「モヤさん」の人と自然の出会い旅Y

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人と自然の出会い旅19

歩く 歩く《前編》

人間にとって、もっとも基本的な移動手段は?と問われたらなんと答えますか。私は、歩くことだと考えています。決して車でも、電車でも無いはずです。私は、長いこと歩くことに関わってきました。そもそものはじめは、高校時代に仲間が歩き旅に誘ってくれて事でした。地形図を見る楽しみもそのころから始まりました。大学のクラブも、クラブ紹介で100kmハイキングという行事があるのを見て決めました。その行事では、夕方あるいは夜から歩き始めて、翌日の夕方まで およそ100km歩いていました。ある時は鎌倉から三浦半島へ、ある時は成田山から霞ヶ浦の方へとか、ひたすら歩き続けるのです。最後は足にまめができて、その上膝もおかしくなる者のもでて、それでもゴールすると何とも言えない達成感があるのです。そのころは、自然との関わりというより、その達成感が、魅力でした。

大学を卒業してしまうとそんな世界とはおさらばと思っていました。(山登りやハイキングはするつもりでしたが・・・・)ところが、体力維持のために入ったサイクリングクラブの仲間が、50km歩行に誘ってくれました。福山にあるユースホステルクラブの恒例行事で、冬に福山から上下町というところにあるMG(モダンガイド)YHまで50Kmの、夜間ハイクです。嬉しくなって参加しました。これは、一般公募で集まってきた老若男50〜100人もの人と夜を徹して歩きます。基本的に、全員が歩ききることを目指していましたから、休憩や食事やトイレの予定を組み、小グループに分けてホローしながら歩きます。小学生もお年寄りも、ほとんどの人が50kmを歩ききります(半数ぐらいの人は、もうぎりぎりといった状態でですが)

行事が終わると、実は100km歩行があるんだがと、誘われました。50Km歩行は一般公募ですが、その参加者の中からまだ余力のありそうな者をピックアップしての計画です。これも、嬉しくなって参加。ところが、この歩行は学生時代にしていたものよりハードでした。コースがつらいのです。福山から北へ中国山脈を目指します。油木町という標高500mほどの町へ着くころが、およそ半分の50km。さすが、選ばれた人たちということもあって、ここまでほとんど休憩無しでどんどん歩くことができますきます。周囲は少し明るくなってきますが、まだ日の出前。持ってきた食事を道路端で食べるます。この時点では、まず全員元気です。
ここからが大変です。東城という町へ向けて約15km一気に標高を落としてゆきます。50kmの歩行で疲れた筋肉は、食事の休憩で休むあいだに冷えて、きつい下りで体重を支えるのが難しくなります。なれない人は、膝の痛みがだんだんひどくなって行きます。東城で昼食を食べ終わるころには、残り35Kmを歩く気力がなくなってしまう人がでます。そこからまた一気に中国山地の頂上付近にある道後山に登ります。深夜YHにつくと何とも言えない満足感が生まれます。こうして、毎年50km歩行と100km歩行を繰り返す内に、歩行仲間の中に、もっと先に行ってみたいという意見が出てくるようになりました。

こうして、福山から美保関までの200km 歩行が計画されました。何度かの挫折の後、ついに決行。夜出発して24時間かけて道後山へ。不思議なことにこのときは、100km歩いても元気でした。一泊して、翌朝から100kmを一気に(夜明け前に仮眠は入れましたが)歩きます。膝には厳しい下りが続きピッチはあがりません。最後には、雨まで降ってきて・・・・。10人の参加者の内4人だけが、美保関にたどり着きました。

長く歩くことは、つらく、でも充実したものです。このころはこの充実感がうれしくて、続けていたと思います。少し、違った意味で歩き続ける人の話を次回にはしてみたいと思います。
2000.12.11
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人と自然の出会い旅20
歩く歩く後編《榛谷さんのこと》
1993年のことでした。ネイチャーゲーム仲間のOさんから、「おもしろい人が家へ来るから会いにこないか」との連絡が入りました。何でも、歩いて本州を一周している人だというのです。こんなチャンスを逃す手はないぞと、仕事が終わって自転車で出かけてゆきました(私の、基本本的な移動手段の2番目は自転車です)。それが榛谷さんでした。職業はTVのディレクター。でも、この歩きはテレビの仕事というわけではなく、仕事を(何ヶ月も)休んで歩いているというのです。それも、並の一周ではありません。できるだけ海岸線に近ところを、徒歩で・・・・。宿は、行く先々で適当に見つけながらの旅です。ところが、歩いての一人旅ともなると、なかなかうまく宿も取れない(宿の人が不審がって泊めたがらない!)事もあって、全国の友人知人や、そのまた友人知人を頼って、可能なところは民泊で旅を続けられているというのです。Oさんの所も、Oさんの親戚を通じての依頼だったようです。

