を遊ぼう」6-2

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シーン6オーデンセ(p11〜12)


0)旅人は 扉にも描かれていた、アンデルセンの故郷オーデンセにやってきました。歴史保存地区は、町並みが保存されアンデルセン博物館(H.C.Andersens Hus)があります。

1)アンデルセン博物館に掲げられているのは、アンデルセンの作った切り紙のデザインです。写真と絵本の様子が少々違いますが、博物館の中にある案内板のデザインを絵本では使われているようです。

2)青い壁に飾られているのは、アンデルセン像です。もちろん、博物館にはアンデルセン像が飾られています。

3)入館しようとしている親子がいます。
4)梯子をかけて屋根に登っている子どもがいます。女の子が梯子を押さえています。
『コウノトリ』のペーターでしょうか?

5)屋根の向こうの煙突には、コウノトリが巣を作っています。
 アンデルセン童話に『コウノトリThe Storks 』があります。
「むかしむかし、ある山かげの家の屋根に、コウノトリが巣(す)を作っていました。
巣の中には、四わのヒナがいます。・・・」絵本でも右の煙突には4羽のヒナが描かれています。

左の挿絵は、ペーダセン(Wilhelm Pedersenの描いた絵です。

『コウノトリ』を読むことができます
(福娘童話)
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/05/06.htm
上記のHPの内容は、最後のシビアな部分が省かれています。実はこの後・・
 やがて一人前になったコウノトリの子どもたちは、人間たちに赤ちゃんを運ぶ仕事を始めます。その時、コウノトリたちは、良い子のペーターの家には可愛い弟と妹を届けてあげました。彼らを意地悪くはやしたてた子どもの家には、死んでしまった男の赤ちゃんを届けて仕返しをしたというのです。・・・なかなかシビアです。
 
画像としての処理なので、いくらか読みにくいのですが、原作に近いのは
「鸛」(コウノトリ)上田萬年(説話)近代デジタルライブラリー (国立国会図書館)
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41016138&VOL_NUM=00000&KOMA=81&ITYPE=0

※日本にもコウノトリがいますが。実はアンデルセンの故郷、ヨーロッパのコウノトリは東アジアのコウノトリとは違う種類なのです。くちばしの赤いシュバシコウ(朱嘴鸛)なのです。

安野さんが、このシーンは『コウノトリ』からだと書いておられるのだから、それで良いとはおもうのですが・・・。
どうも、右側の巣の絵ははアンデルセン童話の『沼の王の娘 The Marsh King's Daughter』の挿絵からのようです。
挿絵を描いたのは、ローレンツ・フローリク(Lorenz Frolich )です。

コウノトリは旅する鳥(渡り鳥)です。、『コウノトリ』でも『沼の王の娘』でも、その姿が描かれます。旅をする人としての、アンデルセン自身を象徴する鳥であるように思います。
 なお、『沼の王の娘』のヘルガは、エジプトの王の孫に当たるのに、そうとは知られないまま、デンマークのヴァイキングの家で育てられます。しかも、昼間は美しい姿ながら荒々しい心を持ち、昼には優しい心を持つもののみにくいヒキガエルの姿なのです。
 このヘルガは、アンデルセンの分身でしょう。本当は高貴な血筋を引いているにもかかわらず、そのことを知らず(周囲も本人も)、その才能を認められることない存在として・・・。


6)ところで、コウノトリが巣を作っている家は、アンデルセンが2歳から14歳までを過ごした家(H.C. Andersens Barndomshjem)です。向かって右側にアンデルセン一家が住んでいました
 アンデルセンが幼児期を過ごした家ですから、屋根の上のコウノトリのヒナがそれを象徴しているのでしょう。

アンデルセンの家では、台所からハシゴを登って屋根に出られるようになっていたそうです。すると、4)で屋根に登っている子どもは、アンデルセンも意味するのかも知れません。

7)道を逃げている人と、追いかけている人たちがいます。逃げているのは、前のシーンで脱獄していた人です。

8)p9のほとんどを占めている、建物で四角く囲まれた一帯もアンデルセン博物館をあらわしているます。右下の角の三角屋根の家
は、扉にも出てきましたがアンデルセンが生まれた祖母の家です。小さな部屋が3つほどの小さな家で、博物館の角に再現されています。

9)屋根には靴の看板が挙がっています。アンデルセンのお父さんは靴職人でした。

10)中庭では、靴を作っている職人がいます。アンデルセンのお父さんをあらわしているのでしょう。すると、お茶を持って立っている女性はお母さんと言うことでしょうか。さらに、手前の子どもはアンデルセン本人ということですかね。
 壁には、靴の木型、革、革を切るナイフ、槌がかけてあります。手前の四角なものは木型をセットするものでしょう。博物館にも、靴作りの道具の展示があります。

11)お客さんは随分恰幅のいい人です。ひょっとして王様でしょうか。
  次のシーンのリーベの夜警の人のような気がします。

12)庭にはできあがったブーツがあります。その向こうは木靴でしょうか?

13)ここの庭にも、手押しポンプがあります。

14)女の人が二人話しています。左側の女性は両手を示して話しています。何を話しているのでしょうか?
15)この庭にも沢山の薪(?)が積んであります。斧もあります。

16)トカゲが2匹います。アンデルセン童話でトカゲが出てくる話と言えば・・・『妖精の丘 The Elf Mound』があります。
「2,3びきのトカゲが、一本の古い木の割れ目をちょろちょろと走っていました。・・・」と冒頭に出てきます。このトカゲではないかと思います。
右の挿絵は『妖精の丘』のものです。ペーダセン(Wilhelm Pedersen)の描いた絵です。


17)右下 スエーデン国旗を掲げ、白鳥の看板を掲げる家があります。扉にも描かれていましたが、歴史保存地区にある土産物屋さんです。白鳥は、「みにくいアヒルの子」の大きくなった姿です。絵本で屋根に描かれている明かり取りも実際にあるようです。安野さんは、なかなか細かいところにも律儀です。

18)店の前に女の子がいます
19)木の向こうに、自転車が駐められています。写真を見るとこのも土産物屋さんの所にあります。

20)ナップザックを担いだ女性と男性が並んで歩いています。
21)街灯が立っています。土産物屋の写真に映っている街灯と同じデザインです。
 アンデルセン童話に『古い街灯 The Old Street Lamp』があります。

英文ですが『古い街灯』を読むことができます
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/the_old_street_lamp

by forest-doorさん

「古い街灯」はお払い箱になるはずだった古い街灯が面倒を見てくれた夜番の家に飾られるようになるお話。
この作品が書かれた1847年はコペンハーゲンに新しい街灯がついた年だそう。そんな新しいもののかげにある古いものへもアンデルセンは目を向けていたんですね。


