がかった、いかにも栄養分たっぷりの水という感じでした。
 もっと長くこの森に滞在してじっくり見たかったです。


消えた森
アユタヤからスリンまで約300キロを移動する途中は、広大な田畑が広がっていました。何処まで行っても同じ風景なのです。すべてここがジャングルだった事を考えると複雑な思いになりました。森がまだあった頃は、ここに暮らしていた人々は、森からの恵みで自給自足の生活をして豊かに平和に暮らしていたそうです。外国から商品経済が流れ込んできて、お金が必要になり、その結果として森の木を伐って木を売ったり、その跡地に商品作物を栽培するようになっていきました。しかし、そこからの富みは、華僑や、日本企業等に奪い取られ、人の良いタイの人々は、土地を奪われ小作になったり、出稼ぎに行ったり、騙されて子供を売らなければいけなくなった人達もいると聞きました。すべての貧困の始りは、森の木を伐ったところにあると感じました。そこに日本人が介在していると思うと胸が痛みます。
僅かに残った森を懸命に守っている人々がいます。枯れ木と葉だけしか採る事を許さず、生きている木は、伐る事ができません。枯れ木は、重要な燃料源になっています。薪拾いは、子供達の仕事になっています。枯れ木を大切に扱っている彼等を見ていて、日本の森の事を考えずにはいられなかったです。日本には、木を伐る必要に迫られた森が膨大な面積あります。戦後に植えられた針葉樹の人工林を間伐しなければいけないのです。間伐で伐り倒された木は、採算性の問題でそのまま森の中に放置されます。その一方では、海外から大量に木材を輸入しています。何かおかしいですよね。伐った木をそのまま捨ててしまう国家なんて他にあるのでしょうか。森を奪われ、枯れ木を大切にしているタイの人々を見ていてそんな疑問が生じてきました。間伐されていない人工林の中は、暗く地面には、植物が生える事ができないため表面の土はどんどん侵食され痩せてしまい、動物も殆どいなくて、生命の息吹が感じられません。私は、岐阜県の飛騨地方で森林技術者としてヒノキ・スギの人工林の間伐をしています。1本でも多くの木を伐り、森の中を明るくして草や広葉樹が生い茂った森造りを心掛けています。時には、柱が取れそうな、ヒノキや直径40cm以上はあろうかというスギを切り倒してそのまま放置してきます。そうする事が当然のように伐って捨ててきます。この状況をタイで森を守っている人々が見たら一体どう思うでしょうか。間伐材の有効利用は、日本の森だけの問題ではなく、海外の森を守る事にも繋がっていくのではないでしょうか。


森を愛するこども学校
スリンのデクラッパにある『森を愛するこども学校』は、田畑や森に囲まれたのどかな景色の中にありました。この学校は、ジュートさんと奥さんのノイさんとによって運営されています。森や川といった自然にあるものすべてを使って子供達を教育しているようです。特に絵を描く事を熱心に指導しているようでした。ジュートさんは、大人達にも森の活かし方や、住み良い村づくリの指導もされているようです。
我々はここで、近くの村のおばさん達と草木染めをやったり、蝶のアクセサリーを作ったり、子供達と遊んだりしました。我々の面倒を見てくれる大学生のボランティアの方が数名いて、食事等の支度をしてくれました。食事は、御飯、魚のスープ、野菜炒め、フルーツというのが、多かったです。味付けは、やはり辛かったです。でも美味しかったですよ。
我々の宿舎は、高床式の小屋で、その中で蚊屋を吊って寝ました。


