「モヤさん」の人と自然の出会い旅V

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人と自然の出会い旅07
ある日森の中熊さんに出会〜った!

 また熊です。今度はついに実物と出会いました。
 富山県にある国立立山少年自然の家でネイチャーゲームの初級指導員養成講座出のことです。さすが立山です。自然度が高く、多くの野生動物やその痕跡と出会うことができました。

 前日から入って下見をしたのですが、施設の方がとても協力的で、わざわざ下見の案内を2人かって出てくださいました。まず手始めに新しくできた観察路からと、4人(富山の事務局の方も一緒でした)で歩いていると、ガサッと音がしました。前方を見ると、小さな涸れ沢の向こうのブッシュの中を黒い影が駆け下りています。あわてて沢に降りて沢を下って行きました。熊です、体長70センチくらいに見えましたから、まだ若い個体でしょう。一瞬の事でしたが、小さな涸れ沢を挟んで10メートルくらいまで近づいていたので、ビックリ。とはいっても、恐怖感はありませんでした。むしろ、野生の熊に逢うのは初めての経験ですからうれしくてしかたありませんでした。施設職員の中では、最近若い個体が近くに来ているらしいとの情報は有ったようですが、一緒に歩いてくださっていた専門員の方も熊に出会うのは初めてということで、喜んでおられました。ところで、このとき出会って、逃げていったのは熊さんの方でした。

 とはいえ、近くに野生の熊が出没するというとになると、「夜は友達」など、フィールドにひとりぼっちにする活動は避けた方が良いのかなと言うことになってしまいました(残念)。同じ時期に、ボーイスカウトの指導者研修会が行われていたのですが、彼らはテント泊ということもあり、施設の用意した熊よけの鈴を常に携帯しておられました。「そなえよ常に(ボーイスカウトの標語の一つ)」です。

 熊を発見した近くで早朝サイレントウォークを行っているとき、今度は参加者が熊のフンを発見。「大きな栗の樹の下」でしたから、初日に見た熊が、栗を食べに来て残していったのでしょう。最初は棒でつついていた参加者の中の一人が素手でつかんでしまいました。くんくんあまり臭くない、というより臭わない、と差し出してきます。おっ来たなてなもんで、こちらも素手で受けてくんくん。確かに臭いません。そしてふわっとした不思議な手触りです。生産されてから少し時間がたっているようです。今度は別の参加者に手渡します。明らかに気が引けているのが見えますが、講座3日間の成果です、素手で受け止めてしまいました。くんくん・・・。それにしても、奇妙な集団です。

 さらに、最後の実習の後、施設へ向かうのに、林の中の小道を通っていると、研修施設の目の前まで来たときに小道の真ん中に新しいフンが鎮座していました。前の日下見で歩いたときにはなかったので、前夜くらいに残していったモノと思われる新鮮な熊のフンでした。朝サイレントウォークの時のモノは、ほとんど匂わなかったのですが、こいつはできたてのホヤホヤだからか、はたまた肉食系の物を食べていたからなのか、とても臭いフンでした。今度は誰も摘んで見ようとはせず、棒きれでツンツン状態でした。つまみ上げてクマさんを追いかけて、「あらクマさんお待ちなさ、黒い固まりの〜」なんてだれも歌いませんでした。あしからず。

 次回は、カモシカさんとの追いかけっこのことを中心に

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人と自然の出会い旅08
カモシカさんとの長ーーい追いかけっこ
 初めてカモシカに出会ったのは学生の頃、神奈川県の丹沢山塊でのことでした。塔ケ岳から丹沢山に向かう途中だったか、丹沢山から蛭が岳に向かう途中だったか、何しろ25年以上も昔のことなので、はっきりしないのですが、登山路からかなり離れたところにたたずんでいたカモシカを見ることができました。初めてでしたので、それなりに興奮はしたのですが、割と簡単に出会えたので、その後長くあえなくなるとは予想できず、「ああ、いたなあ」という受け止めでした。レイチェル・カーソンが、見過ごしていた美しさに目を開くひとつの方法は、「もしこれが、今までに一度も見たことがなかった物だとしたら、もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と自分自身に問いかけてみることです。と言っているのとまるっきり逆のことになってしまっていたのです。

 以後、いくら山にいっても出会えませんでした。二十数年前、北アルプスの大縦走(笠ケ岳〜白馬岳〜親不知)の後に、長野県の大町にある山岳博物館を訪れました。そこに飼われていた、有名な『岳子』に会うことができたのが、唯一のカモシカとの出会い(?)でした。

