「モヤさん」の人と自然の出会い旅]T

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人と自然の出会い旅46
はじめての笹の花

 「笹の花が咲いている!!」と仲間の目が輝いています。今年(2006年)2月、北九州市の玄海青年の家で行われていたネイチャーゲームのインストラクター研修の中でのことです。案内されて行って見ると、そこにはひっそりと笹の花が咲いていました。「おお!すごい」と、携帯カメラやらデジカメを持ち出す人もいて、証拠写真の撮影がはじまります。

 ところで、イネ(稲)の花を見たことありますか? イネは、夏に、籾(もみ)が二つにわれて、中から雄しべが飛び出してきます。雄しべの頭の花粉は風に飛ばされて雌しべの先につきます。受粉の終わった花はすぐに閉じてしまって、もう二度と開きません。花は、必ず上の方から順番に咲いていって、6〜7日かかって咲き終わります。毎年それこそ無数に咲く花ですが、花として見たことある人は少ないようです。まあ、花びらも甘い蜜もない地味な風媒花ですから・・・。(でも、この花によって、私たちの生活は支えられているわけです。)

 実は、竹や笹はイネ科に属します。というわけで、笹の花も質素で控えめな花です。そんな花なのに、何故に盛り上がったのか・・・・その気にさえなれば毎年確実に見ることのできるイネの花と違って、竹や笹の花は、見ようと思ってもそう簡単に見られるものでは無いからです。(私も、現物を見るのは生まれて初めてでした)身の回りにたくさん存在している竹や笹の花なのに、なぜ見たことが無いのか?地味な花と言うこともありますが、・・・・・・「竹や笹はン十年に一度花を咲かせる」からです。竹類の生長は、地下茎を中心に無性生殖で行われます。地下茎に蓄えられた栄養で竹の子を作り、地上に出た竹の子は一気に天を目指し、周囲の植物を圧倒して光を独占してしまうのです。こうして蓄えた栄養でさらに地下茎網を発達させて広がってゆくと言うわけです。あたかも、種子でよりも確実に勢力拡大を図る戦略が有るかのようです。

 とはいえ、植物として花を咲かせ種子を作ることによって、より広範な生息域の拡大や種としての進化も期待できるわけです。その為の開花が、「数十年に一度」というまれなできごとなのです。どれくらいの間隔なのか、種類によって異なっていて、正確には分かっていないのです。何しろ竹類は世界中に約1000種類もあって、それぞれ種子を植えてから数十年たたないと花が咲かないわけですから実験しようにも、一人の研究者がチャレンジするにはなかなか荷が重いのでしょう。
 その中でも、私たちがよく目にするマダケ(真竹)については約120年に一度という周期がほぼ確実とされています。1960年代に日本中のマダケが数年の間に一斉に開花して群落が枯死したのです。日本から移植されて世界中に広がっていたマダケもこの時期に一斉開花したようで、古文書の記載の検討から約120年の周期が確認されているのです。

 モウソウチク(孟宗竹)については、全国一斉に開花時期がそろうというようなことが無いのでわかりにくいのですが・・・実験によって開花周期が研究されています。1912年に横浜市郊外で開花し結実した種子を横浜と京都で植えたのですが、これが67年後(1979年)にどちらも一斉に開花し枯れたのです。気候や土などの条件は違っても同じ年に花が咲いたのです。もう一つの例は、1930年に採取された種子が埼玉県や茨城県や埼玉県など植えられて、そのいずれも67年後(1997年)に花を咲かせたのです。この例からも、モウソウチクの場合、種全体が全国一斉に花をさかせたりするわけではないのですが、モウソウチクでは種子から67年で開花に至る時計が遺伝子の中にあるのかも知れません。(2つの実験例だけですから、これで確定とは行きませんが)

 さて、私たちの見た笹(竹)の花は、笹原や竹林というわけではありませんでしたから、そのあたり一面の笹が枯れてしまうという事は起こらないと思います。でもあの笹にとっては、何十年かの命を終えて、次の世代へ命をつなぐ開花だった訳です。私たちは、その時に出会い、時間を共有することができたというわけです。この次に、花に出会えるのはいつになることでしょう。これを機会に、また別のところで竹の花に出会うかもしれません。もう、無いことかも知れません。もし、そのチャンスに恵まれたなら、また、「一生一度の出会い」と感じながら時を過ごしたいものです。

