「モヤさん」の人と自然の出会い旅]V

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人と自然の出会い旅54
雨が降ったら良い天気


 私はネイチャーゲームのリーダー養成講座の開講式でこんな風に宣言します「天気は『天』まかせ、晴れるときもあれば曇りの時も、雨の時も風の時もある。どんな天気も良い天気。雨は大変だけど指導員の養成のためにとても良い体験ができる・・・。」などと。
 そんな時、私は1986年に初来日したときのコーネル氏(ネイチャーゲームの創始者)のことを思っています。彼は、ワークショップの予定された山形県の朝日町で、早朝の大雨の中を喜々として散歩していたというのです。彼は雨に濡れながら「こんな良い天気なのにどうして外に出ないの」と言ったといいます。
 私は、この話を自然を愛する者の心意気としてとらえてきました。まだ、コーネルさんの域には達していないけれど、雨の日には雨を、風の日には風を楽しむ自然案内人でいたいと思ってきたものです。そして、山口の講習会では台風の中でも、参加者と共にワクワクしながら実施できました。ついには、安全を確認して、台風の中の森で〈夜は友だち〉を行うという強烈な体験をしました。(※人と自然の出会い旅49「嵐の中・・・・森に守られて」
 ところが、今回(2007年7月)広島の講座で、コーネルさんの喜びは彼だけではないという、体験ができました。またしても、大型台風の接近の中で開催された講座。今回もまた台風を楽しんでやるぞと臨んだ講座です。その中に遠路オーストラリアからの参加した人がおられたのです。彼は、小学校の時に家族でオーストラリアに移住。現在は、オーストラリアでエコガイドをしている方。日本でのインタープリターのあり方について学ぼうと、キープ協会などでの学びと共にネイチャーゲームの養成講座に参加されたというわけです。この人が・・・私以上に雨を喜んでいるのです。台風ウェルカムなのです。心底ウェルカムなのです。彼が生活するゴールドコーストは、乾燥地帯です。雨が降らないのです。近年は特にひどくて、洗車は厳禁、庭の水まきはホースを使うと罰金(柄杓でします)、シャワーの使用時間を短くしようと各家庭に砂時計が配られています。(シャワーは4分以内)
 というわけで心底、雨に打たれるのが嬉しい、山を包むもやを見ると感動、雨に濡れた森に感動、葉にのった水滴に感動・・・写真を撮りまくるのです。私たちが何気に見過ごしてしまう一つひとつに心を動かし続けておられるのを感じます。彼のそんな姿を見ながら、あらためて「見過ごしてきた自然の美しさ」に気づかされるのです。私たちのまわりには、まるで奇跡のような美しさにあふれています。葉の上の水滴の輝き、吹き付ける風の中の湿気の中に「美」を感じることができるのです。そう、雨が降っても良い天気。いや、雨が降ったら良い天気。
 2007.7.21


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人と自然の出会い旅55
「この枝、足があるよ」(鯱鉾蛾)