出会って、すぐにうち解けた雰囲気になって、歩きのことやネイチャーゲームのことなど、夜遅くまで語り込みました。それにしても、「十代二十代の若いときならともかく、働き盛りの今(当時榛谷さんはすでに50代だったと思います)、仕事を休んでまでなぜ?」「この歩き旅の中で何を?」との、問に対して「それは、歩き終わったときに答えがでるかも知れません」と言われてしまいました。別にはぐらかされたわけではありません。
実は、榛谷さんにとって、長期の歩き旅はこのときが始めてではありませんでした。19991年、北海道をやはり海岸線沿いに歩いて一周されています。この時の事は山と渓谷社から『北のオデッセイ』として出版されています。この、北海道の旅で感じた事《自然のこと歴史のこと文化の事》を受けて、本州一周の旅をされているわけで、何故?といっても、むしろ、その答えを求めての旅という事だたのです。

それにしても、この時であった榛谷さんはとてもさわやかな印象でした。長期間仕事を休んでの計画だというのに、肩肘張った気負いを感じ無いのです。日常生活でも、仕事の必要でやむを得ない時以外は車を使わないようにしているといわれます。私も、大学を卒業してすぐに関わった、火力発電所の建設反対運動(福山は、そのころ工場の出す排煙等で、大気汚染がすすみ、四日市よりも高い小児喘息の発生率になっていた地域がでたり、光化学スモックが発生したり、急速に松枯れが進行したりという状態でした)のなかで、自分が排気ガスを出しながら、公害反対もないだろうと、車の免許を取らないことにしていました。(未だに免許を取っていません、年をとって体力的に必要になったときには・・・受けても合格しない!?)そんなこともあり、私たちが日常生活の中で、必然的に環境に与えてしまっている影響についても、話が進んでゆきました。榛谷さんは、家にエアコンもつけていないそうです。都会に住んでエアコンをつけないとどんなことになるか・・・・。暑いときは当然窓を開けて涼をとりたくなるわけですが、窓を開けるとそこには、隣の室外機が、温風をたっぷりと供給してくれるというわけです。私が車の免許を取らないのもそうですが、家族にとってはいささか「迷惑な話」で、色々言われています。それ以上の事を家族の人たちの理解を得ながら、実践されている姿に共感を覚えました。

その後、Oさんやわたしの知人の家に民泊しながら広島県を通過されて、多くの出会いを重ねられながら、見事本州一周を達成。この時の事は、『風のオデッセイ』として出版されています。さらに、その後九州を歩いて『南のオデェッセイ』を書かれています。さらさらににその後、四国を歩かれて、ついに完成されてしまいました。

歩くことで見えてくる世界、感じる事のできる自然、ふれあうことのできる風土がある。確かに、そう思います。そして、歩く人・旅する人に共感を覚えてしまう私
がいます。

榛谷さんの歩きの著書を紹介します。
●「北のオデッセイ」 北海道沿岸ぐるり徒歩の旅
榛谷 泰明著 1165円 B5変 120ページ 山と渓谷社
歩くこと2400?、気鋭の映像作家が、故郷の大地を99日間、自分の足で歩き、綴ったエッセイ&フォト。その語り口と映像に、自然と人間のあるべき姿、未来への熱
い思いをこめた鮮烈なメッセージ。

●「風のオデッセイー本州沿岸ぐるり徒歩の旅」
榛谷泰明 著  1600円 光雲社、
・・・233日間・6000km


●「南のオデッセイ」 九州ぐるり徒歩の旅
榛谷 泰明著 A5判・169ページ円(本体1,456円)
テンポの速い現代文明に背を向け、スピリチュアル・ウオーカー(魂の歩き人)として楽しむユックリズムの旅。九州の風土や人情に触れながらゆっくりとたどった89日間、364万歩、2030q。人と人との出会いを綴る“魂の旅日記”。

2001.3.6

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人と自然の出会い旅21
バードウォッチャーには頭が下がる2

いやぁー、またまた鳥好き人のすごさを見せつけられましたョ。ところは、奇しくも、鹿児島のネイチャーゲームの全国研修会時、ヤイロチョウを見るために、鳥好きたち(一部例外ありf(^-^ ))が、出かけて行った、宮崎県の御池第1話参照》。高千穂の峰の麓に在る美しい池の周囲です。道路脇には、ヤイロチョウの絵が描かれた看板があちこちに有って、「オッ!ヤイロチョウに会えるの?!」と、期待しましたが「今の季節(2月)にはいませんよ」と軽くいなされてしまいました。・・・・トホホ、素人なもんでポリポリ f ^ ^ *)

