by forest-doorさん エル・グレコはギリシャ人ですが、このトレドに移り住み、亡くなるまでの40年間をトレドで過ごしました。トレドにはエル・グレコの家や、グレコの傑作として名高い「オルガス伯の埋葬」があるサント・トメ教会などがあります。 そしてグレコは自分が住んだこの街、トレドの景色も描いています。→こちら 何か起こりそうな空の色、冷たい石のような建物、とても明るいスペインの街、というにはほど遠いようなそんな景色が広がっています。彼はこの風景画で何を描きたかったんだろう…、孤独な環境にいたのかしら…などといろんな想像が浮かんできます。 このグレコの絵を見たあとでは特に、「旅の絵本」5巻の表紙で安野さんが描かれたトレドの絵のゆったりした古きよき街の茶系色の色合いがあたたかく、おちついた気分にさせてくれます |
by forest-doorさん 安野さんの絵本とよ〜く較べてみると時計の針はまったく同じ時間、6時55分を指していることがわかります。 でも、ダリの絵では時計の文字盤に7があって11がないのに、安野さんの絵本では11があって7がないようになっています。 それからダリの絵のほうには蝿がとまっていますが、絵本のほうにはいません。 蝿がとまるなんて、食べ物みたい…と思ったら、ダリのこの作品の時計の部分は夕食に出されたカマンベールチーズに誘発されて出来上がったものだということです。 カマンベールチーズのあのとろっとした柔らかさ。 それが、目に見えないはずの時を刻むことで、確固とした時の存在を感じさせてくれるものである時計と結びついています。時計にはそんなかっちりとしたイメージがあるのに、柔らかく折れ曲がった時計はイメージが逆転したかのようです。 でも、時そのものは柔らかいものであるかもしれません。楽しいときはどんどん飛ぶように去り、つらいときは、ねとっと粘り気をふくんだかのように重く感じられるのは、その変幻自在の柔らかさによるものではないか、と思われます。 また、記憶のなかの過去という時は、なんと甘く柔らかなイメージでつつまれているか… それだからこそ、ダリは時計を折れ曲がって柔らかくしたうえ、蝿やアリが寄っているように描いたのでしょうね。 |
by forest-doorさん 安野さんの本「「カタロニア カザルスの海へ」ではこの人間ピラミッドを見たときのことが綴られています。 パレードが行くと、人間ピラミッドがはじまった。これはカタロニアの伝統的な曲技で、仲間が心を一つにしなければとてもできない。 人間が固まって基盤をつくり、その上に四人が肩を組んで立つ、その上に二人、またその上に二人上がり、最後には小さい子がよじのぼって、片手で天を指すと、素早くそのピラミッドは解体していく、二段目ができたあたりから、オーボエに似たグラリーヤという民族楽器が鳴り出す。底辺にいる人たちは、この音楽によって、ピラミッドがいま頃どの程度までできているかを知るらしい。 絵本でもピラミッドの左には太鼓やグラリーヤらしき楽器を持った人々が描かれていました。 |
by forest-doorさん バルセロナの中心地ゴシック地区では毎週日曜日の昼に、大聖堂前広場でこのサルダーナが行われています。安野さんもモンセラートの街で、その輪に取り込まれ、見知らぬ人に手をとられて驚いたことがあったそうです。 絵本のサルダーナの輪のなかで、右端のほうにちょっと腰がひけている茶色の服の男の人が描かれていますが、これは安野さん自身かもしれませんね。 |
by forest-doorさん カザルスはフランコ政権に反対し、亡命して、以降、フランコ政権に賛成する国では一切演奏をしなかったといいます。 そして、1971年、カザルスが94歳の時にニューヨーク国連本部において「私の生まれた故郷カタロニアでは鳥はピース、ピース(Peace 平和)といって鳴くのです」といって「鳥の歌」を演奏したエピソードは有名です。なので、絵本ではカザルスの銅像の上に鳥が舞っているところが描かれているんでしょうね。 きっとこの鳥は「ピース」「ピース」といって鳴いているところなんでしょう… また、カザルスといえば、バッハの無伴奏チェロ組曲が有名ですが、バルセロナの古楽器店でこの曲の楽譜を発見したときはわずか13歳だったといいます。そして12年もかかってその曲を解釈し、カザルス自身のバッハの音を作り上げたのです。私はこのバッハの無伴奏チェロ組曲を聴くと、押し寄せる音の深みに立っていられなくなるほど、くらくらします。 昔から弦楽器の音、特にチェロの音が好きでした。たぶん、子供のときに「セロ弾きのゴーシュ」を読んでいたのも影響しているかもしれません。