22)手回しオルガンを弾いている人がいます。
 『柳の下で』の中で、旅先で故国デンマークのメロディーを聴かせてくれる手回しオルガン弾きが出てきます。
 アンデルセン自身が、旅の人だったようですから異国の地でそんなオルガン弾きに出会って感銘を受けた体験があったのでしょう。

23)自転車を押している女性がいます。荷台の所にある黄色い物は・・・幼児用の座席でしょうか。

24)大きな教会があります。オーデンセにある聖クヌート教会Sct. Knuds Kirkeです。
 13世紀に建てられたデンマークでは数少ないゴシック様式の教会です。絵本では塔の先端が切れていますが・・下に描かれています。
 アンデルセンの両親はここで結婚式を挙げています。

 聖クヌートは、デンマーク王クヌート4世(1043年-1086年)のことです。彼はキリスト教の信仰が厚く、デンマークのキリスト教化に貢献している。さらに、1086年に異端の農民によって殺され、遺骸は聖クヌート教会に安置されています。デンマークの守護聖人とされています。
 聖クヌートの日があります。北欧のクリスマスのお祝いは12月13日の聖ルシアの日(光の祭り)からはじまり1月13日の聖クヌートの日まで続くそうです。ということで、聖クヌートの日はクリスマスツリーを片付ける日。

25)教会の前には、神父さんを囲んで着飾った子どもたちがいます。堅信礼(Confirmation)のためにやってきているようです。キリスト教国では、生まれると早速洗礼を受けさせます(幼児洗礼)。これで、キリスト教徒になるわけですが、当然のことながら自分の意志でなったとは言い難いわけです。そこで、思春期になって「自らの信仰を確かなものとして宣言する」儀式を行うわけです。

堅信について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%85%E4%BF%A1

by forest-doorさん

・・・聖クヌート教会が描かれています。市役所広場の前にある教会で、アンデルセンが晩年、オーデンセの街の名誉市民になったとき、ここの教会に面した広場でたくさんの市民から盛大な歓迎を受けたということです。
そして絵本で、堅信礼を受けている子供たちが描かれているように、アンデルセンも14歳でここの教会で堅信礼をうけました。
堅信礼とは幼児洗礼などで洗礼を受けたものがキリスト教徒として教えに従って生きることを誓う儀式。
アンデルセンはこの堅信礼の日に初めていい靴をはかせてもらって、靴ばかり気になって、神様のことを考えなかったといいます。そんな思い出が「赤い靴」という作品につながっているとのことです。

アンデルセンは緒言の中で、「わたくしが教会の床の上を歩いてゆくと、靴はキュッキュッと鳴った。これを聞けば会衆にもこの靴が新しいということが分かるはずだと思うと、わたくしは心の底からうれしくなった。しかし、そのためにわたくしの信心は乱されてしまった。わたくしはそれを感じ、また気持ちが神さまのみもとにあるかと思うと、それ以上にわたくしの靴の上にあることに恐ろしい良心の呵責をうけた。この思いから童話『赤い靴』はできた。」と書いています。

26)アンデルセンの生家のところで手を振っている女性がいます。それに応えるように、旅人の右に荷物を担いで帽子を振っている男性がいます。
 アンデルセン童話の『柳の木の下で』からです。2人は柳の木の下で共に遊んだ幼なじみ。男性は一人前の靴屋になるべく旅に出ようとしているクヌート(聖クヌートと同じ名前だから、ここに描かれたのでしょう。)を描かれています。手を振って見送る女性がいますが・・・これは、幼なじみのヨハンネでしょうか?

 アンデルセン童話の『柳の木の下で Under The Willow Tree 』
英文ですが読むことができます
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/under_the_willow_tree

このシーンが『柳の木の下で』からであるというのは、安野さん自身が解説で書いているのですが・・・・。
物語では、故郷をまず去っていくのはクヌートではなく、ヨハンネの方です。クヌートが旅に出るのは、ヨハンネに見送られてではなくて・・・ヨハンネを追ってコペンハーゲンに行きます。そして、歌手として成功したヨハンネに、恋人ではなくお兄さんでいてくれと言われてしまいます。そして、ヨハンネがフランスへ行くのです。クヌートがさらなる修行の旅に出るのは、その後です。ですから、ヨハンネに見送られて旅立つクヌートというのはいささかつじつまが合いません。ということで、見送る女性はヨハンネではなくて、クヌートのお母さんといったところでしょうか。

そして、荷物を背負って旅する姿は、『砂丘の物語 A Story from the Sand Dunes』の挿絵からのようです。
左の挿絵は、ローレンツ・フローリク(Lorenz Frolich )の絵です。
 挿絵のシーンは、主人公のイェルゲンが、好きになった娘エルセが愛するのは友人のモルテンであることを知り、しかもモルテンに家があればモルテンと結婚したいというので、自分の相続した家をモルテンに譲り、旅に出るのです。
 
 主人公のイェルゲンは、デンマークの貧しい漁師に育てられますが、実はスペインお金持ちで幸せ一杯だった夫婦の子どもです。夫がロシアへ大使として派遣される途中で、船は難破。お母さんだけがユトランド半島の西海岸に打ち上げられ・・・この子を産んで死んでしまいます。親がどのような国のどのような家の人なのか分からないまま大きくなります。スペインに行き、偶然お祖父さんの家に訪れるものの、分からないまますれ違ってしまいます。
 


27)テーブルに靴を置いて売っている(?)女性がいます。赤い靴を見入っている女性がいます。
 アンデルセン童話の『赤い靴The Red Shoes』からです。
 みなしごとなったカレンは、裕福な女性にひきとられます。そして、堅信礼を受ける年頃いなって新しい靴をこしらえてもらいます。それはエナメルの赤い靴。カレンは、礼儀知らずにもその赤い靴を履いて堅信礼にでてしまいます。さらに、はじめての聖餐式にも赤い靴を履いて。そして、神様のことではなく、靴のことばかり考えていたのです・・・。

『赤い靴The Red Shoes』を読むことができます
『赤いくつ』楠山 正雄訳〔青空文庫〕)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/42378_18502.html

赤い靴が出てくるもう一つの話があります。
アンデルセン童話の『雪の女王』の中ででゲルダは、行方不明になったカイの行方を捜すために、買ってもらったばかりの大切な赤い靴を川に投げ入れます。
アンデルセンにとって「赤い靴」は、物に対する執着を象徴する物のようです。カレンは執着から逃れられず、ゲルダはより大切な物のために捨てるわけです。

28)教会の横は学校でしょうか、子どもたちが、サッカーをして遊んでいます。それを犬を連れた女性が見ています。

29)壁に鐘がつるしてあります。鐘は子どもたちの様子をみているのでしょう。
 アンデルセン童話の『鐘ヶ淵The Bell Deep』からです。
 オデンセ川の淵に沈んだ鐘が、川の精にクヌート王のことを話します。デンマークにクヌート王は何人もいますが、これは聖クヌート王。教会で民衆に殺されてしまったときの話。だから、ここに描かれたんですね。