 いくら山行きをしてもカモシカに会えないまま、学生時代の出会いが懐かしく、また残念に思われるようになった頃、ネイチャーゲームの指導で、長野の高遠少年自然の家に行きました。講座終了後に中央アルプスの縦走をして、越百(こすも)岳から下山しているとき、野生のモノとしては二十年ぶりくらいに出会いました。林道を一人急いでいると、崖の上で少し土砂が崩れる音がしたのです。驚いて見上げるとすぐそこに(10メートルくらい上でした)カモシカが立っているではないですか。
 突然の出会いに、驚きながらもうれしくなって、今度はじっくりと見ました。崖の上にいるカモシカとにらめっこ状態になって、互いに見つめ合っていました。格闘家同士なら激しい戦いが、若い男女なら激しい恋が待っていそうな、時間が過ぎました。どれくらいの時間がたったのでしょうか、相手が目をそらして崖の上を去って行きました。
 学生の時と違い、もううれしくてうれしくて、その後の退屈な林道歩きも、出会いのことを思い出しながら楽しく下れました。

 それから数年、山形で西澤さん(山形県ネイチャーゲーム協会理事長)の経営するナチュラリストの家に泊まった時には、カモシカに会えるのではないかと随分期待しました。西澤さんのところは、日本ネイチャーゲーム協会理事長の降旗さんが学生時代にカモシカ調査に入っていた山の家なのです。今でも、カモシカの調査のために毎年全国から多くの人がやってくるところなのです。しかもその時は、西澤さんの山の家のオリジナルバンダナに使われているカモシカのイラストを描いた人が同宿していて、たっぷり楽しい話を聞くことができたのです。
 ですから、是非ともカモシカに会ってやろうと、早朝から一人で歩き回りました。しかし、遠目にもその姿を見ることができませんでした。ところが、その間山の家の周りをのんびり散歩していた千葉のOさんはちゃっかりカモシカに遭遇していたのです。しかも、写真まで撮ったというのです。エーって感じでした。それじゃ、遠くまで歩き回っていた私はいったい何だっんだ・・・!

 そんな、カモシカとの出会い(出会えない)を繰り返して来た私ですが、ついにばっちり遭遇しました。前回熊との遭遇を書いた、国立立山少年自然の家で会えたのです。キャンプ場付近にカモシカが表れるというのは、講座前日、専門員の人から聞いていたのですが、一緒に歩いたときには会うことができませんでした。
 翌日、参加者が来るまで、早朝からたっぷりと下見をして、フィールドをさんざん歩き回りました。少し疲れて、芝生に腰を下ろそうとしたその時です、15メートルほど向こうの林の中から、カモシカがひょいと出てきました。ちょうど目があってしまったので、向こうも足を止めてこっちを見ています。目線を離さないようにしながら、静かに座りこみ、寝ころんで、こちらには危害を加える意志がないことを示しながら、にらめっこ状態に入ります。
 相手は、角の大きさからしてまだ若い個体のようです。その内に向こうが、なれてきて(飽きてきて?少なくとも警戒を解いて)目線をはずして近くの草を食べ始めるではないですか、これはスケッチできるかも知れないと、道具を出して書き始めると、こちらの動きが変わったのが気に障ったのでしょうか、林の中に入ってしまいました。
 あせって林の縁まで行ってみると、10メートルほど先のブッシュの中に、たたずんでいるではないですか。しばらく見つめ合ってなれてきた頃を見計らって、外の道を回り込んでもっと見通しの利く地点に移動。今度こそとスケッチを始めると、やっぱりいやがって林の奥に入ってしまいました。
 しかし、たっぷり下見をした後ですから、その先に行くにはどの道を行けばいいか先刻承知。見当をつけて、その地点に移動してみると、相手はちょうど林の中から出てきたところでした。こちらのしつこさには、さすがにあきれたような顔をしていました。その距離、今度は5メートルくらい。余りに近すぎたのでしょう、スケッチの態勢もとらなかったのに、別のブッシュの中に走り込んでしまいました。その先には道がなく、ついに追跡をあきらめました。この間20分くらいだったでしょうか、ワクワクドキドキの連続でした。

