セコイアでセコイアを描く 
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マーセドグローブ(セコイアの群生地のひとつです。詳しくはマーセドグローブでのディープな一夜をご参照ください)で、とても楽しい一夜を過ごした朝は、薪割りで始まりました。インストラクターのシャーリーが炊事に使う薪を割りはじめると、森の中から起き出してきた仲間が集まって来ます。薪割りならまかせとけと、次々名乗りを上げます。安全確保のために、使用上の注意を受けた後、挑戦です。それぞれ、強烈なパワーで割ってゆきます。ところが、手加減と言うものを知りません。大きな薪を一刀両断までは良かったのですが、ついに土台までまっぷたつにしてしまいました。\(__ ) ハンセィ。
その後もパワーは収まらずさらに土台を半分にしてとうとう使い物にならなくしてしまいました。シャーリーさんもあきれながら笑ってました。

そんなこともありながら、朝食を済ませると、マーセドグローブ内のミニハイクです。シャーリーさんの案内で森の中を行きます、踏み後すらできてなくて、けもの道をたどるような形です。(もっとも、林床にはほとんど下生えが無いので、ブッシュをかき分ける様子をイメージすると随分違います)
しばらく行くと大きなジャイアントセコイアが固まって生えている所に出ました。木の根本でお話しをと思って近づいてみると、根本にある蜂の巣をクマが襲っていました。と言ってもクマが居たわけではありません。大きな蜂巣の残骸と生き残りの蜂たちが居ただけです。蜂に襲われる可能性を考えて、少し離れることになります。近くに横たわるジャイアントセコイアの倒木の上にみんな座っての話になりました。

開拓者たちが初めてセコイアを見たときの感激、そのことを他の人に信じてもらう苦労(ほら吹きと思われて確認してもらえなかったのだそうです)。仲間が知ることになっても、アメリカ東海岸の人たちに信じてもらえない・・・。何かと世界一の好きなカリフォルニアの人はほら吹きという認識があったようです。そこで、信じてもらうためにとりわけ巨大なジャイアントセコイアの表皮をぐるりと剥いで、東部に持っていって組み立てて、どうだ本当に世界一だろうと主張します。新世界の西部の人たちが安定した文化を持つ東部の人たちに認めてもらいたい精一杯の気持ちが伝わってきます。でも、このためにそのセコイアは枯れてしまいます。何千年という月日をかけて育ったセコイアが・・・。
また、材木として次々と切り倒されてゆきます。かけがえの無い生命体が。さらに、根元に巨大な穴を空けて馬車を通してみたり、巨大な切り株の上で舞踏会を開いてみたり・・・。それこそ大きなもの好きのカリフォルニアの人たちの満足のために、次々と消されて行ったのです。しかし、やがて人々は気がつきます。3000才の木が育つには3000年かかることに。切ってしまったら・枯らしてしまったら自分たちの世代では取り返しがつかないことに気がついてゆきます。森を私有する人たちの経済的な利益との調整をしながら、切り倒さずに守る運動が展開されるようになります。

ここで、参加者の中から疑問が出ます。日本ならこんな巨木があれば、単に取り返しがつかないものという感情だけでなく霊的なものを感じて、しめ縄を掛けるなどして神や仏として祀ることになるだろうに、アメリカではその様なことを感じないのか、しないのかと。二人のインストラクターは考え込みます。実のところ、彼女たちは木の中に生命を感じるわけです。同じ地球に生きる生命体として、先輩としての尊敬の念もあるわけです。
しかし、社会的にはどうか?同じように感じる人が居たとしても、一体どの宗教で?考えてみれば、日本でもそうで伝統的にある種の宗教が神木としている歴史があればともかく、国立公園内の木にしろ岩にしろを、特定の宗教(神道にしろ・仏教にしろ・キリスト教にしろ・・・)の発想で祀るとすると、社会的な共通理解は困難でしょう。ましてや、アメリカは多様な民族・宗教の集まった国です。
ヨセミテインスティチュート(YI)でインストラクターとして働く二人にとって、宗教に関わることや政治的な関わる事について参加者に伝えようとする場合は、一定の自制が必要になります。特定の宗教を押しつけたり、政治的立場を取るように指導することも、避けなければなりません。ぎりぎり、事実を伝えて後は参加者ひとり一人が判断する材料を提供することにとどまらなければならないわけです。隔靴掻痒の観もありますが、この自制は教育者としては、私たちも大切にしなければならないことだと思いました。もちろん、自制することと、自らが宗教性を持つことや政治的見解を持つこと、それにともなって行動する事は矛盾しない事です。

《はがき2枚にセコイアで
     セコイアを描く》
   あまりに大きいので根元しか
   描くことができません


思わず盛り上がってしまった論議は、一旦置いて。セコイアを描こうと言うことになりました。なんと、ペンも絵の具も使いません。セコイアの樹皮の色は、落ちた樹皮をこすりつけて出します。ペンの代わりにセコイアの炭を使います。炭はこれまでの何度も火事を乗り越えて来たセコイアのあちこちに炭化した部分があるのです。さらに、あふれている樹液をもらって、水で溶くとインクのように使えます(ジョンミュアはこの樹液のインクで手紙を書いていた事で有名です)。スケッチブックやはがきやレポート用紙を使ってそれぞれの人が、セコイアを書き始めます。何しろ大きなセコイアなのでうまく表せないのですが、何しろセコイアの一部を使わせていただいてのスケッチです。いつも描いているのとは随分違う感じになります。ただ、形や色を写すだけでなく、セコイアの生命そのものを込めるような気持ちになって行きます。楽しくてスピリチュアルな体験です。

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《まき割り》
 この時すでに台は割れてしまっ
 ています。それにしても小さく割
  るのには鉈があればなぁ。


《ジャイアントセコイアに登る?
       いや抱きつく!》


《セコイアの倒木の
     上での討論会》


《セコイアは見ている
   だけでl心が温かくなる》