英文ですが「鐘が淵」を読むことができます
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/the_bell_deep

by forest-doorさん

アンデルセンによると「オーデンセ川に住む水の精にちなむ民間信仰と、アルバニ教会の塔からとびだした鐘の伝説からできた」とのことで、アルバニ教会はアンデルセンの家の近くにあります。


ところで、カネボウの元の名は「鐘ヶ淵紡績」です。何で鐘ヶ淵・・・?ひょっとして創業者がアンデルセンのフアン??
 残念ながら、鐘ヶ淵にできた紡績会社だから鐘ヶ淵紡績のようです。では、地名の由来は・・・そのむかし近くの寺の鐘がこの淵に沈んだのでこの名がついたという伝説があるそうです。これは偶然でしょうか。日本とデンマークと遠く離れた地で、どちらも宗教施設の教会(お寺)の鐘が、川の淵に沈んでいるというのですから。
 ただ、幸田露伴は『水の東京』に、次のように書いています。「・・・鐘が淵は曲尺(かね)が淵にて、川の形|曲尺(まがりがね)の如く曲折するによりて呼びたる名なりと判ず。・・・」なるほど。でも、伝説の方が面白いですね。

30)教会の向こうには、キャベツ畑があって男の人が歩いています。アンデルセン童話の『小クラウスと大クラウスLittle Claus and Big Claus 』からです。馬を4頭所有している大クラウスです。

31)5頭の馬に引かして畑を耕しています。こちらは『小クラウスと大クラウス』の馬を一頭しか持っていない、小クラウスです。いつもは、大クラウスにその一頭を貸していますが、日曜日だけは、大クラウスの4頭も併せて、5頭にして使うことができます。その日一日だけは、五頭とも自分の馬みたいなものです。教会の鐘が鳴って、村の人々が教会へ出かけているのを見ると、つい調子に乗って「そうれ、がんばれおれさまの馬ども!」と叫んでしまいます。すると、大クラウスが「そんなこと、言っちゃいけないぞ。」「おまえの馬は一匹だけでねえか。」と注意します。いくら注意されても小クラウスは、人が通りかかるとうれしくなって「おれさまの馬ども」といってしまいます。大クラウスがいかって、槌をとると、小クラウスのたった一頭しかいない馬の鼻面を殴りつけて殺してしまいます。

挿絵は、なけなしの一頭を殺されて鳴いている小クラウスです。描いたのは、ペーダセン(Wilhelm Pedersenです。

『小クラウスと大クラウス』の話を読むことができます。
『小クラウス、大クラウス』(福娘童話)
「二人(ににん)むく助(すけ)」(小クラウスと大クラウス)尾崎紅葉訳 〔近代デジタルライブラリー (国立国会図書館))
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41009009&VOL_NUM=00001&KOMA=299&ITYPE=0
「小九郎次大九郎次」(小クラウスと大クラウス)上田萬年(説話)近代デジタルライブラリー (国立国会図書館)
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41016138&VOL_NUM=00000&KOMA=143&ITYPE=0


by forest-doorさん

安野さんが絵を担当されている「めるへんいっぱいデンマーク紀行」(宮沢乃里子著)の本ではアンデルセン博物館を訪れてアンデルセンのスケッチを見たときの安野さんのことが紹介されています。
安野さんはスケッチを見て、「絵は自由に描けばいいんだ。へたでもいいんだ。」と気づき、ショックを受けたとおっしゃっているそうです。気取りのない誠実な描き方に感動されたようだと書かれています。

実際アンデルセンの絵を見てみると、本当に素人が描いたような絵ですが、でもこうして絵をかいたときにお話をつくることもあったのかもしれないと思わせるような、アンデルセンの視点にたつことができる絵です。


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シーン7リーベの街(p13〜14)

0)旅人は ユトランド半島の西海岸にあるリーベ(Ribe)にやってきました。リーベはバイキング時代からの古い歴史を持つ街で、8世紀頃にできたデンマークで一番古い街とされています。中世の赤いレンガの建物が500軒残っており、周囲は緑に囲まれていて、最も美しい街とされています。デンマークの首都であった時代もあります。

panorama from the Ribe Domkirke. リーベの町並みを、大聖堂から360°のパノラマ画像を見ることができます。
http://donwiss.com/pictures/Denmark-2005/h0054.htm

1)塔があります。リーベ大聖堂の塔です。

2)左上 花の上を天使が赤ちゃんを抱いて飛んでいます。
 アンデルセン童話の『天使 The Angel』からです。

「地の上で、いい子が一人死ぬたびに、神さまの天使はきっと大空から下って来て、死んだ子を腕に抱き、大きな白い羽を広げて、子供がこれまで好いていた町をいくつか飛びこえて行く道々、両手いっぱいの花を摘んで行きます。・・・・」
 なぜか、天使は裏路地のゴミの中からこちこちに固まった植木鉢の枯れた花を持ってゆくのです。・・・その訳は、お話を読んでみましょう。
 アンデルセンらしい美しい話です。
天使は、アンデルセンの分身のように思います。

左の挿絵は、ペーダセン(Wilhelm Pedersenの描いた絵です。

『天使』の話を読むことができます。
http://riru.nobody.jp/gallery/story2/theangel.htm
by forest-doorさん

P.13左上に子供を抱えて飛んでいる天使は「天使」のお話から。子供が死ぬと、天使がおりてきて子供を抱え、天国に行く前に花をつんでいくのです。
好きだった場所の花をつんでいい、となったら私は何を摘むだろう…
この場合、好きな場所でつむ、ということがポイント。花屋で選ぶのではなく、咲いている場所でつむとなると…
今、街角をあるいているとどこからか香ってくる金木犀がいいかな。子供の時に住んでいた家にあって、毎年とても楽しみにしていた我が家の金木犀。
天使といっしょなら、季節や過去も関係なくきっと思いついた場所に連れて行ってくれることでしょう。
バラやデイジー、桜や紫陽花、好きな花は多いけれど、懐かしい場所や思い出、そんな記憶つきで香りの好きな金木犀になりそうです。
近所の金木犀はすっかり雨でオレンジのじゅうたんになってしまいました。この花の落ちやすさも天使に何とかしてもらわないと、持っていけないですね(^^;


3)白樺の林があります。
 『モミの木』のモミは、屋根裏部屋で、「楽しむときに楽しまなかった」森でのことを思い浮かべます。「もみの木にとっては、その白樺の木は、ほんとうに美しいお姫様のようだったのです。」

4)兵隊が並び、王様が驚き、王女もおどろいています。近くにはバッタがいます。
 これは、アンデルセン童話の『高飛び選手The Jumper』からです。
 バッタ、のみ、とび人形の中で一番高く飛んだものがお姫様と結婚できるというのですが・・・はたして結末は。
 高く飛んだのにもかかわらず認めてもらえず、結婚のかなわなかったものたちに、アンデルセンは自分自身を重ねているのでしょうね。

