を遊ぼう」8−3(日本編)

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場面7 草競馬

(0)旅人は 草競馬の行われている所にやってきました。
草競馬
フォスター

De Camptown ladies sing dis song,
Doo-dah! doo-dah!
De Camptown racetrack five miles long,
Oh! doo-dah-day!
キャンプタウンの女達が歌ってる
ドゥーダー!ドゥーダー!
レーストラックは5マイル
オー!ドゥーダーデイ

I come down dah wid my hat caved in,
Doo-dah! doo-dah!
I go back home wid a pock-et full of tin,
Oh! doo-dah-day!
オイラは帽子をへこませて
ドゥーダー!ドゥーダー!
ポケットいっぱいの小銭を持ち帰る
オー!ドゥーダーデイ

chorus
Gwin to run all night! Gwin to run all day!
I'll bet my mon-ey on de bob-tail nag,
Somebody bet on de bay.

<コーラス>
一晩中走れ!一日中走れ!
オイラはボブテイルに賭けるんだ
栗毛馬に賭ける奴もいる
草競馬をやってます。日本ではいわゆる公営競馬として、ほぼ国営の中央競馬会(JRA)のものが10カ所、地方自治体の運営する地方競馬が15カ所あるそうですが。絵本の競馬は、そのような競馬場に比べて随分野趣あふれるものです。法律の関係で、馬券は発行されません。ですから、絵本の情景は、公営競馬以前の姿と見ることもできます。
 写真は、信州の高ボッチ高原観光草競馬大会の様子です。馬券の発行はされず、純粋に競馬を楽しむもののようです。ここは、標高約1600mで日本一標高の高い競馬場です。県内外から競走馬だけでなくポニーも含めて約100頭が集まります。公営競馬と違い、間近を競走馬が駆け抜け、迫力満点のレースや愛嬌たっぷりのレースを体験することができるそうです。今年(2013年)は8月4日(日)に開催されます。
http://www.city.shiojiri.nagano.jp/event/kanko/kusakeibataikai.html

草競馬と言えば・・・・
フォスターの曲が思い出されます
歌詞には、5マイルとあります。8km!!!
でかい!!

(1)競馬場中央には、テントが張られています。救護テントのようです。

(2)テントの一番上にひるがえる旗には、馬の絵が描かれています

(3)燕尾形の旗が翻っています。
 この旗、よく見ると靴を履いたズボンの形をしています。ジョッキーのズボンと言うことでしょうか

(4)オレンジと白と黄色のストライプの旗が12枚ひるがえっています。
  この色は、何を象徴しているのでしょう?今のところ思い当たるモデルがありません。

(5)テント本体は白と青のストライプ。この色合いにはどんな意味があるのでしょう?ちなみに、高ボッチの競馬でもこの色合いのテントが使われています。

(6)テントの下にはテーブルと椅子が置かれ、テーブルの上には書類やコップが置かれています。
(7)お盆を持った女性がいます。

(8)担架があって事故に備えています。
  担架の左に立っている看護婦さんの服装は、戦前の日赤看護婦さんの看護服のようです。  担架の右側に立っている男性は、お医者さんでしょうか

(9)ジョッキーのズボン形の旗を持って立っている人がいます。
(10)ツバメが3羽飛んでいます。燕尾形の旗に合わせているようです

(11)現在8頭が走っています。それにしても先頭と最後尾では随分差がついています。

(12)競り合っている先頭の2頭の前にはゴールテープの代わりに、オレンジと白と黄色の旗を10枚つけたものが設置されています。
ただ、徒競走のゴールと違って、馬の前にこんなゴールテープのようなものを設置することがあるのでしょうか??とすると、これは水平に設置されているのではなく、立てられているという見方もできます。安野さん得意のだまし絵でしょうか???