 ネイチャーゲームにカモフラージュという活動があります。自然の中にセットされた人工物を見つけ出すという、観察力・集中力を養う活動です。大きな物より小さな物が発見されにくいのは当然ですが、色や形状や質感が周囲の自然にありそうな物だと、見逃してしまいやすいものです。ゲームが終わるとふり返りをして、どうして見つけにくかたのかを皆で考察し、自然界の中でカモフラージュ(カムフラージュ)している生き物の生態について学ぶことになります。
 カモフラージュしている生き物といえばと問うと、参加者の多くがカメレオンを連想します。考えてみれば自然界でカメレオンを見たことのある人はほとんどいないのに・・・・よく知られています。教育の力は恐ろしいというか、すごいですね。さらに重ねて、見たことのある物ではと聞くと、色々出てきます。カマキリ、アマガエル、ナナフシ・・・、自然界には擬態や保護色の名人がたくさんいるものです。ただ、名人になるほど、いても気づきません。名人とはいっても中途半端といえば中途半端、まあ二流なのかもしれません。本物の名人は見ていても、存在に気づかないわけですから。これまでに何とか存在に気づくことのできたものの中で、その見事さに感動すら覚えた虫を紹介しましょう。
 それは、数年前の夏、キャンプの最中でした。強風が吹いて、テントが傾いたりロープがたるんだりしてしまい、早朝に手直ししているときでした。仲間が、これは何だと言うわけです。折れた木の枝が本部テントのポールにくっついているのです。何で?木の枝がポールにくっつくの??・・・ひょっとして虫かな???というわけです。見てみると、どう見ても木の枝です。ありふれた樹皮、折れ口の黄ばみ・・・それが垂直なポールにくっついているわけです。虫だとすると目がない触角もない・・そんな虫がいて良いのか。目を皿のようにしてよーく見ると、ヒゲ(足?)のようなものがあって、ポールにしがみついているようにも見えます。どうも、虫だろ。しかし、こんな虫、見たことも聞いたこともない。もし虫だとすると、新種発見?ワクワクしてきます。確認の為に、写真に撮っておこう。みんな、デジカメに収めてゆきます。私も、あまり性能の良くない携帯カメラでとりあえず記録。
 キャンプが終わって、調べてみるとシャチホコガ(鯱鉾蛾)の仲間と判明。名前があるわけですから、もちろん、新種発見ではありません(汗)。名前の由来は、幼虫の時にシャチホコのように反り返るからです。ヨーロッパではエビに見立てて,ロブスターモス lobster moth というそうです。今流に表現すると、イナバウワー状態。その異様な姿に比べて、親になると地味だというのですが・・・。確かにその多くは地味といえば地味。でも私たちが見たのは、「ツマキシャチホコ Phalera assimilis 」で、ものすごい擬態。食草の違いで、ムクツマキシャチホコなど近似の種類が何種類かあるようなのですが、どれも同じように見えて、同定できませんでした。
 特に、絶滅に瀕しているとかいうわけではなさそうですが、あまりに上手い擬態のために、再会する自信はありませんが、広島では8月頃成虫になるようですから、夏になったらそのつもりで探してみたいと思います。足のついた小枝を。

私のとった写真は、あまり精度が高くないので、みんなで作る日本産蛾類図鑑
http://www.jpmoth.org/index.html

シャチホコガ科(Notodontidae)種一覧
http://www.jpmoth.org/Notodontidae/Aindex.html
から
41ツマキシャチホコ Phalera assimilis (Bremer & Grey, 1853)
http://www.jpmoth.org/Notodontidae/Phalera_assimilis.html
を参照してください。幼虫の姿も見ることができます(ただし、この幼虫はあまりシャチホコらしくないので、それは別の種を見た方が良いでしょう。)

擬態という点では、
30ムラサキシャチホコ Uropyia meticulodina (Oberthur, 1884)
http://www.jpmoth.org/Notodontidae/Uropyia_meticulodina.html
が、一段とすごいです。信じがたい擬態です。
2007.7.31

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人と自然の出会い旅56
馬刀貝(マテガイ)採りは、ゲーム感覚です

 浜で潮干狩りをしている人たちが、「この前は塩が足りなくなったので、今回は二袋持ってきたんですよ」と用意した食塩の袋を見せてくれた。何のために、そんな大量な塩を使うのかというと・・・・
 