挿絵は、ペーダセン(Wilhelm Pedersenの描いた絵です。

英文ですが「高跳び選手」を読むことができます
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/the_jumper

5)切り絵を作っている男の人と、それを驚いてみている女の子がいます。
 アンデルセン童話の『小さいイーダの花Little Ida's Flowers』からです。

 男の人は、お話が上手で切り絵の得意な学生さん。学生さんが持っているのは、「お盆の上に白鳥と建物をのせた道化師」と言う切り絵です。アンデルセンは切り絵も得意で、沢山作品が残っています。これもその一つです。切手にもなっています。
 イーダの持っている切り紙もアンデルセンの作品です。Devil maskと名付けられています。悪魔の顔というわけですね。それらしい雰囲気です。

 学生さんは、アンデルセンの分身でしょう。この作品は、アンデルセンの最初の童話集に収録されています。当時は、評価があまり高くなかったとか。でも、個人的にはなかなか良い話だと思います。

アンデルセンの切り絵を見ることができるHPです。
Hans Christian Andersen's Paper Cuts in The Royal Library
http://www2.kb.dk/elib/mss/hcaklip/index-en.htm

「イーダちゃんの花」を読むことができます(福娘童話)
http://hukumusume.com/douwa/0_6/world_pc/03/06.htm
ただし、かなり話をはしょってあります。原作はもっとしっかりしたお話です。ここまで話を変形してしまっては・・・?。きっちりした話は本を読みましょう。
英文ですがこちらなら「Little Ida's Flowers」の全文を読むことができます。
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/little_idas_flowers


6)イーダちゃんたちを見ているネズミがいます。
7)ネズミを見ているネコがいます

8)窓の所に、鳥かごがあり、ビンがつるしてあります。
 アンデルセン童話の『びんの首 The Bottle Neck』からです。
 今は、下半分が割れてしまい、コルク栓をして逆さまに鳥籠に付けられて水入れとして利用されているびんの首が、ワイン瓶として生まれてからの物語です。
 アンデルセンの友人であった枢密院顧問官ティレー氏が冗談で「きみ、ぼくらのためにひとつ、びんの物語を書いてくれないか。びんが生まれてから、首だけになっても、まだ小鳥の餌入れとなって、けっこう役立っている時までの話と言ったようなものをね。」こんわなわけで、この童話ができたとアンデルセンによる解説に、書いています。
 波瀾万丈のその運命はドラマティックです。そして、すぐゴミになってしまう、日本の瓶と違い繰り返し繰り返し使われる姿に、デンマークの生き方を見るようにもいます。最も、アンデルセンの頃の日本は、世界でも有数の「もったいない」社会。どんなもののも、ゴミにしてしまわない社会だったのですが・・・。一方、デンマークは、缶飲料は無く、瓶やペットボトルはリターナブルでその回収率は99%とか。いつの間に、こんなに差が付いてしまったのでしょうか。

挿絵は、ペーダセン(Wilhelm Pedersenの描いた絵です。

 ちなみに、窓の女性は、ワイン瓶の時に婚約の祝いとしてコルク栓を開けられた時の女性。瓶にとっても女性にとっても最高に幸せの時でしたが、瓶も女性もそのことは知りません。

8)左中 バラの所に妖精がいます。アンデルセン童話の『バラの花の妖精 The elf of the rose』からです。
 美しいというよりは、不気味なお話です。ホラーといっても良いかもしれません。アンデルセンは緒言の中で「(その)着想はイタリアの民謡から取ってきたものである」と書いています。
 愛し合う若い男女が添い遂げられないお話という意味では、「びんの首」と重なる部分があるようにも思います。そして、花の精ということでは、「親指姫」と重なる面もあります。同じページに描かれたのは、そのためでしょう。

英文ですが「バラの花の妖精」を読むことができます。
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/the_elf_of_the_rose
by forest-doorさん

そして、花つながりのお話が続きます。
左端の真ん中あたりのバラと妖精は、「バラの妖精」のお話から。
花の中に住む妖精が見た恋人たちと、悪いお兄さんのおはなし。結構怖い部分があります。
でもバラの花びらの重なっている中には妖精がすんでいると考えるのはとても素敵です。
バラをもらうと幸せな気分になれますが、きっとこの妖精のおかげなんでしょう(^^)


9)左下 池の所に、ヒキガエルと女の子とモグラとネズミがいます。
 これは、アンデルセン童話の『親指姫 Thumbelina』からです。
 ヒキガエルは、「シーン5水車」で、川のそばにクルミのベッドごと親指姫をさらってきます。息子の嫁にしようというわけです。逃げ出した親指姫はコガネムシにさらわれますが、放り出されます。死にそうになっていた親指姫を救ったのが、野ねずみの奥さんです。ところが、野ねずみの奥さんは、お金持ちのモグラとの結婚を勧めます。それが、親指姫の幸せだと信じて・・・。

「おやゆび姫」(大久保 ゆう訳)を読むことができます(青空文庫)
http://www.alz.jp/221b/aozora/little_tiny_or_thumbelina.html

10)家の外から子どものベッドをのぞき込んでいる男の人がいます。
 アンデルセン童話の『眠りの精オール・ルゲイエ Ole-Luk-Oie, the Dream-God 』からです。
話しかけているのは、眠りの精オールおじさん、眠っているのはヤルマールです。オールおじさんは、子どもたちにそっと近づいて、子どもたちの目にシュッと甘いミルクを刺すのです。ほんのちょっぴり。すると子どもはもう目を開けていることができません。そして、お話を聞かせてくれるのです。もちろん、毎夜違った話を。

英文ですが『眠りの精オール・ルゲイエ』を読むことができます。
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/ole-luk-oie_the_dream-god

11)庭に鶏がいます。大小10羽。

12)手押しポンプを一生懸命押して、洗濯をしている女性を、ビンを持った男の子が見ています。
 これは、アンデルセン童話から「『あれは、だめな女だった』 She Was Good for Nothing 」からです。

 洗濯女は、息子に酒ビンを持ってこさせます。冷たい川で冷えた体を温めるためです。でも町長さんは息子に「おまえのお母さんはろくでなしだ」といいます。倒れて死んだ後も「あの女はろくでなしだったから。」というのです。
 でも年取ったマーレンおばさんは言います。・・・「私は、何年も前から、それから、あの最後の夜からは、なおさらのこと、ちゃんと知っているんだよ。私は坊やに、はっきり言っておくよ。いいかい、お母さんはね、役に立つ人でした!天国の神様も、きっとそうおっしゃるに違いないさ。世間の人には、かってに言わせておいたらいいよ。あの女はろくでなし、とんでもないとも。」