(13)ゴール横で、手を振り上げて懸命に声援を送る6人がいます。「行けーー!」と叫んでいるのでしょうか。左端の男性はサスペンダーをつけているようです。

(14)白と青のストライプの幕で、5角形に仕切られているのは、馬券の発券所のようです。窓口があって、中にはテーブルや金庫もあります。
※現在、公営競馬以外では法律上馬券の発券は許されませんから、高ボッチの競馬などの草競馬では、馬券の発行はされていません。

(15)発券所の回りには、青いズボンをはき長い棒を持った男性が3人配置されています。
警備役の人だと思いますが。この服装には何かモデルがありそうです。(不明)

(16)発券所の前には11人の人が並んでいます。
(17)馬券売り場の左橋に女性が二人レースそっちのけで話しています。
(18)赤い服の女性が手を振っているのは、誰に対してでしょう?騎手?それとも、中央のテントの所の人??

(19)臭突(しゅうとつ)がある建物があります
 臭突は、くみ取り式の便所で外気に臭いを輩出するときによく使われますので、この建物は便所ということでしょうか
 トイレに入ろうとしている2人がいます

(20)子どもが競馬を指さしながら話しかけているのはお母さんでしょうか。家族で来る雰囲気の競馬のようです。
(21)腰に手を当てて観ている人は、あまり興奮していないようです。冷静な人なのか、買った馬券が全く勝ち目が無いからでしょうか

(22)右手に鞄のようなものを持って歩いている男性がいます
(23)男女二人ずれ、男性二人ずれ、そして大声援を送っている一団がいます。

(24)板塀に囲まれた建物もトイレのようです。
 これまで、トイレが描かれたこと自体が少ないのですが、一つのシーンに2カ所とかは!!
  トイレの手前に男性が、一人静かに競馬を見ています。

(25)トイレの向こう側には、馬を下りて競馬を見ている旅人
・・・そういえば、旅人さんいつもトイレはどうしているのだろう

(26)旅人の前で、手を挙げて声援している人たちの中には、警備の服を着た人も混じっています。この人も馬券を買ったのかな
通常、関係者の馬券の購入は制限されていると思いますが。・・・単に、競馬が好きなのかな

(27)遠足気分で、シートの上に料理や酒を並べて宴会してる人たちがいます。
(28)ラッパが3本と太鼓が1個あって、賑やかに応援しています。

(29)左上にも懸命に応援している人たちがズラーッと並んでいます。
(30)最後尾の馬の向こう側の林の中に、オオカミがいます。
 ニホンオオカミは絶滅してしまいましたが、ここにはまだオオカミがいるようです。

(31)右上 掲示板があります。しかとは読み取れませんが、出走している馬の名前が書かれているのでしょう。
 手前の男性が持っているのは、刷毛でしょうか、それともペンキの缶でしょうか?

(32)オレンジと白と黄色の旗を振る女性がいます。
隣で、手を振る女性がはいているズボンは足首を絞ってあるようです。モンペでしょうか。

(33)青白のストライプの幕で囲った、馬の控え所があります。
(34)控え所の扉の前に立つ横縞のシャツを着ている男性が右手に持っているものは何でしょう?一升瓶??

(35)囲いの中で、両手をポケットに入れた男性ともう一人の男性がいます。馬の持ち主のようです。
(36)鞍を置いていない馬の世話をしている人がいます
(37)細長い飼い葉桶があります。馬たちが水を飲むためのものだと思われます。

(38)男の人がバケツで運んでいるのは、水でしょうかそれとも飼い葉でしょうか。
(39)右下 囲いの外にもオオカミがいます。
 このシーンに2匹のオオカミを描かれた、安野さんの意図は?
イソップに「オオカミと馬」という話しがありますが・・・・
あるいは、「ふるやのもり」にでてくる、狼と馬からの連想??

「ふるやのもり」(福娘童話集)

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場面8 駅前

(0)旅人は 駅前にやって来ました。
駅にはSLが停まり、瓦葺きの小さな駅です。
安野さんはそうとは書いておられませんが、モデルは津和野駅ではないかと。
 あるいは、後述するように鳥取県の若桜駅もモデル候補の一つです。

(1)駅には、SLが停車しています。
やはりC56のデザインが近いように思います。
客車だけでなく、貨車も引いています。

(2)駅員さんが車両点検をしています。
 安全運行の為には、点検は欠かせません。

(3)客車は2両。赤いスカートの女性が車内の人と話しています。
(4)貨車には、牛を乗せた車両と材木を乗せた車両。

金太郎

まさかりかついで きんたろう
くまにまたがり おうまのけいこ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ

あしがらやまの やまおくで
けだものあつめて すもうのけいこ
ハッケヨイヨイ ノコッタ
ハッケヨイヨイ ノコッタ
(5)貨車の向こう側では、金太郎と動物たちが相撲を取っています。
童謡にも歌われたシーンですね。
五月人形にも使われています。我が家にもありました。
※金太郎
頼光四天王の一人、坂田金時(さかたのきんとき)の幼名。歴史上の実在人物ですが、クマと相撲をとっていたなどの逸話が江戸期に作られたようです。
ウィキペディアで金太郎

海辺のシーンで浦島太郎が出てきていますから。これで二人の太郎がそろいました。

(6)機関車のところに、給水塔があります。
やはり蒸気機関車には必須アイテムですね。津和野駅にも給水塔がありますが、デザインが違います。
写真は、鳥取県若桜駅(わかさえき)に保存されているSL(C12)と給水塔です。
ちなみに若桜駅のSLは、動態保存されていてイベントでは動きます(ただし、水蒸気ではなく圧搾空気で動かしているようです)・・・ここに保存されているC12も、安野さんが描いておられるSLとよく似たデザインです。
2008年(平成20年)に若桜鉄道若桜線の古い施設が一括して国の登録有形文化財に登録されています。この給水塔も駅本屋およびプラットホーム もその中に含まれています。
ということで・・・旅の絵本の駅も、この若桜駅をモデルとされている可能性がでてきます。
ウィキペディアで若桜駅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%A1%9C%E9%A7%85

(7)腕木式信号機が有ります。
もう、JR各線には、このタイプの信号機はなくなってしまったようです。
現役で活躍しているのは津軽鉄道だけです。
腕木が水平になると停止を、斜め45度になると進行を指示する事になります。駅員さんが手動で操作していました。電動ではなくワイヤーを使っての遠隔操作でした。

旅の絵本では、両方の状態が表してあるように思います。実際には進行か停止のどちらかです。
また、よく見ると、水平になっている腕木が白地に赤になっています。色使いが逆、安野さんの勘違い?遊び?

腕木式信号機の使い方に興味のある方は
腕木式信号機とは?
http://homepage3.nifty.com/kiha/SP/sp-udeki-1.html

(8)左上 お寺のような建物の一部が見えています。
津和野市街から西に約8kmの郊外にある堀庭園の客殿「楽山荘」がモデルではないかと思います。数寄屋風書院造りの建物です。
庭園は、江戸時代に銅山年寄り役を務め、明治時代には鉱山王として知られた15代堀藤十郎が作らせたものです。

(9)ゲートボールを楽しんでいるお年寄り?が6人います。
女性が屋根の上のカラスを指さして何か言っています。
「ボールを持って行ったカラスがあそこにいる!!」とでも言っているのかな。
※ゲートボール
1947年、鈴木栄治が、クロッケーをヒントに考案したスポーツです。元々は、子どものために考案されたものですが、高度経済成長期に高齢者の間で爆発的に流行して、年寄りの遊びというイメージが定着してしまいました。やってみると分かるのですが、なかなかエキサイティングなゲームで、若者が充分楽しめるものです。

(10)屋根の上にカラスが2羽いて、右側のカラスがボールをくわえています
カラスはよくこんなことをしますね。ただ、ゲートボールのボールはちょっと重すぎるようにも思いますが。

(11)カラスの留まっている建物は、細長い建物ですが、何かモデルがありそうです。
軒に下がっているのは、洗濯物でしょうか?

(12)自転車の荷台に便のようなものを積んだ人と鞄を持った人が話しています。
(13)道を走っている子どもたちが3人と4人合わせて7人います
(14)赤いのれんのかかった店に親子ずれが入っていこうとしています。店内には、テーブルがあって座っているので、お茶やさんでしょうか?
大きな釜のようなものがあります。
津和野にあるだんごや「みのや」がモデルではないでしょうか
みのやには写真のように大きな釜があります。

(15)左下 株立ちした木が並ぶ畑があります。
桑畑だと思います。
桑畑は、養蚕が盛んだった頃は全国にたくさんあって地形図の地図記号でもYに影をつけた桑畑記号がもうけられています。
養蚕の衰退と共に、全国の桑畑も少なくなってしまいました。
ただ、桑畑の葉が落ちてこのように枝がむき出しになるのは、冬場ですから、このシーンの季節とはそぐいません。
安野さんのミス?わざと??