 北九州市のもじ少年自然の家で、研修会(フォローアップセミナー)をしたときの事。例によって、たっぷりと時間を使って広範囲のフィールドを延々と歩き回って、施設に戻ってくると、目の前の海岸には、多くの潮干狩り客が集まってきています。「ここの貝掘りはちょっと変わっているんですよね」という地元スタッフの言葉に、好奇心がムクムクとわき上がります。ほぼ、フィールドの見当もついたので、見物することにしたわけである。
 この海岸の貝掘りの目当ては、「馬刀貝(マテガイ)」。二枚貝の仲間なんですが、まるで髪飾りのように細長い姿です。これが、なかなか美味な貝なんだそうですが。むしろ、その採り方がユニークで、興味深いのです。潮の引いた砂浜の表面を削ってゆきます。小さな草削りで、削っている人もいれば、唐鍬で広範囲を効率よく削っている人もいます。
 削ると、砂に穴を掘って生活してる生き物の巣穴が出てきます。その中に、マテガイのものがあります。マテガイはその奥、数十cm〜1mにいるのです。これを掘り起こしていては、大変な重労働。ところが、そんなに深くまで掘らないで、貝の方から出てきてもらう秘策があるのです。穴に食塩を注ぎ込むのです。すると、塩分濃度の急激な変化にびっくりしたマテガイは穴の外に飛び出してくるのです。(びっくりすると言うよりは、潮が満ちてくると出てくるので、そのように勘違いさせているのだとの説もあります)
 ともあり、ニューッと体の数cmほど飛び出してくるのです。そこをつまんでとるわけです。ただし、すぐに引っ込んでしまうので、タイミングを外すと失敗です。といって、早すぎて、充分に出てこない前(・・・体のほとんどが穴に有るとき)に、摘むと、マテガイさんは穴の中にしがみつきますから、さあ大変です。もちろん人間の力の方が強いのですが、強引に引っ張ると体がちぎれてしまうのです。貝殻が目的ではなくて、中の体が欲しいのですから。これも、失敗なのです。 
 複数の穴が一度に見つかって、食塩をかけたときはさらに大変です。どの穴からどのタイミングで顔を出すのか、分かりませんから(プロは分かるのかも知れませんが)・・総ての穴にまんべんなく意識を広げて、出てきたら素早く反応する。モグラたたきならぬ、マテガイつかみのゲームになります。
 買えばけっこう高価な貝ではありますが・・。大量の食塩と結構な時間を使っての収穫ですから、経済効率としてはかなり割の悪い労働です。ところが、これを遊びだと思うと、低費用で、かなり面白い遊びだと言うことになります。
 ただ、少し疑問があります。この採り方は、いつ頃から有るのだろう?多分、大昔のマテガイも食塩をかけると飛び出したのでしょうが、戦後、イオン交換膜法の技術が発明されるまでは、食塩は大変高価なものですから・・・今でも昔ながらの「藻塩(もしお)焼き」製法で作られた食塩は高い(ネットで1kg3000円くらいでした)。とても、こんな遊びにはつかえなかったと思うのです。それとも、とってもお金持ちの遊びだったのでしょうか。
 潮が引ききった浜は、人の波。そして、隅々まで掘り返されて、イノシシが荒らした畑もここまでひどくないぞと思わせるような、状態になっていました。2日間いましたが、二日ともそんな状態でした。これで良く、マテガイが絶滅しないものだと、変に感心してしまいました。

マテガイ採りの動画です。
http://jp.youtube.com/watch?v=0DJyHcB3TZ8

大漁の人たち。(こんな風に採れる人もいるんですね)
http://jp.youtube.com/watch?v=9wVVOkVtwp4&feature=related
2008.6.14


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人と自然の出会い旅57
「森を自分が癒されるための道具にしていないだろうか・・・  」
        〜樹林気功師藤田雅子さんのこと〜

 大洲青少年の家で行われた中四国環境教育ミーティングに、分科会のゲストとして、参加しました。参加した分科会のテーマは「森林セラピー」。ネイチャーゲームという手法を見直す、良いきっかけになりました。そして、森林セラピーの分科会のもう一人のゲスト樹林気功師の藤田雅子さんと出会いました。当初、樹林気功という言葉を聞いたときの印象は、「森の中で気功をして、樹や森の気をもらう」のだろうというものでした。

 彼女は、良い気をもらって邪気を捨てる、という発想を樹林気功ではしないとおっしゃいます。考えてみれば、有用な気を森から収奪して、ため込み、消費して、邪気という廃棄物を捨てさるというのは、自分さえよければいいという、発想です。今日において、私たちが精算しなければならない、心のありようです。生態系では、二酸化炭素もフンも死体すらも、価値があるものです。それに比して、有用なものをため込み、無用なものを捨て去るというのは、破滅のシステムです。「気」においても、循環こそが大切というわけです。