 アンデルセンの母親は、家計を助けるためにあちこちの家で掃除をしたり洗濯を引き受けたりしていたのです。母親はアンデルセンが28歳の時なくなっています。アルコール中毒であったようです。この物語は、アンデルセンの母をモデルにしていると考えられます。そして、坊やはアンデルセン自身の分身でしょう。

英文ですが「『あれは、だめな女だった』」を読むことができます。
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/she_was_good_for_nothing

挿絵は、ペーダセン(Wilhelm Pedersenの描いた絵です。

12)中央 杖とカンテラを持った人が歩いています。これはリーベ(Ribe)の「夜警」です。
 町の夜間警備として1902年まで続けられていましたが、廃止されました。その後1932年に観光目的で再現され、20時になると大聖堂横の旅籠の前に、夜警が現れます。夏には、それでも明るいのですが・・。伝統衣装に身を纏った夜警について、観光客はぞろぞろと町を練り歩きます。夜警のおじさんは「家の人、ぼうや、お嬢さんよ。時間を知りたいかい。もう寝る時間ですよ。神に祈り優しく賢く。灯や火にご注意 時刻は10時だ」と触れてまわるのだそうです。そして、歴史的建造物の前では、観光案内もしてくれるのだそうです。

13)右上 国旗柄のテントの下では、織機がすえられて、何か織物が織られています。
アンデルセン童話の『皇帝の新しい着物(裸の王様)The Emperor’s New Suit 』からです。
 織物の進行具合を見に来た役人に、。「自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人にはとうめいで見えない布なのです。」と説明しています。実は、織っているふりをしているだけで何もないのですが・・・「何も見えない」とは言えないので、見えているふりをしています。何もないのですが、高価な織物はずですから、しっかり警備の兵隊がついています。

『皇帝の新しい着物(裸の王様)The Emperor’s New Suit 』を読むことができます
『はだかの王さま』大久保 ゆう訳〔青空文庫〕
http://www.alz.jp/221b/aozora/the_emperors_new_suit.html
『霞(かすみ)の衣(ころも)』上田萬年(説話)近代デジタルライブラリー (国立国会図書館)
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41016138&VOL_NUM=00000&KOMA=23&ITYPE=0

 ところで、このお話はアンデルセンの完全な創作ではありません。アンデルセン自身が「スペイン起源のもので、このおもしろい着想全体は、寓話作家ドン・ファン・マヌエル公 ... に負うている」と説明しています。
Don Juan Manuel 著の説話集『ルカノール伯爵El conde Lucanor』 の中に「ある王といかさま機織り師たちに起こったこと」を作り直した物です。スペインの話は、「ばか」には見えないのではなく、父親の実子ではない者には見えないというのです。私生児の相続財産を没収して王室の財産を増大させようとしていたところを詐欺師につけこまれるわけです。こちらは、王様の見栄ではなく、欲につけ込まれるというわけです。
 詐欺師の数も、スペインの話では3人、アンデルセンは2人です。また、スペインの話では王様ですが、アンデルセンは皇帝(エンペラー)にしています。王様(キング)では、デンマーク王室にいやな思いをさせないかと、気を使ったそうです。その割には、日本では王様になってます。(こちらは、天皇に気をつかったのかな)

14)旅人の背後の通路で、機織りを見ている人たちがいます。
15)テントの下の椅子に座って、両手を肩の所に挙げている人がいます。「どんな織物になっているのかみてみたいものだ」とか「着物ぐらいにたくさん金をつぎ込んでいるそうだが、困ったものだ」とか話しているのかな。

16)女の人同士でひそひそ話をしている人があります。やっぱり皇帝の新しい着物についてのうわさ話でしょう。
17)男の人が腕組みをして話しています。こちらは、難しげな雰囲気ですから、色々心配しているのでしょう。
18)女の子も、機織りの様子が気になるようです。
19)通路に看板のようなものが2つありますが、これは何?

20)赤の水玉の女性がハンドバックを持って歩いています。なんだか、デンマーク編ではこの柄のドレスを着た人が多いようにおもいますが・・・。

21)国旗柄のテントを張り出した家の手前には、棒きれを持ったネズミが3匹います。
これは、アンデルセン童話の『ソーセージの串で作ったスープ Soup on a Sausage Peg 』からです。
 ネズミたちが持っているのは、ソーセージの串です。これで、スープを作ることができたネズミが、王の妃になれるというので、4匹の雌ネズミが立候補します。それぞれソーセージの串を一本ずつ持って、旅立ちますが・・。期日にかえってきたのは、3匹だけです。心配したように、ネコにやられてしまったのか?!
そういえば、6)でイーダちゃんを見ていたネズミは、ネコに狙われていました・・・。あのネズミがかえってこなかったネズミでしょうか。
 物語では、ぎりぎりでかえってきます。ただし、彼女は串を持っていませんでした。そして、意外な結末が・・・。

 ※「ソーセージの串でスープを作る」というのは、デンマークのことわざのようです。アンデルセンはそれを「一粒の種」としてこの話を作ったのです。ちなみにもとのことわざの意味は?物語の中に出てくる言葉を拾うと。『人がもし詩人ならば、ソーセージの串でスープを作ることができる』と2番目のネズミが出てきます。また『・・・はね、人間のことわざなんだよ。色々な意味に取ることがね、めいめい自分の考えているのがいちばん正しい意味だと思っているのさ。まあ、つまり言ってみれば、何でもないということさ!』と串を無くしたネズミが言います。後者の解釈がたぶん一般的なのでしょう。

英文ですが「ソーセージの串で作ったスープ」を読むことができます。
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/soup_from_a_sausage_skewer

挿絵は、ローレンツ・フローリク(Lorenz Frolich )の絵です。

22)赤ちゃんを抱いたお母さんが、女の子を連れて馬に乗った人たちを見ています。

23)山羊に乗って、カラスの死骸を振り回している男がいます。
 アンデルセン童話の『まぬけのハンス (Clumsy Hans)』からです。
お姫さまが「上手にはなしのできる男をおむこさまにする」というおふれに応じて、賢い兄さんたちは出かけます。その後を追って出かけたハンスは、途中で死んだカラスとこわれた木ぐつをひろい、ドブの泥をもってお城に行きました。さて、どうなるのでしょうか。

  『ソーセージの串で作ったスープ』の話も『まぬけのハンス』も、課題を乗り越えて「玉の輿」に乗るというパターンです。昔話によくあるパターンです。これらの課題は、子どもから大人になる為に乗り越え無ければならない課題であり、「成長を象徴していると考えられます。ただ、『ソーセージの串で作ったスープ』の場合は、物語に込めたいメッセージが高度になってしまって、設定が複雑になっています。『まぬけのハンス』の方は、デンマークの民話を自由に再話したと、緒言で述べています。昔話の天衣無縫さがあって、その分ストレートだと思います。