でもそれだけではなく、このバッハの無伴奏チェロ組曲には他のチェロの曲にはないほどの強い揺さぶりがあるのです。聴いていると、深く深く森の奥や、海の底、そして天上の雲の世界へと魂が導かれるような気がします。 上に挙げた「カタロニア カザルスの海へ」で安野さんはこう結んでいます。 わたしは冥黙し、カザルスとバッハと「無伴奏チェロ組曲」を思う。 それは、チェロを弾くカザルスの足元から音楽の泉となって生まれ、それはあふれて流れ出す、流れは谷川となり、瀬となり、淵をつくるなどして、次第に川幅も広くなる。 音楽の流れは、時の流れであり、それはいかにも人生に似ている。 わたしも、やがて海に出て行くが、そのときは、バッハの「無伴奏チェロ組曲」を聴きながら悠々と出て行こうと思っている。 伊勢英子さんの本「カザルスの旅」(中公文庫)を読んでいると、あとがきで澤地久枝さんが「生きるって不思議」という文章を寄せていらして、そこには思いがけなく安野さんのお名前が! こんな文章でした。 …画家の安野光雅さんとカザルスについての会話をかわすようになるのは、さらに年へてからのこと。 わやしたちは、フランコ独裁に抗議し、母国スペインへ帰らずに亡くなったカザルスの人間性を語りあい、さらに、十二枚組LPを安野さんが買いそこなったとわかって、しばらく安野さん方へ養子にやるというような進展にもなった。… 澤地さんから借りられたカザルスの十二枚組のLPで、安野さんはたっぷりカザルスのチェロの音に浸られたんでしょうね。 深い深いチェロの音。カザルスの歩んだ人生を考えながら、私もLPで聞いてみたくなりました。 |
by forest-doorさん タピエスは砂や着色セメントなどをつかって画面をもりあげたり、ひっかいたりした跡を残したりします。またよく数字やアルファベットなどを画面に用いています。「赤と黒」でも赤と黒という二つの空間の間にO(オー)の文字が閉じ込められている、と画集で説明されていました。私はずっとこれを目だと思っていて、強い意志を持って何かを見つめる目といったイメージを抱いていました。Oと分かってもやはり、そのイメージは消せないものですね。 安野さんはタピエスについて、この絵本のあとがきで、機会を得てタピエスに会うことが そしてタピエスの画集を見ていて、気になったのが下の絵、「カタルーニャ魂」でした。 モチーフになっているのはカタルーニャの旗です。 カタルーニャの旗は黄色い地に赤で四本線が入ったもの。(カタルーニャのサッカーチームのキャプテンはこのカタルーニャの州旗のデザインのキャプテンマークをつけます。→こちら) この旗は、昔独立国であったカタルーニャの王が戦いで負傷し、自らの血を指につけ、黄色い盾に線を引いたことが由来となっています。 タピエスの絵にも画面のあちこちに指で描いたかのような赤い線があります。 そして引っかき傷のようにして画面中に文字が入れられ、中央にはCATALUNYAとあります。 この絵を見ていると痛い傷のようにひりひりとカタルーニャへの思いがキャンパスに刻み込まれているように思います。そして、このような思いはタピエスだけでなく、このバルセロナを中心としたカタルーニャ地方の人々には、カタルーニャという自分たちの地方に対して強い思い入れがあるようなのです。 そんなカタルーニャではフランコ政権時代、カタルーニャで話されていたカタルーニャ語が禁止されていたといいます。 しかしフランコが倒れてからはカタルーニャ地方ではスペイン語とともに公用語となっています。安野さんの本「スペインの土」にはこんなふうに書かれています。 禁 じられていたカタロニア語が解禁となったその翌日にはカタロニア語の書物が、どっと書店に並んだという。 彼らが「カタロニア」というときは目が光り頬が紅潮する。(...) それを「独立精神」と呼べばいいだろうか。ここではスペインという国名よりもカタロニアの方が優先するらしいのである。 また、他の本では取材先の人から「カタロニアの本を書いてくれ」と言われたと安野さんは書いていました。スペインではなくカタロニアの本をと。 この旅の絵本のP.5-6では赤と黄の縞もようがいろんなところに見られます。テントや巨大人形、太鼓、自転車レースのゴール、そして旗など…。絵本の見返しも赤(といってもほとんどオレンジですね)と黄の縞です。スペインの国旗がやはり赤と黄なので、そうされたのでしょうが… でもこのページは確かにカタルーニャ地方の人々の思いを汲み取って描かれたんだなと思います。 できたことは、一生の思い出と書かれています。 |