 彼女の師であり、樹林気功の提唱者である今田求仁生(クニオ)さんは、かってソ連に侵攻されたアフガニスタンで、国境無き医師団のメンバーとして活動をしていて、毒ガス吸ってしまいます。かろうじて命は取り留めたものの、肺ガンになります・・・末期です。死を覚悟して、最後は日本の山でと、東北ののブナの森に横たわり、気功をします。40日間。・・・ガンは縮小し、奇跡的に助かるのです。
 だからといって、今田さんは、「森にはガンですら癒す効果があります、みんな森に行って病気を治しましょう。」と主張しているのではないのです。いのちのつながりの中で、気を通じ合い、癒しあう中で生きてゆくことが大切と、樹林気功を提唱するのです。

 樹林気功は森の中でするものと思っていました。ところが藤田さんは、「雨が降るようだったら、室内でします」とおっしゃります。森の中で気功をするから、樹林気功というのではないのですと・・・「一人一人の中には樹があるから、人が集まっているとそこには森があるのと同じなんです。」と。そして、人が集まって、癒しあうのです。「癒す人」が「癒される人」を一方通行で癒すというのも、樹林気功ではないのです。藤田さんの学んだ樹林気功では、「癒しあう」というのが基本です。このことは、人同士でも、対自然においてもです。

 雨が上がって、森に行きました。
 森に入る前に、森に挨拶をします。樹に接する時には、まず樹に挨拶をします。ずかずかと、入ってゆかないのです。まるで、宮沢賢治の世界です。以前紹介した、水俣の杉本栄子さんの世界とも通じるものを感じます。気がスムーズに流れるようにする技法(?)も大切なのでしょうが、むしろこの感性こそが本質的に大切だと受け止めました。
 それは、人と人、人と森との対等な「ギブ&テイク」の関係といったらいいでしょうか。とはいえ、テイクを期待してギブをするのではない。もらったのだから、返さなければというのとも違うように感じるのです。

 わたしは、ネイチャーゲーム(シェアリングネイチャー)の実践の中で、「自然との一体感」を大切にしてきました。大いなる自然と私個人が一体となることで、揺るぎない私となり、・・・私は真に幸せになる。そのような豊かな体験を、多くの人にしてもらえればと思って来ました。ところが、それ(わたしが幸せになること)が目的であるとすると、一歩間違えば、自然に対して「やらずぶったくり」の精神に堕落してしまうおそれがあるのです。

 私の中で、フィールドは、より良いシェアリングネイチャーをするために、自然との一体感を得るために、(都合の)良い場所というとらえ方になっていたかとも思うのです。もう一度、わたしの思いを整理し直さなければと、感じています。
2008.6.25
藤田さんの樹林気功のHP
http://www.jyurinkikou.net/index.html


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人と自然の出会い旅58
支えるということ〜 七條 孝昭さんを偲んで〜

 ことをなすに当たって、裏方の仕事は大切です。でも・・・面倒です。私の場合、地道にコツコツ積み上げてゆくのが苦手なこともあって、できることなら逃げてしまいたいお仕事です。私がやるとポカが出て他の人迷惑をかけるし・・・・ブツブツ。
 それに反して、表面の仕事は好きです。・・・性格の分類では内向性のはずですが、いつのころからか前に出て指導するのが大好きになっています。とりわけネイチャーゲームの指導となれば、いくらでもできてしまいます。