実は、宮崎県でのネイチャーゲームの指導員養成講座の会場が、御池であったわけですが、講座には下見がつきものです。その早朝からの下見におつき合いいただいた、IzさんもIwさんも鳥好き人間。鹿児島の全国研の時も、案内役だった人たちです。私も含めて3人とも双眼鏡を持っての下見です。

ヤイロチョウには、一蹴されてしまいましたが、やたら鳥に縁の深い下見でした。まずは、会場に向かう車中でのこと、Iwさんが「ヤマセミがいますよ」と一声。見ると、電線にヤマセミが留まっています。ヤマセミは私にとってこれが初見。「エッ!こんなに大きいの!!」というのが第一印象。私の想像の中のヤマセミはカワセミを一回り大きくしたくらいのもの、ところが目の前のそれは、鳩より大きくむしろカラス大じゃないですかビックリ・・・・素人なもんですから(^-^;A)。Iwさんは、これまでに何度かその場所でヤマセミに遭遇。ひょっとして今回もと、気をつけられていたとのこと、さすが鳥好きは車を走らせている時でも考えている事が違うナァ。

会場は、古い照葉樹林を近くに控えていて、鳥の多いところで、声や姿を次々と楽しませてくれます。ふと気がつくと、聞き慣れない声が聞こえてきます。声を頼りに近づいて行くと、アオゲラが歌っていました。ドラミングもせずに、なぜか歌っています。歌うのをやめたと思うと、すでにあけてある穴に首をつっこみ虫を引き出して食べています。すぐ近くまで3人が寄っていっても、いっこうに気にする風もなく、気が向いたら食べ歌うといった様子です。葉が落ちて、完全に枯れた枝でのお食事で、その姿をたっぷり楽しませてもらいました。

そんなこんなで、下見なんだかバードウォッチングなんだか、という下見を終えて、グランドを見下ろす場所でお弁当を食べているときのことでした。フト、グランドの向こうを見ると、一羽の鳥がスーーーーーット飛んで行きます。あれ?アオサギかな?それにしては小さいようだし、飛び方も違うようだし、などと素人なりに思いながら、「あれなんですかねぇ?」と、ボソッとつぶやいた次の瞬間でした、・・・バードウォッチャーのパワーを見せつけられたのは。
 左に座って食事をしていたIzさんが、すっくと立ち上がりながら「チュウヒ」と叫んでました。へー、チュウヒって、いうんだなあなどと思いながら見ている私。右に座っていたIwさんは、その鳥が丘の陰に回り込んで見えなくなるのを待って、ゆっくりと「ハイイロチュウヒのオスでしょう」と、宣言されました。そして、見るからに使い込んだ図鑑を出して来て見せてくださいます。見るとオスとメスは体色も違うし、オスはまれと書いてあるではないですか。IzさんにとってもIwさんにとっても、初見では無いものの、あまり見ることのできない鳥だったようで、それからが大変でした。もっとじっくり見たかった、ここにいることは間違いない、というわけで講座の間も又現れるのでは無いかと常に気を配っておられました(残念ながら現れませんでしたが)。うーん、さすが。こんな風だから、瞬時に鳥を見つけ、見分けることができるんだなあと、素人は感心したことです。イヤホント、頭が下がります。m(._.)m

現在、定時制に勤務が変わって、通勤路が川沿いの道になりました。通勤手段は相変わらず自転車ですから、片道1時間の通勤時間の内、昼間の40分ぐらいは、たくさんの鳥を見ることのできる状態です。だいたい毎日、通勤途上で10種〜20種(冬場)くらいの鳥たちを見ることができます。まあ、いわば毎日バードーウォッチングを楽しんでいるようなもので、鳥好き人から見たらとても贅沢な日々を送らせてもらっておりますf(#^_^#)。
素人なりに楽しませてもらっています。なかなか良いもんですよ。