ホームステイ
私がホームステイに伺ったお宅は、おじいさん、おばあさん、孫娘の3人暮しでした。この村では、お年寄りと子供達という世帯が多くて働き盛りの大人は、都会に出稼ぎに行っていました。おばあさんに連れられてこの村に入った瞬間から賑やかで至る所で子供達が遊んでいました。家は、質素で板を張付けただけの簡単なつくりで隙間だらけで風通しがよさそうでした。家の回りには、野菜、バナナ、ココナッツ、ヤシ等が植えられ、ニワトリやアヒルが雛を従えて歩き回っていました。イヌは、放し飼いにされていて人懐っこいイヌばかりでした。私がおばあさんの家に到着すると、入れ代わり立ち代わり近所の人や子供達がやってきて、おばあさんの家族は一体どの人なのか暫く判りませんでした。夕方になって日本から持っていったお酒をみんなで飲んで盛り上がった後におじいさんと田んぼの中に放牧してあった水牛を迎えに行きました。
水牛は、とても大きいのですが、おじいさんの言う事を素直に聞いておとなしかったです。農機具が行き渡っていないこの村では、水牛は農業をするのに人を手助けしてくれる重要な存在です。やがて夕食の時間になりおばあさんの手料理を食べました。この時の食事がタイ滞在中で一番美味しかったです。野菜のスープ、卵焼き、ニワトリと野菜の炒めもの、生の白菜でした。食事の後、私は、おじいさんとおばあさんの前で演奏してみました。すると何処からともなく人が集まってくるので、演奏をやめるにやめれなくなってしまいました。
次の日は、朝から子供達に村の中を案内してもらいました。蚕を飼って、織り物を織っているおばあさんが何人もいました。おばあさんの一人が、家に招き入れてくれて、ココナッツや海老を焼いたものや、なんだか良く判らなかったのですがイモの粉を団子にして揚げたようなものを食べさせてくれました。朝御飯をたくさん食べてきたのですが、どれもこれも食べると美味しいのでみんな平らげてしまいました。この村を歩いていると自然と顔が笑顔になっていきます。子供達の笑顔が何処に行っても溢れていておおらかなおばあさん、優しいおじいさんが話し掛けてくれます。言葉は、殆ど判らないのですが、なんとかなりました。雨水を飲料水とし薪や炭の火で料理をして、家の回りにある食べ物で自給自足をしているこの村の人々は、我々日本人よりも遥かに豊かで幸せそうに見えました。便利で経済性に優れていると言う事が、必ずしも幸せな事であるとは言えないと改めて実感しました。


学校訪問
 ホームステイした村の子供達が通う学校を訪問しました。子供達が学校を案内してくれる事になりました。子供達が案内する人を選びました。私は、いかにもやんちゃそうな男の子ばかり十数人が案内してくれました。学校を見せてもらっているうちに子供の数が増えていき、そのうちに子供達が一遍に何かを話すので訳が判らなくなりましたが、賑やかで楽しかったです。学校で飼育しているアヒルやニワトリ、栽培している野菜、皮を剥いたヘビ等を見せてくれました。
次に我々訪問した側と子供達がお互いに出し物を披露しました。私は、尺八で『故郷』を演奏しました。続いて我々全員で『かえるのうた』を踊り付きで歌いました。前日に猛練習をしたので、完璧な演技ができ思わず達成感に浸ってしまいました。子供にうける事を狙ってやったのですが、みんな真剣に見ていました。その後、子供達が軽快な音楽に合わせて踊ってくれました。
食事をした後、今回のツアー代金から購入したアイスクリームを子供達に配りました。アイスクリ^ムの順番を期待を膨らませて待つ表情と、もらった時の嬉しい表情に変わる瞬間が微笑ましく感じました。アイスクリ?ムを渡すと子供達は、手を合わせてお礼を言ってくれました。その仕種は、とても可愛かったです。ここでは、アイスクリームは、めったに食べれないとの事でした。
帰り際に子供達に『サワディカップ』(さようなら)と言っていたら、何時の間にか子供達に取り囲まれてしまいました。手を出して何かを言っているので、その手に握手をしていたらどうもそうではないらしく、手に何かを書けという事らしいのです。その手に適当にサインしてあげたら喜んでくれたので、書きまくったのですが、差し出す手の数が一向に減りませんでした。Tシャツ
にも書きました。これだけ名残惜しんでくれると素直に嬉しいですね。村の中でも学校でも子供達は、人なつっこくて、明るくて元気でした。ここでは、大きい子が小さい子の面倒をよく見ていました。


お別れパーティ
 『森を愛するこども学校』での最後に夜は、お世話になった村の人や子供達を招いてのパーティが開かれました。木の葉のお金で子供達から食べ物を買って食べました。歌ったり踊ったりゲームをしたり、とても楽しかったです。