 ところが世の中は良くしたもので、裏方の方が好きだとおっしゃる方がいてくださいます。好きと言うだけでなく、上手にこなしてくださいます。そんな中で第一級の人が、大分の七條 孝昭さんでした。ネイチャーゲームのリーダー養成講座で大分に行くと「運営の仕事は任せてくれ」と言われます。最初の時に一緒に仕事をしてみて、その言葉がはったりでないことを身にしみて知らされました。事務仕事や参加者へのケアは無論のことです、スタッフへの心配りも、施設との調整も万全でした。ですから、以後は裏方のことについては一切口出しをしないことにしました。七條さんに任して大好きな表面の仕事に専念するのです。ただ、こういう状態にしたいと希望を伝えるだけです。そのための手だては、お任せです。ありとあらゆる手を使って準備してもらえます。ですから、そんな彼ができないといったら「そこをなんとか」なんて頼むのは無駄だし、失礼だと思っていました。ありとあらゆる可能性を考えての、できないですから。
 例えば、こんなことがありました。九重青少年の家での養成講座でのこと。『大地の窓』という落ち葉に抱かれて大地に横たわるという素敵なネイチャーゲームをしたくなりました。そのためには、大量の落ち葉が必要です。そこで、「大地の窓がやりたいのだけれど、最終日にキャンプ場に人数分(参加者が多かったのです)の落ち葉を集めることができるかなあ」と頼みます。七條さんは「できるよ」と軽く受けます。それから彼がやったこと・・・スタッフを動員して落ち葉を集めます。ところが落ち葉が少々しめっていました。少々しめっているぐらいならできますが、乾いた葉の方が気持ちいいのです。早速、施設と交渉して乾燥室を借りてしまいます。大量の落ち葉を施設に持ち込んで乾かしてしまいます。
 この時の講師は、私の他に鹿児島から二人来ていました。実は「大地の窓」は落ち葉に包まれるため、ツツガムシ病の出る地域では、実施がためらわれます。施設のある地域は大丈夫なのですが、九州はツツガムシ病の発症が多いのです。しかも、南に行くほど条件が厳しくなります。鹿児島の二人も長年ネイチャーゲームをやっているのに体験したことが無いと言います。彼らの分もちゃんと用意してありました。
 彼は、体験した後の参加者の幸せそうな顔を満足げに見ていました。そして、その場にはいなかったスタッフには、頑張ってもらったおかげで参加者にとても言い体験をしてもらえたとお礼をいいます。頑張ったスタッフへの報酬は、参加者の喜んでいる姿だよと確認するのです。
 一時が万事この調子でした。
 講座の中で、個々のアクティビティーをバラバラにするのでなく、まとまりとして実施することを心がけています。そのことを確認する意味も含めて二日目の朝の実習を、地域の会でやっているように、最初の挨拶から終わりの挨拶まで2・3時間通してやることが多いのです。どうせなら、それらしくポスターを作って、参加者に呼びかける形を取りませんかと提案すると、翌日にはすごいポスターができあがっています。彼が作ったのではありません。スタッフの中から適任の人をチョイスして、その気にさせて、作ってもらったのです。参加者に楽しんでもらう、地域の会のことを知ってもらうという面と、スタッフにも、地域の会でやるときのヒントを学んでもらうことにもなります。運営委員長の役とか事務局長や受け付けの役とか・・・スタッフも参加する場所を作ります。全て、こちらからの細かい指示はなしです。 
 こんな調子ですから、彼ができないといったことを「そこをなんとか」と頼むのは無駄だし、失礼なのです。七條さんは誇り高い人でした。表面の指導ができない人では無いのですが、裏方を誰にも負けないように完璧にこなして見せるという自負と、実績を持っていました。そのために、彼は睡眠時間を削ることもいといません。
私が若い頃、講師をするときはスタッフの誰よりも遅く寝て、誰よりも早く起きてフィールドに出ることが多かったのです。夜の実習が終わると、参加者との懇親会だったり、指導案の検討だったりが続きます。一段落ついたらスタッフとの連絡調整、さらに他の講師とのその日の指導の振り返りと翌日の打ち合わせです。延々と続いて午前1時・2時ということもざらでした。さらに話が盛り上がって・・ということも再々でした。そして、朝は6時半からの野外実習のために、事前のフィールドチェックです。スタッフから「もやさんはいつ寝るんですか」と声をかけられていました。「いや、養成講座の時は特別のスイッチがあって、それが入ると別の体になるんですよね。」なんて答えます。(最近は、そこまで無茶ができない体になってきています)
 そんな私でしたが、七條さんと組んだ時には逆でした。「七條さんいつ寝てるの?」と言ってしまいました。私が寝ようとするときにも、まだ会場の片付けや事務仕事をしています。早朝のフィールドチェックにと日の出前に出て行こうと、荷物を研修室にとりに行くと、そこにはもうコーヒーをわかして待っている七條さんがいます。ですから、あれはもう寝てないのではないか・・というのが私の実感でした。
 そんな七條さんは決して頑強な体ではありません。いつも、病院からもらった薬を持っている人でした。それでも彼は信念で動きます。若いスタッフにいうように、参加者が満足している顔をエネルギーにして。
 その七條さんが、本当に倒れてしまいまいます。決して他人に渡すことの無かった養成講座の裏方の仕事を、同志のKさんに託して入院です。それでも、せめて懇親会だけでもと、別府の山奥にある施設にやってきます。そして、参加者やスタッフに声をかけて回るのです。懇親会が終わると、今から帰るといいます。とても山深い所にある施設ですから、だれが送ってゆくのと問うと。奥さんが車で待っているといいます。あわてて、スタッフと挨拶に行きました。重病の夫のわがままを聞いて、山奥まで送ってきて待っている、そこに、裏方の七條さんを支える人の姿を見ました。意気に感じれば命を削ってでも仕事夫(ネイチャーゲームだけでなく本業でも体を酷使続けておられました)に、体のことを気遣いながら、支えてきてくださったのだろうなあと、切なくなりました。
 その後、七條さんは手術をし、一端は退院されましたが、再入院。養成講座から半年後(2007/6/28でした)に、帰らぬ人となられました。まだまだ、若かった。惜しい人を亡くしました。でも、完全燃焼の人生だったと思います。