(16)枝の束を抱えて作業している人達がいます。
桑の枝を剪定したものでしょうか?
桑の剪定作業も冬のことです。

(17)駅舎の右側は、板塀で隠されています。
どうも、トイレだと思われます。
そして、馬がつながれています・・・誰が乗ってきたの?
板塀の上に三角帽子が見えます。旅人は、トイレに入っているようです。旅人がトイレに入るなんて、旅の絵本史上初のことです。

(18)駅前にセーラー服の女学生が3人います
 どうも、冬服のようです。桑畑の様子もそうですが、安野さんこのシーンは冬場のつもりで書かれたのではないかと思います。
日本編は、全体としては農作業で春から夏そして秋へとうつろって行く様が描かれています。その設定だと、シーン8は初夏から夏にかけてが妥当です。
安野さんがこの絵を描かれた時には、このシーンをもっと後ろに持って行く予定だったのかな??

(19)鞄を持った男性が駅に入って行きます
(20)駅前には乗合馬車があります。
馬の所にいるのが御者?
女性が馬車に乗り込もうとしています。

※乗合馬車
不特定多数の客を乗せ、一定の路線を時刻表にしたがって運行される馬車。
17世紀にパリで生まれ、19世紀に全盛期を迎える。日本では、幕藩体制という政治システムであったこともあって、江戸期までこのような形態の乗り物は存在していません。明治期に入って乗り合い馬車が普及し始めるものの、鉄道の普及に伴ってなくなっていきます。
写真は、1900年頃のパリの乗合馬車。
従って、津和野などにも乗合馬車はなかったと思われます。

(20)駅前に貸し自転車屋(レンタサイクル)があります。
これも、1970年代になって、省エネなどの考え方と共に全国に広がってゆきました。
ということで、安野さんの子どもの頃の津和野にはなかったと思いますが・・・現在の津和野駅前には写真のような貸し自転車屋さんがあります。

(21)貸し自転車屋さんの前にいる人達は観光客でしょうか
(22)貸し自転車屋さんの左のお店は、お土産屋さんかな
(23)貸し自転車屋さんの裏庭には洗濯物が干され、女性が一人いますが…彼女に右に描かれているものは何?

(24)右下 言わずと知れた津和野町立安野光雅美術館です。
安野さんの故郷津和野にある、素敵な美術館です。安野さんの作品展示はもちろんですが、安野さんのアトリエや昔の小学校の教室の再現、図書室、プラネタリウムが備えられています。安野ファンとしては一度はおとずれておきたい場所です。
安野光雅美術館
http://www.town.tsuwano.lg.jp/anbi/anbi.html
〒699-5605 津和野町後田イ60-1
TEL 0856-72-4155  FAX 0856-72-4157

(25)写真のように、美術館前には昔の郵便ポストがあります。(建物とポストの位置は実際とは違いますが、そんな修正は安野さんにとってお茶の子さいさいです。)

(26)美術館の壁にはシンボルマークが描き込まれています
日本編以外にもこのマークがあちこちに描き込まれていましたから、ここにあるのはむしろ当然でしょう。

(25)家族ずれが美術館に入って行っています。

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場面9 商店街

0)旅人は、安野さんの故郷津和野の町並みにやってきました。
安野さんが子どものころの本町がモデルのようです。家々の屋根には朱色の瓦が多いように思います。ここでは石州瓦(せきしゅうがわら)が使われています。石州瓦は、島根県の石見地方で生産されている粘土瓦。三河地方の三州瓦や淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つです。赤い色は、同じ島根県の出雲地方で産出される含鉄土石「来待石」を釉薬に使用することに起因します。そして、石州瓦は、焼成温度が非常に高いため、寒冷・凍結に強い瓦です。広島県でも、寒冷地の瓦は石州の釉薬瓦が使われることが多く朱色の屋根をよく見ます。