 講座2日目の朝にも表れました。早朝、芝広場に各自散らばって「サウンドマップ」というネイチャーゲームをしているときのことです。林の中から、落ち枝を踏む音がします。気にしながらも、静かに音の地図を書いていました。
 すると、私の前方に座っていた愛知のAさんが振り向いて目を丸くして、「林の中にカモシカが」と声にならない声で訴えかけてくるのです。静寂を保たなければならないゲームの途中でしたので、動くことも見ることもできませんでしたが、彼女の近くにいた別の人も林の中に確認したそうです。さすがに、広場にはたくさんの人がいたからでしょう、林の中からは出てきませんでしたが、接近遭遇でした。

 さらに最終日の朝、『サイレントウォーク』の場所探しをしているとき、立山広場という小高い集会場所で、ふと見ると車道の向こうに、黒っぽい大人のカモシカがいるではないですか。
 今度は向こうも気づいてませんし、スケッチができると張り切りました。ところがその時、道の向こうから車が接近、それをいやがったカモシカはブッシュの中へ入ってしまいました。
 それでもあきらめきれず逃げ込んだ辺りへ行ってみたのですが、今度は影も形もありませんでした。

 これから、何度カモシカに会うことができるのだろうかと思います。立山での出会いが最後かも知れません。野生動物の場合、その覚悟で一回一回の出会いを大切にしたいなと思います。そして、人との出会いもそうなのかも知れません。

次回は日本中に散らばった、私の木との出会いについて書いてみます。

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人と自然の出会い旅09

わたしの木のある所《前編》

 ネイチャーゲームに『わたしの木』という活動があります。二人組になって、森の中にある特別の木を紹介するゲームです。その紹介の仕方に、楽しい工夫がしてあります。最初の出会いは、目かくしをしてもらって行くのです。そして、視覚以外の感覚を総動員して、その木を感じることになります。木の肌触り・抱きつき具合・傾き・葉のつき具合・匂い・枝振り・葉の様子・お隣さんの木や草の様子・居候のツルや苔・生えている地面の様子等々、感じてもらうことはたくさんあります。ぱっと見ただけでは感じられない木のことを、深く深く感じる事になります。
 充分に感じた後、目かくしのまま帰ります。そして、目かくしをとって、さっきの木に会いに行くのです。同じフィールドにどんなにそっくりの木があっても、さわり、匂いをかぎ、抱きつき、感覚を再度研ぎすますことで、この木しかないと確信できる木に再会できるものです。
 この過程での細やかな接触に、紹介する人の温かい心遣いもあいまって、木の深いところまで感じる経験ができます。こうして、紹介された木は、特別の木になるのです。さらに、紹介した人にとっても、相手と木のやりとりをフォローする中で、やはり特別の木になてゆくのです。

 ネイチャーゲームの指導を通じて、全国あちこちでわたしの木を紹介したり、されたりして来ました。多くの「わたしの木」の中から、いくつかを紹介することにします。

 初めての「わたしの木」は、広島県の県北にある県民の森の中にあります。当時(十数年前)まだネイチャーゲームという言葉すらも知らないまま、この活動と出会いました。小雨の降る中でしたが、東屋の近くに斜めに立つ、趣のある木に案内されました。当時の私は、この活動を、自然を使う面白い遊びととらえました。そして、ゲームの本質を「木あてゲーム」だととらえました。それでも、未だにこの最初の「わたしの木」は、私の心の中に残っているし、こうして書いていてもその姿が、背景の景色と共に浮かんでくる、特別の木になっています。
 変わったところでは、アメリカにも「わたしの木」があります。ネイチャーゲームの仲間たちとヨセミテ公園を訪れたときのことです。ジャイアントセコイアの森として名高いマリポサグローブにも行きました。そこは、度重なる森林火災に耐えた、とてつもない(数十人で手をつないでやっと囲めるような)巨木が、林立する森です。そんな場所で、「わたしの木」を楽しんだのです。私の紹介してもらった木は、セコイアではありませんでしたが、それでも4〜5人抱えの巨大な松の一種でした。緑の地衣類に上部を被われたその木に、私は「グリーンマント」と名付けました。
 養成講座の中では、受講生に対する見本として、スタッフの誰かに木を紹介するところを見てもらうことになります。その時どきに、フィールドの中の気になる一本を紹介することにしています。そんな中の一本にギンドロの木があります。広島県呉市にある大空山の見晴らしのいい場所に、立っています。この木は、樹形も曲がりくねって面白く、紹介した人にも座ってもらったりしました。その上、この木の種は綿のようになっていて、ふわふわと周囲に降り注いでいました。見れば一面に、この木の子どもと思われる幼木が芽吹いているのです。相手の方にも、とても喜んで頂けて、わたしの中にも深く残っています。さらに、後で、このギンドロの木は、宮沢賢治の愛した木であると知りました。一層感慨が深くなったものです。