挿絵は、ペーダセン(Wilhelm Pedersenの描いた絵です。

英文ですが『まぬけのハンス』を読むことができます。
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/clumsy_hans

24)馬に乗った二人は、ハンスの賢いお兄さんたちでしょう。

25)クリスマスツリーの前に立つ女の子がいます。
 これはもう、アンデルセン童話の『マッチ売りの少女 The Little Match Girl 』からです。
 暖かさを求めてつけたマッチの灯りの中に、クリスマスツリーの幻があらわれています。

アンデルセンは、外国旅行の途次、フリンク氏から、手紙に同封した3枚の絵を基に童話を書いて欲しいと依頼されます。アンデルセンが選んだのは、マッチを持っている貧しい少女の絵だったというわけです。絵はヨハン・トマス・ルンドビーJohan Thomas Lundbye(デンマーク、画家1818)がカレンダー用に書いた挿絵でした。マッチは、当時は珍しいもので、デンマークにはそのマッチを街で売るこどもたちがいたようです。

『マッチ売りの少女The Little Match Girl 』を読むことができます
『マッチ売りの少女』大久保 ゆう訳〔青空文庫〕
http://www.alz.jp/221b/aozora/the_little_match_seller.html
『マッチ売りの少女』結城 浩訳〔青空文庫〕
http://www.hyuki.com/trans/match.html
『木燧売』上田萬年(説話)近代デジタルライブラリー (国立国会図書館)
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41016138&VOL_NUM=00000&KOMA=89&ITYPE=0

ところで、クリスマスツリーは『モミの木』の話も、関係しています。モミの木が、最も輝いていたのは、クリスマスツリーとして飾られ灯りがともされたその時だった訳ですから。

26)p14の左下の建物の窓のいちばん右側 屋根のマークの中に「あ」とあります。スペイン編でも出てきましたが、安野さんの生まれた津和野にある安野光雅美術館のシンボルマークです。


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シーン8オーフスの街(p15〜16)

0)旅人は 実はリーベの街が続いていると考えていたのですが・・・。安野さんは、オーフスArhusの街だと言っておられるようです。
オーフスは、バイキングが活躍していた1000年も昔から、商業の街として栄えていたデンマーク第2の街です。
オーフスにはガムルビュDen Gamle By(「古い町The_Old_Town」という野外博物館があります。デンマーク各地から、15世紀から19世紀に実際にあった家や建築物を集めて数百年前の街並みとその生活を再現しているのです。この野外博物館にある建物が絵本の中に沢山再現されているようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Old_Town,_Aarhus

1)左下 荷物を持った男が、家の中をのぞいています。これは・・アンデルセン童話の『小クラウスと大クラウス Little Claus and Big Claus 』からです。

 馬を1頭しか持っていない貧しい小クラウスは、4頭持っている大クラウスに、なけなしの一頭を殺されてしまいます。仕方なく皮をはいで町に売りに行きます。男の持っている荷物はその馬の皮です。日が暮れてしまい、百姓屋に宿を頼みますが断られます。仕方なく納屋で寝ていると、窓から中が見えます。おかみさんと、役僧が食事をしています・・・。

『小クラウス、大クラウス』(福娘童話)の話を読むことができます。

2)馬に乗っている男がいます。 これも、『小クラウスと大クラウス』からです。
出かけていたお百姓さんが帰ってきたのです。このお百姓さんは、役僧さんが大嫌い。役僧さんも、そのことを承知していて、いないときにやってきていたのですが。お百姓さんが帰ってきたのです・・さあどうなるでしょう。

3)果物屋さんがあります。立っている人は、お客さんでしょうか

4)赤の水玉の服が看板になっているのは、ミシンがあって仕立屋のようです。
 デンマーク編と、赤の水玉の服の関係は、謎のままです。
Den Gamle By野外博物館に右の写真のような仕立屋工房の展示がありました。

5)若いカップルが、店に来ていますが・・・。男の人は、後ろを見ています。何を見ているのでしょうか。

6)抜いた歯とペンチが看板の家は歯医者さんでしょう。家のデザインは、リーベのオールドタウンによく見られる木組みの家ですが・・・。アンデルセン童話の『古い家 The Old House』の挿絵の家とよく似ているように思います。
ペーダセン(Wilhelm Pedersenの描いた絵です。ただ、出窓が出っ張っていないし入り口の階段がないのが、大きなな違いで・・・。

7)歯医者さんでは、お年寄りがベンチに座って順番を待っているようです。窓口では看護士さんがいます。

8)前の道では、魔法使いのようなおばあさんと子どもが話しています。これは、アンデルセン童話の『歯いたおばさん Aunty Toothache』からです。

 「歯痛おばさん」は物語の中で、学生さん(アンデルセン自身の分身でしょう)の母方のミレおばさん。年は取っても白い歯を持っている人ですが、以前歯痛に苦しんだときのことをもとに、おばさんの友人で醸造家のラスムッセンが付けたあだなです。
 ミレおばさんは、学生さんの詩の才能をたたえ、作品をたたえ、書くことを励まし続けてくれます。
 ところが、吹雪の夜、ミレおばさんを下宿に泊めたとき・・・・、夢に恐ろしい老婆が現れます。強烈な歯痛と共に。そして、「・・大詩人は大いなる歯痛を持ち、小詩人は小なる歯痛を持つ!」「そうじゃ、もしそなたが詩人たることを断念し、もう2度と詩を、紙・石版・その他どんな物にも書くまいと思うなら、わしはそなたをゆるしてやろう。だが、詩を作ったらまたやってくるぞよ。」しかも、ミレおばさんの中に自分を見るであろうと言い残して去ってゆくのです。
 朝になると、ミレおばさんはやっぱり「あなたはわたしの詩人よ」と励まします。

 この作品はいったいどうしたというのでしょう。不思議な作品です。アンデルセンの断筆宣言だったのでしょうか。まさか、歯痛が原因ではないのでしょうが、以後作品がないのです。アンデルセンによる解説の中で、「時に、童話『歯痛おばさん』は、わたくしの最後に作ってかきおろしたものなのである。」と書いています。

英文で「歯痛おばさん」を読むことができます
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/aunty_toothache

9)歯医者さんの屋根・パン屋さんの屋根に3人もの煙突掃除人がいます。
 一体これは?特にパン屋さんは営業中で、釜に火が入っています??
 それにしても、煙突やさんたちは、シルクハットをかぶりスーツを着て仕事をしています。この格好の絵をよく見ますが??いったいどんなわけがあるのでしょう。
 煙突掃除人が出てくるアンデルセン童話といえば『羊飼いの娘とエントツ掃除人 The Shepherdess and the Chimneysweep 』ですが・・・。物語のエントツ掃除人は人形ですし、1体だけです。
 そもそも、エントツ掃除人を人形にするというのは、どういう意味なのでしょうか。