竹の開花についての参考資料です↓
「モウソウチクの一斉開花、そして一斉枯死」
http://www.affrc.go.jp/ja/press/1997/1001.html

「遺伝マーカーを用いたモウソウチク開花パターンの解析」
http://home.hiroshima-u.ac.jp/isagiy/research/phyllostachys1.html
2006.3.17


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人と自然の出会い旅47
あれは本当にダイヤモンドダスト???

 先日の朝のことでした、いつものようにバタバタとあわただしく朝食を済ませ、玄関を出ようとすると・・・空中を輝くものが漂っているのです。「雪?」そういえばこのところ、次々と春を感じさせる日が続いていたのに、肌寒い朝でした。氷点下にまで下がっているようです。でも、空を見上げれば青く青く晴れ渡っています。なにより、その輝くものは降って無いのです。静かに漂っていて、太陽の光をうけて輝いているから見えるだけで、雪のように本体が見えないのです。・・・・「ひょっとしてダイヤモンドダスト??」かな・・・
 以前に一度だけダイヤモンドダストを見たことがあります。それは、1994年の冬の軽井沢、浅間山の山懐に分け入って、雪の中で野宿をしたときのことです。寝袋とシートだけの装備で、山の中で自然との関わりを楽しみながら、一人で24時間を過ごすプログラムでした。どうせなら、山深いところの方が良いと、どんどん上っていって、温泉のしみ出す湿地の近くに寝場所を定めました。雪面に穴を掘ってシートを張って寝る場所の準備ができると、腹が据わります。雪に座って、夜空を見上げると、空は晴れ渡り全天の星星星・・・。星々の中を人工衛星の灯りが静かに動いてゆきます。あまりの美しさに寒さを忘れて座り続けていました。寝るときも顔だけ外に出して、星と共に一夜を過ごしました。寒さが深まって目が覚めると、目の上には星が輝いています。つらく楽しい一夜でした。
 すがすがしい夜が明けて、せっかくなので石尊山まで登ることにしました。登りながら自然を楽しむためにネイチャーチューニングというネイチャーゲームをしてみます。やり始めると、スーッと自然の中に溶け込んでゆく自分を感じます。歩きながら、心がざわついて来たと感じたら、立ち止まってチューニングを始めると、また溶け込んでゆけるのです。何度目かのチューニングを雪の中に座ってやっていると、朝日が昇ってきました。朝日に向かってチューニングをしていると、朝日の中に輝くものが漂っていました。ダイヤモンドダストでした。私にとってのダイヤモンドダストは、寒さと輝きと静けさと自然との一体感がセットで思い出されるものなのです。
 
 ところがこの日見たものは、極寒の浅間山麓とちがい、春の始まった3月の広島。いくらなんでも条件が違いすぎます。調べてみても、やはり気温が-数十℃少なくとの-十数℃まで下がった時に、無風状態で空気中の水蒸気が過冷却されて、発生するものとあります。3月の広島というのは・・・無理かな。
 それでも、家の周りだけでなく、自転車で移動してみると空中の輝きはかなり広い範囲に広がっていました。あまりに微妙な輝きなので、周りの人は気づいていないようです。輝きの中を自転車でゆっくりと走るのはすばらしいものでした。
 調べてゆくと、Wikipedia「2005年2月9日のつくば市の朝のような-2℃という温度でも短時間ではあるが局所的に発生が観察されている。」との記録が載っていました。3月の広島でも本当にダイヤモンドダストだったのかもしれません。