次回は「わたしの木」の後編として、最も心に残っている「わたしの木」について書きたいと思います。


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人と自然の出会い旅10
わたしの木のある所《後編》

 今回は、数ある「わたしの木」の中で最も心に残っている木を紹介することにします。その木の名は『ライ』といいます。京都御所の敷地の中にあります。この木との出会いは、1990年に京都で行われた全国レクリエーション研究大会でのことでした。
 前年の福岡での研究大会で、ネイチャーゲーム部会に参加して感銘をうけていた私は、参加する分科会を迷うことなくネイチャーゲームにしました。
 研究大会の中に、初級指導員の養成講座の内容を組み込むプログラムになっていたのですが、すでに指導員の資格を持っているものは、一般から参加者を募って指導することになりました。少し前に指導員になっていたわたしは、この研修の方に加わりました。その指導の場所が、御所だったのです。行ってみると御所の敷地中には、とても自然度の高い場所が残されています。(ご存知でしたか)その一角を使いながら、下見を行いプログラムを作り、指導の割当をしました。私の木も、全員で一本ずつ紹介する木を決めました。さんざん迷ったあげく、板根のような根を持つ大きな木を選びました。根の姿もさることながら、根もとにある大きなうろなど、とても魅力的な木だったのです。
 当日、用意したプログラムは順調に進んで、参加してくださった多くの人に感銘を与えながら展開して行きました。そして、最後に「わたしの木」です。前日の下見を生かして、その木のいろんな所を感じてもらっていました。根もとのうろを感じてもらおうと、「下の方もさわってください」と声をかけて自分ものぞき込んでみると、思いもかけないものがありました。何とそのうろの中には、前日まではなかったキノコがびっしりと生えているではないですか。夜更けに降った雨がきっかけで、一夜の内にキノコが生えてきていたのです。驚きながらも、キノコにもやさしくさわってもらいました。再会して、もう一度感じてもらいながら、その木のことを楽しく語り合いました。そして、ふと樹上を見上げると、随分葉っぱに元気がありません。下見の時には樹形や、肌触りを中心に観察していたので、高いところにある葉っぱのことは気にならなかったのです。何故そんなに弱まっているのか気になって、いろいろ考えました。前年の台風などの影響で樹勢が弱まっているのだろうということになりました。そして、彼女がこの木につけた名前が『ライ』だったのです。未来の『来』です。これからまた、どんどん元気になって、未来を作ってくれることを願っての命名でした。
 しかし、終わった後も、キノコのことが気になりました。多くの場合、キノコは弱った木や死んだ木につくものです。とすれば、あの木の弱り方は、一時的なものではないわけです。あの木は樹勢を取り戻しているのだろうか。気になりながらも、離れている地にあるわけですから、簡単に会いに行くわけにも行きませんでした。
 5〜6年たって、京都での養成講座に講師で入ることになりました。講座が終わって、スタッフのTさんの好意で、御所に連れていってもらいました。すでに夕闇が迫っていましたが、『ライ』に会うことができました。暗い中でしたが、たくさんの木の中からちゃんと見つけだすことができました。
 しかし、不安は的中してしまいました。『ライ』は、枯れ死していたのです。ひょっとするとと、思いながらも、何とか元気でいて欲しいと願っていました。枯れてしまった『ライ』にさわり、呆然と見上げながら、たまらなく愛おしく感じていました。
 Tさんによると、その木のまわりは、地域のネイチャーゲームの会で使うことが多いそうで、子どもたちがどのようにその木に接しているかを、教えてもらいました。その木は、枯れてしまった今でも、子どもたちがよく遊んでいるというのです。『ライ』は未来のある子どもたちと共にあるのです。『ライ』の名前に込めた願いは、少し形は変わりましたが)しっかりと生きているなあと、心がなごみました。
 「わたしの木」の本質が、単なる木あてゲームではないと、自信を持って言えます。少なくともわたしにとって、『ライ』は枯れてしまった今でも、特別の木です。木だけではありません、御所の中の『ライ』の立つあの空間も又、特別な空間になっています。「わたしの木」という活動を通じて、一本の木とその木の立つ空間が、わたしの存在と深く関わるものになっているのです。

次回はサイレントウォークのフィールドについて

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出会い旅4