10)石窯でパンを焼いているパン屋さんがあります。庭のテーブルには、秤が置かれ、生地をのばすための棒もあります。安野さんは、物作りの描写はいつも丁寧です。

11)パン屋さんの看板は、プレッツェルです。安野さんは、パン屋の看板にプレッツェルをよく使われます。
左のDen gamle by(オールドタウン)野外博物館にある、パン屋さんにもプレッツェルの看板が掛かっています。

12)おいしいパン屋さんなんでしょう、お客さんが、たくさんのパンをかかえて帰っています。
 Den gamle byでは、実際にパンを作っていてそれがかなり美味しいようです。右の写真のように街の中にも古い時代の扮装をしたスタッフがたくさん控えていて雰囲気をもりあげているようです。

13)ツバメが飛んでいます。そして、小さな女の子が乗っています。
 アンデルセン童話の『親指姫 Thumbelina 』からです。

 世話になっているネズミのおばさんに、モグラさんとの結婚を押しつけられていた親指姫は、凍死しそうな所を助けたツバメに救出されます。ツバメと共に、南の地に飛びそこで、花の王子様と出会い、幸せな結婚をすることになります。そして、密かに親指姫に思いを寄せていたツバメは、失恋の痛手を隠して2人の結婚を祝福するのです。ツバメは、アンデルセンの分身ですね。

14)ここまで逃げてきた、脱獄犯が転んで、警官に捕まっています。
 この結末、分かりやすいけど、おもしろくないなあ。個人的には、イタリア編の結末が好きです。

15)倒れた脱獄犯の右側で、バトン(警棒?)のような物を持って待ちかまえている人がいます。
 この人は?・・・逮捕している警察官の仲間でしょうか、それとも脱獄犯に何か渡そうと待ちかまえていたのに、果たせなかった人なのでしょうか。新たな謎が(^_^;)

16)逮捕劇の背後の壁に、何か張り紙がしてあります。これは何?
 安野さんのこれまでの例からすると、モデルにした家の所にも、何か張り紙があったのでしょう。
 建物のモデルは、ガムルビュ野外博物館にある建物だろうと思います。

17)煙突の上の煙突掃除人の向こう側、緑の扉の左側にも張り紙があります、これは何?

18)右上 男の人がひく馬車には、モミの木の小さな木を抱えたおばあさんと、クリスマスツリー用のモミの木が積んであります。『モミの木』関連でしょう。
 馬を引いている人の前のベンチの背もたれの中央部分に何か四角の物がついているのですが?これは何でしょう。
 写真の建物の前にもベンチがあるようですが・・・。 


19)乳母に抱かれた赤ちゃんをあやしている男の子と、それを二階の窓から見ている男の人がいます。これは、アンデルセン童話の『門番のむすこ The Porter's Son 』からです。
 赤ちゃんは二階に住む将軍の娘エミーリエちゃん、あやしている男の子は地下に住む門番の息子ゲオルグ、二階から様子を見ているのが将軍です。

 ゲオルグは、才能にあふれた子どもですが、エミーリエちゃんとの社会的な立場の違いは圧倒的です。しかし、伯爵のバックアップを受けて留学させてもらい、建築技師・教授・枢密顧問官と出世をし、娘の両親の反対も克服して、エミーリエと結婚を果たし、幸せな家族を築きます。
 アンデルセンの童話のほとんどが、失恋や悲劇的な幕切れであるのに対して、この話は完全なハッピーエンドです。ゲオルグの人生こそが、アンデルセンがそうありたかった理想をあらわしているのでしょう

挿絵は、ローレンツ・フローリク(Lorenz Frolich )の絵です。

英文ですが「門番のむすこ」を読むことができます。
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/the_porters_son

by forest-doorさん
「門番のむすこ」はアンデルセンの実際の境遇と希望が混ざったようなお話です。
門番の息子は将軍の娘エミーリエに思いを募らせています。
身分の差があった時代、門番の息子は建築家の若い教授にまでなってようやく認められたのです。
アンデルセンはパトロンの娘に恋していて、身分のことから歯牙にもかけてもらえなかったのを悲しんでいたんでしょうね。このお話では自分の代わりに門番の息子に幸せになってもらうことで、そんな悲しみを癒していたのかもしれません。


20)広場で雪だるまを作っている子どもたちがいます。アンデルセン童話の『雪だるま The Snow Man 』からです。
 この雪だるまは、よりにもよって、ストーブのことを好きになって、恋いこがれます。それには、本人にも意識できない訳があって・・・。

挿絵は、ローレンツ・フローリク(Lorenz Frolich )の絵です。

『雪だるま』を読むことができます(福娘童話)
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/02/06.htm
・・(基本的はストーリーは変わっていませんが)原作からかなり変更されています。どうしてこんな変え方をされるのでしょう?原作が読みたい人は、本を読みましょう。

21)隣では、雪を転がして雪玉を作っている子どもたちがいます。日本の雪だるまは、このように大小の雪玉を重ねて作りますが・・・ヨーロッパ(デンマーク?)では、そもそも作り方が違うようです。札幌の雪祭りの雪像のように、しっかりと芯を作って雪を重ねて行くようです。その結果、挿絵のようにスマートな雪だるまになっています。

22)お兄ちゃんたちの雪だるま作りを見ている小さな子どもの脇には、とびきり小さな雪だるまもできています。この形は、日本風ですね。

23)大量の布団を持ち込んでいるHOTELがあります。壁にはエンドウ豆が描かれています。アンデルセン童話の『エンドウ豆の上に寝たお姫様 The Princess on the Pea』からです。

 雨とあらしでずぶ濡れになっていた女性が、本物のお姫様であることを証明する方法は・・・20枚も重ねた布団の下に置かれた一粒のエンドウ豆の種。これが気になって寝られない人こそが、妃にふさわしいお姫様というわけです。
 この話はアンデルセンが子どもの時に、紡ぎ部屋や、ホップ摘み際に聞かされた話と言うことですから、昔話が基になっているわけです。まあ、昔話によくある荒唐無稽さと言えますが・・・。
 アンデルセンの創作童話は、主人公が才能ゆえに評価されるべきであるとの考え方が基底にあるように思います。才能があるのに正当に評価されない場合もありますが、その場合は、その不当さを訴える形になっています。ところがこの話は、まるきり逆です。たかが、豆一粒で寝ることができない能力?ですから。むしろ、できないことが評価の対象になっています。ただ、昔話には良くあるパターンです(末の子どもだったり、まぬけだったり、弱い者が最後に勝利する)。これは、力のない子どもたちに、希望を与える役割を果たしていると思われます。ただ、この話の場合は、アンデルセンの上流社会に対するあこがれが出たように思うのですが。
 アンデルセンの持っている二面性を感じます。

「エンドウ豆の上に寝たお姫様」を読むことができます。
(福娘童話)
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/06/06.htm
正確な全文訳を見ることもできます。(〜趣味のデンマーク語のススメ〜)
デンマーク語と英語訳と日本語訳の対比がされています。デンマーク語・英語に興味のある人が、大変参考になると思います。
http://www.eigo21.com/etc/dansk/andersen_princess00.htm

24)布団を運んでいる馬車ですが、ガムルビュ野外博物館にある、馬車(左の写真)がモデルのように思います。

25)ホテルの建物は、リーベにある古い旅館「ホテルダクマー」がモデルにされているかも。建てられたのは1580年といいますから、築後400年以上です。今もホテルとレストランとしていて、泊まることができるそうです。名前の由来はチェコ出身でバイキング王の妃となったダクマー妃だそうです。彼女は、23才の若さで病死してしまうのですが、その慈悲深さからリーベの人々に今も愛されているとか。
ただ、ここはもうオーフスだとすると・・・だめかな?