2001.3.6

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人と自然の出会い旅22
ブロッケンの妖怪に出会う
 ドイツの中部ハルツ山地にブロッケン山(1184m)という山があります。(まだ行った事はないのですが)昔から、この山に登った人たちの中には、霧の中に不思議な影を見る人がいました。人々は、ブロッケンの怪とか、ブロッケンの妖怪とか呼んでいます。
 この現象、条件さえそろえば、他の山でも見ることができます。無論、日本でも見ることができます。ところが、日本では同じ現象を、山岳信仰の中で、「御来迎」とか「仏光」とか言って来たのです。山には、妖怪や悪魔がすむと考えるのか、神や仏の存在を感じるのかで、同じ自然現象の評価を、まるで反対の方向に解釈してしまうのです。西洋と東洋の自然観の違いでもあるなあと思います。(もちろん、西洋でも山に神を感じたり、日本でも山の中に妖怪変化を感じたりする例もありますから、一概にはいえませんね)

 私が、はじめてこの現象に出会ったのは、まだ学生だったころです。神奈川県の丹沢山塊での事でした。霧雨の中を縦走しているときに、霧が少し晴れたかなと思いながら、フト見ると霧の中に黒い影があるではないですか、そして頭のあたりにはうっすらと虹のようなものが輝いているではないですか。はじめてのことで、「あれ!?なんだこれは?」と思い、続いて「おお!ブロッケンの怪だ」と、妙に感動しました。雨の中を一人で歩いていて、いささかしょぼくれいましたが、活字の上でだけ知っていた現象に出会えて、なんだか得したように思えたものです。

 もちろんこの現象は、怪奇現象ではありません。光の回析として科学的に説明できる現象です。条件はまず自分と同じ高さに太陽があるこです。ある程度高い山であれば、朝夕の時間帯には、この条件はかないます。さらに、太陽の反対側に、雲や霧が必要です(自分と太陽の間には雲や霧が無いかほとんど無い事も必要です)。この雲や霧がスクリーンになって、自分の影が投影され、その頭の部分に回析現象で、虹の輪ができるのです。

 とはいえ、総ての条件が整うことは、なかなか難しいのです。それでも、何十年も登山を続けていると、何度かこの現象に出会えました。もっとも、鮮烈だったのは八ヶ岳を縦走したときの事です。未明より南の麓から歩きはじめて、ちょうど夕方に最高峰の赤岳にたどり着きました。すばらしい展望に見とれるうちに、日没が迫ってきました。稜線は北に延びています。沈みかけた太陽が左側(西)から真横に差してきます。そのとき山稜の東側一帯は、低くい雲で埋もれていたのです。その雲の上に、私の影が長くのびて行きます。そして、その影の先端部分に、見事な虹の輪ができていたのです。それはもう完璧なものでした。
 十分に堪能して、歩き始めると、なんと影と虹の輪がついてくるのです。腕を高く掲げると、その影の先に虹の輪ができます。指を伸ばすと、その先に。何とも、楽しい現象です。ブロッケンの妖怪(いや、ここは日本ですから仏様です)を道連れにしての山歩です。近くに親子連れの人がいました。その子(小学生くらいでしょう)にとっては、生まれてはじめてのブロッケンの怪。最初の出会いが、こんなすごいものだと、2度目3度目の時は納得できないんじゃ無いだろうかと、余計な心配までしてしまったものです。
 
 ところで、あなたは、この現象に出会えたら、喜びますか?、怖がりますか?
2001.3.27


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人と自然の出会い旅23
風、「見た」ことありますか。
 視覚を通じて、風を感じる時ってどんな時でしょう。木の梢やススキの穂がゆれる時、木の葉が飛んで行く時、雲が流れるとき・・・色々ありますね。

 以前、ネイチャーゲームの会の行事を、山の上で企画したときに、「風の地図」を書くという活動を考案しました。これは、ネイチャーゲームの一つにある「サウンドマップ」という活動にヒントを得たもので、各自思い思いの場所に座って、自分の周囲に感じた風を、イメージした形(記号)にして書き込んで、風の地図を作ると言うものです。参加者の多くが、葉のゆらめきや、雲の動きなど視覚的なものにも影響をうけながら、風を感じておられました。

 阿蘇でネイチャーゲームをしたときのことです。「カメラゲーム」という活動をしました。目を閉じたカメラ役の人に、カメラマン役の人が合図をして数秒間だけ目を空けてもらう事で、目の前にある自然を感じてもらおうという活動です。
 私の指導では、撮す内容を選んでもらうにあたって(「生命」とか「春」とかの)テーマ設定をすることが多いのですが、この時は「阿蘇の風」などという「ちょっと凝り過ぎ?」というテーマにしました。ちょっと強引過ぎたかなと思いながら、みなさんが感じたものを、分かち合ってみると、とてもすばらしい内容でした。色々なものに風を感じて、とても素敵な「写真」が取られていて、豊かな分かちあいになりました。