1)左上の建物は、津和野の古橋酒造がモデルのようです。明治11年創業で、主な銘柄は、初陣(ういじん)」です。店先には、初陣の弧樽が飾ってあります。
「代表銘柄名は「初陣(ういじん)」です。その名前の由来は初代が広島藩初代が17歳のとき、広島藩士お馬廻りとしてで鳥羽伏見の戦いで「初陣」を飾ったところから由来しています。」(古橋酒造HPより)

※古橋酒造を紹介している動画
http://tubo.dmagic.co.jp/appetite/furuhashi.html

2)軒下にある丸いものは、スギの葉(穂先)を集めてボール状にした造形物で杉玉(すぎだま)といいます。
酒林(さかばやし)とも呼ばれます。造り酒屋では、軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たします。そして、安野さんの絵のように茶色になってくると、お酒はかなり熟成しているよということになります。

3)店先に、自転車押している人がいます。荷台に積まれているのは、一升瓶のようです。配達の店員さんでしょうか

4)通りの向かいで男性が二人話していて、女性が歩いています。
5)人力車が走っています。タクシーの変わりは、人力車でした。現在の津和野にも人力車がありますが、実用と言うよりは、観光資源のひとつですね。

6)左上の板塀の所の、小屋は何でしょうか?白いものは、男性便器のように見えます。公衆トイレでしょうか、設置場所からすると、お店の地域貢献?

7)荷物を背負っている人がいます。
8)天秤棒で運んでいる人もいます。野菜かな?

9)酒屋さんの右は、自転車屋さんです。店名不詳?
 店先には、何人も人がいます。昔の自転車さんは自転車だけで商売が成り立っていたし、パンク修理だけでなく、壊れたら丁寧に修理して長く使っていたものです。

10)自転車屋の前にも、重荷用の自転車で、荷物を運んでいる人がいます。かっての自転車は、荷物を運ぶ重要な手段でした。

11)お隣には、「一等丸(いっとうがん)」の幟がひるがえっています。一等丸は、津和野の伊藤博石堂に古くから伝わる、即効を特色とする漢方胃腸薬です。森鴎外も愛用だったとのこと。

12)隣の店には、軒に時計がかかっています。時計屋さんのようです。
親子がショウウインドーをのぞき込んでいます。

13)店先には、火災に備えて水をためておく用水桶が設置されています。
現在の津和野には無いようですが、安野さんが子どもの頃には設置してあったのでしょう。

14)旅人が、馬に乗っています。

15)材木を載せた荷車を引く馬に、飼い葉を与えています。
16)隣の店は魚屋さんのようです。

17)左に戻って、赤いポストのあるお店は、のれんが下がっています。
  店先のかごには、くまでさらいがあるようですが、何の店でしょうか?
 2階の部屋から外の通りを観ている人がいます。
18)店先で犬が話しをするように向かい合っています。その向こうでは人が話しています。

19)隣は写真の看板を掲げています。写真屋さんのようです。

20)左隣の店は、洋服店のようです。

21)空の大八車を引く馬がいます。右端の馬のように材木を運んだ、帰りでしょうか
22)自転車に乗った人がいます。
23)写真屋さんの向かいには、大きな桶がたくさん据えられています。中庭では、桶を作っているのでしょうか?桶屋さん??
醤油屋さんではないかとおもいます。
津和野の醤油屋さんといえば、橋本本店(ヱビヤ)があります。
享保2年(1717年)に造り酒屋として創業した津和野最古の酒舗でもあります。お酒も売っていて、オリジナルの銘酒「魁龍(かいりょう)」があります。店先には、写真のように大きな木の樽が置いてあって、看板になっています。
もちろん、酒を仕込んでいる木桶の可能性もあります。右の写真は、津和野の財間酒造の酒蔵のものです。現在は味噌も醤油も酒も、品質の安定や管理のしやすさのためにステンレスやホーロー製の桶で造ることが主流ですが。木の桶で作ることにこだわっている所があります。
そんなこだわりの会社の心意気を感じるHPがあります
桶仕込み復活の現場
http://www.okeok.com/genba/genba_ozawa.html

24)鶏舎があって鶏がいます。
25)家の壁にたくさんの袋が立てかけてあります。何?

