「モヤさん」の人と自然の出会い旅W

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人と自然の出会い旅11
静けさの中で分かち合う
 「サイレントウォーク」というネイチャーゲームがあります。講師の紹介などで、私のこだわりのゲームとうたってあるものですから、特別に指導が上手いのだろうと「誤解」されてしまっているのですが、・・・。
 実のところは、特別にうまいというわけではありません。ただ、このゲームを始めて経験した(1989年福岡県の今宿野外活動センターです)時に、とても深く感じたのです。パートナーを組んだ相手の人は、徳島のYさんでした。彼の持つ、独特の柔らかな雰囲気も有ったかもしれません。又、早朝参加者全員集まるのをゆったりと待って始められた、降旗さん(現日本ネイチャーゲーム協会理事長)の指導もよかったのです。とても深い気付きと、喜びを得たのです。何と、素晴らしい活動だろうと思いました。
 地元に帰ってきて、早速指導してみました。そして、みごとに(?)失敗してしまいました。参加者の様子を見ていても、自分自身の心の中を観察してみても、今宿で感じた、深みとはほど遠い感じなのです。他のゲームは、それなりに指導できただけに、「どうしてだろう」と考え込んでしまうことになりました。何が違うのだろう、・・・これが「こだわり」の始まりでした。
 活動の成り立ちはとてもシンプルです。ロープや倒木を越えると、そこは無言の世界になるというだけのことです。決められたエリアや、ゴールからスタートまでの区間を歩く間、しゃべらないことにしようというだけです。そしてその間に、相互の「自然への気づき」を(無言のまま)わかちあう。ただそれだけです。
 実は、あまりにもシンプルだからこそ、「指導」がむずかしい活動だったのです。指導のテクニックをのべるのは、この文の主旨ではありませんから、詳しくふれないことにします。要するに、参加者の気持ちを、静かに自然そのものを感じる、静かに自然との一体感を感じる、そして静かにわかちあう喜びを納得する心持ちに持って行くのが、実は大変困難なんだということです。
 そんな、活動ですから、実施するフィールドの選定に心を砕きます。私の場合、この活動を最終日の早朝に持ってくることが多いのですが、講座前の下見の時から、どこで実施するか悩み始めます。たいていの場合、最初の下見では決まりません。養成講座を実施しながら、いろいろ考えます。「できれば、他の活動では使ってない場所にしたい」「参加者の静かな心が維持で来る場所でありたい」「心を澄ましたときに、周囲の自然から多様なメッセージが飛び込んで来る場所でありたい」等々色々考えてしまい、決まらないのです。
 時間帯や天候によって、同じ場所でも異なった印象が伝わってきます。そこで、たいていの場合、参加者が起き出してくる前に、もう一度フィールドに出て、悩みます。そして、スタート時間ギリギリになって、最後の決断をすることになります。説明が終わって、ゲームがスタートしてしまうと、指導員としてできることは、ほとんどありません。後は、参加者どうしが分かちあいながら、場の雰囲気がどんどん深まって行くのを、共に受け止めるだけです。
 
 その時、その場だったからこそという、フィールドの選定の例を紹介しましょう。

 一つ目は、岡山の国立吉備少年自然の家でのことです。とにかく足を棒のようにして歩き回るのに、インスピレーションを感じる場所が見つかりませんでした。そこで、この時もやはり早朝のフィールドへ、出かけました。そして、ある建物の裏へ回り込んだときにその裏山が予想以上に静かであることに気づきました。そして、ふと気がつくとヤマザクラの花びらが風もないのに連続的に舞い落ちているのです。無風の中で静かに静かに、舞い落ちる花びらを、見ている内に、どんどん自分の心が静かになって行くのです。そして、静かな中に低くブーンという音がしているのです。実は、花アブがサクラの木の高いところで活動をしていて、そのために風もないのに花びらが連続的に舞い落ちていたのです。とても不思議な、光景でした。この場所しかない。そう決めました。参加者を案内してきて、私は何の説明もなしにヤマザクラの木を見上げて、ただ静かに舞い落ちる花びらを見つめていました。おしゃべりをしていた参加者が次第に話をやめて行きます。一人二人と同じ視線で花びらを見つめている空気を身体で感じます。参加者の気持ちがシンクロしているのが感じられます。あとは、静かにルールを説明して開始するだけです。とても楽しいサイレントウォークになりました。