 ところで、私が「風を見た」と特に感じた時の話。

 6月のある日、自転車で川土手を走っていました。無風状態のぽかぽか気分。ところが、風が無いはずなのに土手の枯れ草が舞っているのです。見ていると、ゆっくりと円を書きながら空中に浮かんでいます。え!?っと思いましたが、局地的な上昇気流ができているのだろうと推測しました。こういう上昇気流をトンビはつかまえて輪を描いているんだよなと思って見ていると、そこへ本当にトンビが飛び込んできたのです。ほんの目の目前です。枯れ草の動きから想定していた上昇気流の範囲でゆっくりと輪を描き出しました。自分の想定とトンビの動きが重なりました。なんだかうれしくなってしまいます。そして、見ている内にゆっくりゆっくりと、しかし確実に上昇してゆきます。気流の位置は少しずつ変化するようで、同じ上昇気流に乗ったまま、少しずつ移動しながら、遙か上空まで達したのです。

 この、話を紹介したところ、グライダーをやっている人から、次のような便りをいただきました。
 「宮本さんがご覧になられた気流の上昇は、本格的な上昇気流のトリガー(引き金)の部分に相当する部分だと思います。このトリガーが、周囲の暖められた気流を寄せ集めながら上昇気流のコア(中核)を形成してゆきます。僕の経験では、春から夏にかけのて上昇気流だと、直径300m高さ1000mくらいで、上昇率が秒速3mくらいのものが多かったと思います。冬になると直径が200m高さ1500mで上昇率が毎秒6mくらいだったでしょうか。グライダーの旋回半径は50〜100mくらいですが、トンビはもっと小さな半径で、上昇率の強いコアの部分を使って昇っていくこともあります。羨ましい限りです。」
 この人の話を、読みながら「風の谷のナウシカ」で、ナウシカが風を読むシーンを思い出しました。実際に風の存在を読んでいる人たちが存在するんだと。私も少しだけ体験することができたと、うれしくなったものです。

 3月のある日の事、やはり川土手を走っていると、一羽のアオサギが中洲に立っています。見ていると、羽を広げてひょいと飛び上がったのです。すると、彼は(彼女かな?)フッと後方に流されたのです。次の瞬間180度身をひるがえして、風にのって飛んで行ったのです。それは、風を利用した見事な省エネ離陸でした。あえて風に向かって立っておいて、翼を広げる。翼が風を受ける事によって生じる揚力を利用して、軽いジャンプでもう空中に浮かんでいたのですから。
 ひるがえる姿を見ながら、「ああ、ここにも風がある」と感じたものです。

 みなさん、風を「見た」ことありますか。
2001.4.10

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人と自然の出会い旅 番外
雲になる(吉本さんから)
「風、見たことがありますか」を読んでくださった岩国の吉本さんから、ご自身の体験を送ってきていただきましたのので紹介します。
4月の連休で九重の坊がツルに、家族行かれたそうです。1日目は雨と言うことで、子ども達は休息日にしてベースキャンプに残し、吉本さんお一人で平治岳に登られました、その時の事・・・・。

『8合目あたりで東の谷に差しかかかったとき、かなりの強風で谷底から轟音をあげて、雲がどんどん私の方に向かって突き刺さって来たのです。
それは、それは恐怖に近い現象でしたが、山頂に立って ふと 上を見上げて雲を眺めていると、雲はゆっくりと上昇し、こっちを向いて私にほほえんでいるようにも見えました。
と、その瞬間自分も雲になったような感覚で、俯瞰的に下界の景色・自分自身をゆっくりと見ているような不思議な気持ちになりました。   ・・・肉体の疲れからくる幻想だったのでしょうか?
恐怖から、ここちよい快感に変わり 雲と(風と)一体になっている自分、雲の気持ちが分かるような感覚を得た体験でした。

雲は、隣の峰の雲と交わりゆっくりと渦を巻いて自分より低いところへ吸い込まれるようにスーッと消えていきます。
帰路では強風の恐怖は楽しみに変わっていました。』

また、子どもの野ウサギににも出会えてルンルンでした。

下山して、妻と子どもに興奮気味で体験したことを話しましたが「ふんっ」と言われただけでわかってくれません。しかし、私は得した気分で今回の旅は「三重まる」でした。
ネイチャーゲームを体験していなければ、ただの恐怖の登山になっていたのかなあと思います。

2日目も雨。子どもとの登山の計画もあったのですが、昨日よりも雲はもっと厚くなり身動きがとれなくなりました。「リーダーは計画を中断する勇気も大切だ」 などと言って、1日早く下山しました。(本当は私の体力が・・・あぶなかった?)

今でも、変に嬉しくて興奮しています。
2001.5.10

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