26)長靴を拾おうとしている夜警がいます。
アンデルセン童話の『幸福の長靴 The Galoshes of Fortune 』からです
 長靴は、「誰でもこれをはくと、そのとたんに、その人の一番望んでいる場所なり、時代なりへ連れて行ってくれる」不思議な靴です。さて、履いた人は幸福になれるでしょうか・・・
 最初に履いた法律顧問官は、ハンス王の時代にあこがれていましたが・・・道は泥道、街頭はなし、馬車もなし、橋もなし、なし、なし・・・で、戻れてやれやれです。続いて履くのが、夜警です。中尉さんの家から落ちたのだろうと届けますが、反応がありません。家の中は暖かくて良いだろうなあ、うるさいかみさんのいない独身は気ままで良いだろうなと思いながら、寒さしのぎに長靴を履くと・・・中尉さんに・・・失恋した中尉さんは、夜警の人がうらやましい、気にかけてくれる家族があって幸せだろうなあ・・・。無い物ねだりは世の常ですね。

 物語の舞台はコペンハーゲンですが、夜警だからリーベの街に登場したのでしょう。ちなみに、挿絵はペーダセン(Wilhelm Pedersen)の描いた絵です。こちらは、中尉さんの家の前に座り込んでいる絵です。これでは夜警であることがわかりにくいからでしょう、安野さんはカンテラを持って、通りで長靴を発見したところを描かれています。

「幸福の長靴(幸福のうわおいぐつ)」を読むことができます(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/42380_21523.html
※「The goloshes of fortune」のgoloshesは、長靴(Boots)よりもオーバーシューズだと思います。雨天や降雪の時, 靴の上に履くものです。その意味では、青空文庫の楠山正雄の「うわおいぐつ」という訳が、原意に近いと言えます。日本でのなじみがないので、長靴と訳されるようになったのでしょう。

27)隣の万年筆を看板にしている家は、何の店でしょう。文房具店でしょうか?あるいは・・・作家の家と言うことでしょうか。
 「幸福の長靴」で、4人目に長靴を履くのは、書記さんです。そして、詩人になりたいと思うのです。(この場合の詩人は、ほとんど作家ということです。)ということで、この家は詩人の家では無いかと思います。

28)大量の布団を馬車から降ろしている人たちの、隣には、マッチが消えて薄れてゆくクリスマスツリーを見つめているマッチ売りの少女がいます。前のシーンからの続きですね。
『もみの木』の視点で見ると、華やかで誇らしい時は瞬く間に過ぎてしまい・・・。その先には・・・。

29)シャボン玉をしている子どもと、おばあさん。その右手にはバラの花が咲き乱れています。これは、アンデルセン童話の『小さいみどりたち The Little Green Ones 』からです。

  バラの木の小さい兵隊さんたち・・・アブラムシのことです。石けん水は、小さいみどり(アブラムシ)の駆除のために持ってこられましたが。シャボン玉に使う方が、平和的で美しい。そして、シャボン玉が割れると、お話おばさんが立っていたのです。
アンデルセンは、アブラムシをよく観察したのか、生態になかなか詳しいです。(無性生殖で卵でなく子どもをそのまま産んだり、有性生殖で卵を産んだりの事を知っていたようです)

英文ですが「小さいみどりたち」をよむことができます
http://www.andersenstories.com/en/andersen_fairy-tales/the_little_green_ones

それにしても「実は、このバラの木は兵隊の宿舎になったのです。そして、兵隊たちはバラの木を食いつぶしてしまったのです。・・・」と書いてあります。アンデルセンの反軍思想の持ち主なのでしょうか?確かに、軍隊(アブラムシ)に食いつぶされてしまったり、軍隊のために弱ってしまった国は多いですね。

30)家の角に、花を生けた大きなバケツ(桶・鉢?)があります。
31)屋根の上に、コウノトリの巣があります。巣はあっても親鳥の姿が見えません。
 リーベは幸福を運ぶコウノトリがやってくる街としても知られているそうです。「コウノトリが来たら夏の始まりだ!」と感じる存在です。そんなリーベでも環境の変化がはげしく、やってくるのは数羽になってしまったそうです。巣が空になっているのは、そういう意味なのかも知れません。
 ただ、クリスマスシーズンですから、単に南に渡って行っていると考えればいいのかも知れません。

32)右隣の屋根の上には、カラスがいます。『幸福の長靴』の中で、書記が詩人になった時に、子どもの時の事を思い出します。「熱くした銅貨を、凍てついた窓ガラスにあってのぞき窓を作って遊んだものだ。そこから外をのぞくと・・・・船頭のいない船が氷に閉ざされていて、カラスが一羽、まるで乗組員みたいに、とまって鳴いていた。・・・」とあります。

33)右上 木の枝に小鳥が2羽とまっています。これも『幸福の長靴』の中で書記が、ヒバリになります、そして捕らえられて小さな鳥かごに入れられますが、隣にはオウムとカナリヤがいます。このヒバリとカナリヤではないかと・・・思います。

リーベとオーフスの街のシーンでは、アンデルセン童話が立て続けに描かれています。安野さん自身が指摘されていない童話も入れると・・・19〜23話。すごい!確認してみましょう。
1.天使  2.(モミの木)  3.高跳び選手  4.イーダちゃんの花  5.びんの首  6.バラの花の妖精  7.親指姫  8.眠りの精オール・ルゲイエ  9.あれは、だめな女だった  10.裸の王様  11.ソーセージの串で作ったスープ  12.まぬけのハンス  13.マッチ売りの少女  14.小クラウスと大クラウス  15.(古い家)  16.歯いたおばさん  17.(羊飼いの娘とエントツ掃除人)  18.門番のむすこ  19.雪だるま  20.エンドウ豆の上に寝たお姫様  21.幸福の長靴  22.小さいみどりたち  23.(コウノトリ)
以上です。アンデルセン童話とリーベ・オーフスは特別の関係があったでしょうか?


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