 ただ見つめるだけで、ゲームの導入をしてしまった場所がもう一つあります。国立阿蘇青年の家でのことです。次回は、その体験を紹介しましょう。
1999.10.31

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人と自然の出会い旅012
阿蘇の山を望む
 養成講座の雰囲気を作り上げるものの中で、天気はとても大きな要素です。熊本県の国立阿蘇青年の家での講座は、突然の霰(あられ)が、出迎えてくれました。阿蘇の草原は、人が毎年火を入れることによって原野の状態が維持されている自然です。野焼きの後の黒々とした原野に、真っ白な霰がくっきりと浮き立ち、敷き詰められた霰の層を踏みしめると、うっすらと足跡が残ります。
 もっとも、参加者が集まった頃には施設周辺の霰は溶けてしまいました。そして、山は、いぜんとして雲の中に隠れていました。講座中の天気は、雨が降って雨具をつけたりするシーンがあるかと思えば、暖かい日差しを浴びることがあったりと、変化に富んだものでした。
 変化といえば、こんなこともありました。曇り空で、気温が低く参加者の気持ちが少し弱くなっていた時のことです。雲が逃げて、スーッと陽がさしてきたのです。参加者の気持ちも、少し暖かくなったのを感じます。そんな中、参加者の一人が、手のひらで太陽の光をすくい上げたのです。手のひらを水をくむときのようにこころもち丸めて、太陽の光を受けとめたのです。すると、ほのかな暖かさが、手のひらの上にたまったのです。見ならって同じようにしてみると、確かに日の光がふんわりとたまるのです。不思議な体験でした。
 そんな変化に富んだ講座の最終日の朝、いつものようにサイレントウォークでした。この時も、どのフィールドで実施するか決めかねていました。早朝のフィールドに下見に出ると、夜間の放射冷却によって、ピーンと張りつめたような空気です。そして、それまで雲の中に隠れていた阿蘇の中心、高岳・中岳がくっきりと表れていたのです。山上には、2日前に降った霰が残っていて、白く化粧された山並みは、不思議な美しさです。見ていると、心が静かに透明になって行くのを感じます。この姿を皆と一緒にわかちあうことができたらどんなに楽しいだろうと、強く思いました。
 池を囲む一帯で実施することに決めて、朝の集合場所へ急ぎました。ちょうど、集合場所からは、(建物の影になっていて)山は見えません。静かに池の前まで誘導して、黙って山を見上げました。参加者の人たちも、私の視線の先にある、講座中初めて目にする山に気づきます。それは、何の説明も要らない美しさです。皆の視線がそろってきます。同じものを見つめながら、皆の気持ちも同調してきます。一人二人が静かに見つめているのではありません。40人もの人が、静かに同じものを見つめている雰囲気というものは、とてもいいものです。
 通常では、場の雰囲気が完全にできるのには、ある程度時間がかかるものです。それが、この時は最初からできあがっていました。
 この前日のことです、ゲームとゲームの休憩時間の間に、数人の人が忍び足で池のカモに近づこうとしていました。5メートルくらいまで近づいたところだったでしょうか、人影に気づいたカモは、大慌てで池の中に逃げ込んで行きました。ところが、この朝、何十人もの人がほんの数メートルのところに近づいても、カモはゆったりと構えています。単に、音を出していないというだけではない静けさと、一体感が周囲をおおっていた証だと思います。
ピーンと張りつめた冷気と共に、この時共有した一体感のことは、忘れ得ない思い出です。
1999.11.13

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人と自然の出会い旅013
木の中に響き渡る音たちのこと

 木に聴診器を当てると、木の中から不思議な音が聞こえてきます。時にはゴーッという音だったり、コポコポという音だったりします。いったい何の音だろうと興味が沸いてきます。木の中から聞こえてくる音に耳を澄ましながら、聞いている私自身の気持ちがいつのまにか木の内側にトリップしています。木との不思議な一体感を感じるときです。
 これは、『木の鼓動』と名づけられたネイチャーゲームの活動です。ネイチャーゲームの創始者であるジョセフ・コーネル氏は、この音を木が水を吸い上げる音であると、考えていました。日本でも、昔から春先のブナの木に耳を当てたり、樹皮に穴をあけてその穴に耳を当てて、水を吸い上げる音を聞くということをしていたと、他の方の本で読んだこともあります。一見動いていないように見える木の中を根から吸い上げた水が葉の隅々までとどき、葉で作られた養分が木の隅々まで巡っている。あたりまえのことですが、生きている。その音が聞こえるとすると、とても感動的なことです。
 しかし、残念なことに木が水を吸い上げるスピードは、とてもとてもゆったりとしたものなので、そのことによる振動(音)があるとしても、人の耳が感じとれるような周波数にはなりにくいと考えられます。いくら聴診器をもってしても、水を吸い上げている音そのものを、聞くことは難しいようです。では、水を上げる音そのものではないとしたら、いったい何の音が聞こえてきているのでしょうか?不思議です。
人が森の中を歩く音が大地を伝わり、根から木の幹へ伝わって聞こえることもあります。だとすると、大地の中を動いている、モグラやネズミの動き回る音も聞こえてくることがあるのかもしれません。森の中を吹き抜けて行く風が木の枝を揺らし、枝と枝がこすれる乾いた音が聞こえることもあります。そんな時は、枝や幹がきしむ音も聞こえているのかもしれません。葉と葉がこすれる音は、とても変化に富んでいて動きを感じます。木はそのときそのときの、森の中の多様な営みまでも、音を通じて私たちに、伝えてくれているのです。
 これまで、日本中のあちこちの森や林や街路樹や公園の木々に、聴診器を当ててみました。そんな中で、とびきり強烈な音の体験を一つ。それは、横浜こどもの国でのこと。ネイチャーゲームの養成講座をしていたときのことです 。あいにくの雨の中でしたが、林の中で『わたしの木』というネイチャーゲームを楽しんだ後、皆に聴診器を渡して、自分でも近くの木に聴診器を当ててみました。何本目かの木に聴診器を当てたとき、それまで聞いたこともないような強烈な音が聞こえてきたのです。とても、動きのある音です。ゴボゴボ?ゴーゴー?どう表したらいいのかよくわからないのですが、とても躍動感にあふれた音でした。他にも何本もの木から、強烈な音が聞こえてきます。雨の中でしたので、あるいは木の葉や幹にあたる雨粒の発する音、木の幹の表面を流れる水の音も入っていたのかもしれません。音源は特定できませんが、その時そこにいた人たちは、それぞれにこの強烈な音に接し、特別の感動を覚えたようでした。二度と再び、あのような「木の鼓動」に出会うことはないのかもしれません。でも、あの時、あの林の木々の中に響き渡っていた強烈な音を、たくさんの仲間とともに感じることができたことは、とても幸せなことであったなあと思います。
2000.1.24

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