26)紙芝居屋さんがいます。
 街頭での紙芝居は、世界恐慌(1930年代)のころ日本で広がりました。手作りの絵を見せながら、紙芝居のおじさんが話しを展開して行きます。紙芝居で子どもたちを集めて、集まった子どもたちに駄菓子を売っていました。お菓子の買えない子どもは、端っこに追いやられたとか。お金を持った子どものいない田舎にはあまり回ってきませんでした。
街頭テレビの普及に反比例するように、街頭紙芝居は少なくなっていたようです。

27)見物の子どもたちは8人。そのうち一人は、子どもを背負っています。子守は、子どもの重要な役目でした。
28)紙芝居を見ている、犬がいます。まるで、ビクターの蓄音機に耳を傾けている犬(ニッパー)のようです。
※ニッパーについて

29)三輪車があります。紙芝居を見に来た子どもたちの誰かのものかな。
30)荷車を押している人がいます。荷物は、米俵でしょうか?

31)八百屋さんがあって、脇に小さな橋があり、門の前に人が立っています。でも、店の前が溝というのは不自然です。店の前は暗渠になっているのでしょうか??

32)隣ののれんの下がっている店の前にも熊手(さらい)を入れたかごがあります。売り物?それともお掃除用でしょうか??

33)店の奥には、池があって鯉が飼われています
津和野の鯉はこのように、個人の庭に飼われていたのが、発端だとか。
写真は鯉の米屋(吉永米店)無料で、池の鯉を見ることができます。
店内には、右の写真のように大八車に乗せた米俵が展示してあります。

34)物干し台があって、洗濯物を干しています。
35)その下では、手押しポンプで、水をくみ上げています。昔は、電動のポンプなんて一般家庭では使われていませんでしたから。

36)野菜畑の脇の木の上に登っている子どもがいます。
 若き日の安野少年です。
実際にはアオギリの木にのぼっていて、枝が折れて気絶したそうです。昔は、結構危険な遊びをしたものです。私の友人も、柿の木から落ちて大けがをしました。
そういえば、二十四の瞳の大石先生の末娘は、柿の木から落ちて亡くなっています。

津和野関連情報、2013年7月28日の「経験したとのない」大雨で津和野は甚大な被害が出ました。ただし、町中心部は助かり、安野美術館を始め観光地の多くは、営業を再開しているとのことです。


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場面10 二十四の瞳
0)旅人は、壺井栄の原作『二十四の瞳』の分教場がある所にやってきました。
安野さんがそうだと言ってっているのですが、小豆島にしては、海がありません。中心の建物は、津和野の殿町にある建物ですから全体としては津和野が続いているように思えます。

1)左上 二十四の瞳の映画で使われた校舎です。
小豆島の映画村にセットが残されています。
 木下恵介監督の下、高峰秀子さんを主役の大石先生役にして作られています。舞台は、原作では瀬戸内海の一寒村とされていますが、壺井栄さん故郷である小豆島を舞台に撮影されています。時代は戦中の1928年(昭和3年)から戦後の1946年(昭和21年)までの18年間。15年戦争が日本の国民にどのような事をもたらしたかを、強く感じます。木下監督も役者の人たちも、しっかりと表現していると思います。この映画が作られたのは1954年。同じ年に、黒沢監督の七人の侍が発表されています。なんとも、日本映画史にとって、すごい年ですね。ちなみにこの年、安野さんは18才だったはず。「七人の侍」や「二十四の瞳」をどんな思いでみられたのでしょうか。

2)体操とかけっこをしている子どもがあわせて12人。
台の上に立って、指導しているのが大石先生ということでしょうか?どうも男の人のようにも見えますが。
ところで、最後尾のやたらお腹の出た子どもは何??二十四の瞳には、こんな肥満児はいなかったはずですが。

3)7人でバスケットボールをしています。
4)校舎の壁に立てかけられているのは、トンボのようです。脇にあるのは、ライン引き?と石灰?
 ※トンボ(整地用具)・・・レイキとも。運動場などで使用する、T字型の整地用具の俗称です。トンボの全身に似ていることからこの名で呼ばれるようです。

5)建築中の家があります。骨組みができあがって、下ではセメントをこねています。今では、ミキサー車が生コンを運んできますが、昔はこうやってすなとセメントを現場でこねていたものです。
ところで、手前の倉ですが・・・・・
津和野の本町に右の写真のように老舗古橋酒造の酒蔵を改装した、イタリアンのお店が有ります。
ここが、モデルではないかと??