その日(2006.3.13)、私が作った「私の暦」です

「春輝微粉」(春なのにダイヤモンドダスト)
2006.3.18

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人と自然の出会い旅48
「先住民の英知との出会い」

 この夏、北海道でネイチャーゲームの指導をしてきました。北海道の自然を楽しんできました。

 初めて北海道を訪れたのは1974年の夏のことでした。夏の研修にと先輩の教員2人と大学生と私の4人で、北海道を車で旅をしたのです。北海道に行くというので、事前に勉強した事は自由民権運動の志士たちが、過酷な囚人労働をさせられた歴史くらい。アイヌ文化については、ろくな学習もしないまま北海道へ旅立ってしまっていました。

 その旅は、車で移動し、夜はテント泊。運転は他の3人が交代で、免許を持たないけれど、地図を読む能力には自信のあった私が全期間ナビゲーターをつとめました。途中あちこちの山(駒ヶ岳・利尻山・硫黄山・後方羊蹄山など)に登るなど自然と文化を満喫しました。旅の後半、襟裳岬から北上している時、道路標識にアイヌ資料館の案内を見つけました。地図で見るとそう離れていません。なにか心惹かれて、行こうということになりました。平取町二風谷(にぶたに)につくと、道の脇に小さな資料館が建っていました。展示物を見ていると男の人が話しかけてきます。自身で建造中だという丸木船など、展示を丁寧に説明してくださいます。自ら資料館を作られた萱野茂さんでした。広島から来たと告げると、それは遠くからようこそと言うことになって話が盛り上がり、家に来ないかとお誘いを受けました。

 お茶をいただきながら、アイヌ文化を記録することの大切さを静かに熱を込めて話してもらいましされます。そして、こんな本を書いているのだと紹介されたのがアイヌの昔話を集めた『ウェペケレ集大成』でした。おばあさんたちが子どもたちに語り聞かせてきたウェペケレは、子どもたちに生きる知恵を伝え、アイヌ文化の神髄を伝えてきた大切なものです。しかし、ユーカラなどの大叙事詩と違い特別に記録されることもなく、消えてしまいそうになっていたものを萱野さんがテープにとり、日本語訳をつけた労作でした。お会いした翌年、菊池寛賞を受賞されました。

 今日の視点で読み返してみると、そこには自然と末永く付き合っていく上での英知が詰まっていました。ひたすら自然をおそれ敬うのとも違うし、いくら搾取しても文句を言わない好き放題をしていい自然という見方でもありませんでした。尊敬しつつ恵みをいただく節度を持った自然とのつきあい方こそ大切にしなければならないという生き方です。まさに、持続可能な生き方です。

 アメリカのヨセミテ公園でお話を聞いた、ジュリア・パーカーさんのことを思い出します。彼女はアメリカ先住民の一人として、ヨセミテ内の博物館で伝統的な篭作りを見せる仕事をしておられました。ところが、ある日彼女の作業をバックに解説するレンジャーの話の中に、聞き捨てることのできない誤りに気づいたのです。そのレンジャーは「『インディアン』は戦いを好み殺し合いをし、自然のものを根こそぎ収奪していた」と言うのです。彼女はカゴを置き立ち上がります。そして、アメリカ先住民の自然と共存する文化について語ったのです。以後、彼女の位置づけは変化しました。ただ、作業を見せる人から、先住民の思想を語るレンジャーとしての役割が加わったのです。

 日本では「北海道旧土人保護法」等と言う差別的な法律を作るなどおごり高ぶって見下し。アメリカでは自然を壊す愚かな人々と見下してきた「文明」。その実、いわゆる近代文明こそが自然を際限なく搾取し、取り返しのつかないほどに自然を破壊する文明だったことを考えると、何とも愚かしいことです。それぞれの地で営々として自然と共存してきた先住民の英知にこそ学ばなければならないと思います。
 1974年に偶然からお会いした萱野さん、2001年ヨセミテでお会いできたジュリア・パーカーさん。どちらも、私にとって大切で誇らしい、かけがえのない出会いです。

 札幌でのネイチャーゲームの指導を終えて、白老に行って来ました。亡くなられた萱野茂さんを偲んで、二風谷に行きたかったのですが時間の関係で果たせませんでした。多くの観光客を迎える、白老のポロトコタン。その背後を支える自然の中を、4時間ほど歩きました。一度は壊しかけた自然を守り大切にしようという配慮を感じることができました。ただ、二風谷のように、自然の恵みをいただきながら共存するという文化でなかったのが残念でした。
2006.9.6