僧侶
翌朝、近くの小さな森をジュ-トさんに案内してもらいました。森の中には、僧侶が小僧さんとともに生活している枯れ木と葉っぱで造った家がありました。タイは、仏教国なので至る所で僧侶を見かけます。僧侶には、20歳以上の人なら誰でも何時でもなる事ができます。但し、小僧を経験しなければなる事ができません。小僧の経験は、1日でも1時間でも構わないとのことです。また、何時でも僧侶を止める事ができるそうです。僧侶と小僧の違いは、守らなければいけない戒律の数の違いにあります。僧侶の227に対して、小僧は、10との事でした。森の中で若い僧侶に瞑想の仕方を教えてもらいました。気分がよくなって、眠くなってきました。僧侶は、横になって寝てもよいと言ってくれました。私は、僧侶と一緒に写真をとってもらいましたが、女性とは、煩悩が生じるからダメだと言う事でした。


帰途につく
いよいよデクラッパの『森を愛するこども学校』から、離れる時が来ました。
まだ帰りたくないと思いました。おそらく参加者全員がそう思ったに違いありません。ここには、日本人が忘れてしまった本当のゆとりがある豊かな暮らしがあるように思いました。子供達が何の不安もなく元気に外で遊んでいる社会は、幸せな社会と言えるのではないでしょうか。そんな事を思いながら、デクラッパを後にしました。
スリンの市街地で、ジュートさんの事務所に立ち寄り、ナイトマ-ケットを見学した後、夜行列車に乗車しバンコクを目指しました。この寝台列車は、快適でした。トイレには、シャワーまでありました。
早朝、バンコクに到着し、3時間ぐらい空港で過した後、成田行きの飛行機に搭乗しました。

 
日本到着
成田空港でツアーは解散し、私は一人で名古屋空港への乗り継ぎ便に乗り名古屋で出国審査を受けました。私は、税関職員に荷物を全てバックの中から取り出して一つ一つチェックされました。成田からの乗り継ぎ便のジャンボ機の乗客で荷物の中身を調べられた日本人は、私だけでした。腑に落ちませんよね。
東南アジアからはだしでサンダルばきで、怪し気なTシャツ(『森を愛するこども学校』で自分でクレヨンで鳥の絵お描いたもの)を着て帰ってきたのがいけなかったのでしょうか。運悪くバックの中から「木の葉」が出てきました。「これは、何の葉ですか?」との税関職員の問いに、「それは、お金です。」と答えてしまいした。このやりとり、今思うとおかしいですよね。いくらなんでもタイの通貨は、「木の葉」なわけないですからねえ。『森を愛するこども学校』でのパー?ティで使った「木の葉」のお金がまだ残っていたのです。「木の葉」が出てきた事で税関職員に取り囲まれてしまいました。さらに悪い事に、ポケットの中に得体のしれない植物が入っている事を思い出しました。子供達が学校を案内してくれた時に「これは美味しいから食べろ!」と言って、採ってくれた野菜が食べ切れなくてポケットの中に入れてしまっていたのです。日本に帰ってきてもタイの子供達と遊んでいるようで、税関職員に説明していて笑えてきました。それにしても大変なお土産くれたもんだと思いました。なんだかタイの人達のおおらかさが移ってしまったのか、調べられて窮地に陥っても笑顔で余裕の対応をしている自分に気がつきました。説明するのにかなり手間取りましたが、疑いは晴れました。しかし、この時間の大きなロスのため、JR高山本線の最終列車に乗り遅れ岐阜市で一泊する事になり、旅が一日延びてしまいました。
翌朝始発の列車で、飛騨萩原に向かいました。萩原は、冬だというのにとても暖かく、山に雪はありませんでした。
飛騨の山を見ていると落ち着きます。なんだか懐かしく思えてきました。
また是非タイに行きたいという思いが込み上げてきました。

            2003.1.19  水 谷 克 明
                  カッキ- or カッチャン

2001年ヨセミテツアーの仲間だったカッキーが、
2002年タイの研修ツアーに参加してレポートを送ってくれました。
乾燥のヨセミテとは違う素晴らしさがあったようです。(もや)

ヨセミテの人と自然から学んだことトップ  ネイチャーゲームトップ  トップページへ