6)材木にかんながけをしています。
7)畑の世話をしている人がいます。畑のそばに籠がおいてあります。中に入っているのは、飲み物でしょうか?
何か、曰くありげですが・・・?

7)塀の外には、疎水があって、錦鯉が飼われています。津和野の殿町あたりの風景が、モデルでしょう。
水路の鯉は町内の有志で、水路に鯉を放したらという意見が出て、鯉を飼っている家からもらってきて、放したのが始まりだそうです。1934(昭和9)年のことだったそうです。それから70年今では、ものすごい数に増えて殿町通りの観光の目玉になっています。

8)錦鯉見物の観光客の後ろを旅人が悠然と馬で行きます。

9)旅人の右手、大きな門のある建物は、津和野の殿町にある多胡家老門・大岡家老門がモデルで出はないでしょうか。現在は津和野町役場津和野庁舎になっています。(合併に伴い、津和野町役場は日原町に移転しています。)
もっとも、背後の建物がとても大きくて、お寺のようにも見えます。

10)塀の中では、子どもたちが長縄飛びをしています。

11)庭の池にも錦鯉がかわれているようです。この池は、津和野の歴代城主の菩提寺であり、森鴎外の墓などもある覚皇山 永明寺の境内にある池がモデルかも?

12)通りをはさんで向かいの提灯が掲げられている建物は、津和野藩の藩校養老館です。
現在残っている建物は門より左が剣術教場・居合柔術教場、右が槍術教場だった所です。養老館は、西周・森鴎外などあまたの逸材を輩出しています。
現在は、民俗資料館となっています。

13)火の見櫓が立っています。建物の中には、消防自動車があるようです。消防屯所です。

14)橋が架かっていて、欄干から川の中を覗いているひとたちがいます。
  この橋は、橋のたもとに柳があります。津和野大橋がモデルではないでしょうか。

15)荷馬車がひかれてて行きます。
16)川の中に立っている、杭のような物は何でしょう?木除杭(きよけぐい)だと思われます。
上流から流れてくる流木などから橋桁を護るための施設です。従って、この川は、画面右から左に流れていることになります。
現在の津和野大橋は、石造りで木除杭もありませんが、安野さんが子どもの頃は、木造で木除杭もあったのでしょうか。
写真は伊勢の宇治橋(うじばし)の木除杭です。宇治橋は、長さ101.8m、巾8.42mの檜造りの橋で、五十鈴川にかかっています。 日本百名橋の一つです。
といことで、ひょっとすると、安野さん宇治橋をそっと入れ込んだ可能性もあります。

17)川の中で、布を洗っている人がいます。染め物でしょうか?
この川が、伊勢の五十鈴川だとすると、御手洗場(みたらし)を暗示しているのかも知れません。

18)洗っている作業を、見ている人がいます。観光客?
19)階段があって、川で洗濯をしています。今ではほとんど見なくなりましたが、疎水で洗濯するのは、日本でも当たり前の光景だったように思います。

20)洗濯している右手には、大きな桃が・・・おばあさんが川で洗濯をしていると大きな桃がどんぶらこどんぶらこと・・・・「桃太郎」ですね。
これで、浦島太郎に金太郎に桃太郎と昔話三大太郎がそろいました。
※ウィキペディアで桃太郎

21)馬が4頭いて、そのうち1頭は蹄鉄をうっています。旅人も、ここで馬の蹄鉄を替えてもらうのでしょうか?

22)石垣で囲まれた中に、黄色の果物がなっています。夏みかんでしょうか?
屋敷内の夏みかんとくれば萩がモデルかな?

23)庭で、ネズミが2匹話しをしているようです。それを狙った?ネコが近づいています。
これは何??何か元ネタがありそうです。
とりあえず思いつくのはイソップの『まちのねずみといなかのねずみ』くらいですが?

24)ネズミたちの向こう側の畑の植え物は何だろう?
25)中央上 釣りをしている人と、その人に話しかけている人がいます。

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