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人と自然の出会い旅49

嵐の中・・・・森に守られて

 春夏秋冬全国各地で開催されるネイチャーゲームリーダー養成講座はどんな天気でも開催されます。雨だろが雪だろうが暑かろうが寒かろうが・・・どんな天気も自然現象。自然と共にあろうというネイチャーゲームの活動に天気の選り好みは似合いません。どんな天気も「今日は良い天気」なのです。
 講座を中心的に回す主任講師としては雨の日には、どのように対応していると思いますか・・・・・・
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 ニコニコしながら「今日は良い天気ですねぇ」などと挨拶するのです。「ちょっと大変だけど、いい自然案内人になるためには、雨の日の対応も必要です。そのためには、雨の中で体験している指導員の方が自信を持って案内できますからね」などと、一見強引な理屈に思える話をします。でも、これは本気なんです。確かに3日間晴れた講座は、運営側からすると楽です。雨になると、ぬれた雨具への対応、体が濡れた参加者への精神的肉体的フォロー等大変です。でも・・・それでも・・・だからこそ。雨の日の養成講座を受講した参加者は実力がつくのです。そんな対応の仕方についても実地に体験できるのですから。

 とはいえ、台風直撃となるとどうでしょう。

 それでもやるんです。先日(2006年9月)に山口県の国立徳地青少年自然の家で行われた養成講座は、台風13号直撃の三日間でした。開催当日。台風は九州に迫っていて、予定通り?雨が降っています。事務局には、天気予報で台風情報を得た参加者から、「実施するんですか?」と問い合わせが来ます。事務局は「やりますよ」と力強く答えます。
 
 そして、本当に面白い3日間でした。施設付近の直撃は免れたものの、送迎用のバスが突風のため横転するという事故が天候の厳しさを如実に示しています。もっとも、風はともかく雨の方は覚悟したほどではなかったのですが・・・。とにかく開講式の時から雨が降っていて、台風が来るという予報ですから、実習では雨具をつけるのは常識。どうしようかなんて悩む必要がありません。途中から雨が降って来て雨具が無くてあわてるということもありません・・・ああ、そんな時の対応は学んでもらえなかったか(@_@;)。

 天気の状況変化に合わせて、それこそ臨機応変にプログラムをどんどん変更しながら、むしろ順調に進んだ講座ですが。問題は夜に予定していた野外実習です。台風情報はこの時間帯に最接近を告げています。さすがに、室内での実習だろうと常識的な判断をしていました。ところが、夕方になって台風が接近して吹き荒れているのですが・・・。雨はたいしたことありません。「でられるんじゃないの!?」ともらすと・・スタッフの方は「出よう出よう」と目を輝かしています。講師の人と再度下見をしてみると、森の中は別世界です。夜の講義が終わって再度出ることを参加者に提案します。体力に自信の無い人は残ってくださいとお願いしましたが・・。集まって見ると全員カッパを着て集合しています。参加者もわくわくしています。
 さて、夜の森に一人ずつ灯りを消して座ってもらいます。一人になるとやはりこわい人も出てきます。見上げると樹冠はものすごいうねりです。でもそのうち、水底にいて嵐から守られいる感覚になる人がいます。足下に土蛍(つちぼたる、陸生のホタルの幼虫)が光っているのを見ながら暖かい気持ちになった人がいます。嵐の中で鳴き続ける虫の声に勇気づけられる人がいます。通常の「夜とも」に比べて一段と深い体験です。 一人の時間が終了して、森から出てきた参加者の顔は自信と喜びに満ちていました。

 台風直撃下の森での「夜は友だち」は、伝説物です。ただ、この日、施設のバスは横風で横転していますし、隣の広島では集中豪雨で死者が出ましたし、九州では特急列車の横転もありました。少し地域がずれると微妙に状況が変わっていました。こまめに台風情報と、現地の状況をチェックしていたからこそできた事だったと思います。
2006.9.20

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