 七條さんの生まれ故郷は熊本県の阿蘇です。そんな縁で、阿蘇での養成講座の運営を引き受けておられました。そして、参加者の中から次のスタッフを育て、スタッフのあり方を伝えていました。熊本県ネイチャーゲーム協会の礎を築いた人でもあると思います。その熊本で今年、全国ネイチャーゲーム研究大会が盛大に開催されました。七條さんの志をついで熊本県協会の裏方を支えてきたTさんが、うれしそうに・さみしそうに「七條さんに見てもらいたかった」と。同感です。
2008.7.4

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人と自然の出会い旅59
綿に足がついている!?


 北九州市の山田緑地で幼稚園の先生にネイチャーゲームを指導することになり、前日スタッフの方と下見をしていました。道ばたの草の茎に綿のようなものが付いていますす。病気でしょうか?
 以前にも何度か同じようなものを見たことは有るのですが、綿のようなものの正体が分からなかったのです。ところが、今回はよく見ると虫がいます。さわってもほとんど動かず、微妙に横歩きでわずかに移動してゆきます。目をこらしてよく見てみると小さな小さな足があります。まるで綿に短い白糸が付いているようです。綿状の中には何匹かの虫が隠れています。小さな目も見えてきます。捕まえて正体を確認しようと、一匹をつかもうとすると、それまでほとんど動こうとしなかったものが、突然ピョーンと跳ねてどこへ行ったのか見失ってしまいました。その姿と直前までの動きからは全くの想定外のジャンプ力です。静と動、見事なコンビネーションでの護身術です。べつの1匹を今度こそ逃げられないように捕まえようとすると、手の中に「綿」を残してピョンと跳んでゆきました。

 これは何だろう・・・多分アブラムシの仲間だろうと想定して調べてみましたが、それらしい物が見つかりません。そこで、山田緑地の人に「アブラムシのようなのが、綿毛をつけていてい、突然跳ねるのですが・・・」と特徴を説明すると、ベッコウハゴロモ(鼈甲羽衣)という蛾の幼虫だとのこと、早速調べてみました・・・。ところが、それなりに詳しい蛾の辞典にも載っていない???さらに調べてみると、蛾ではなくカメムシ目のウンカの近縁の昆虫と判明。カメムシの仲間ということで・・・セミやウンカ等と同じように、ストロー状の口を使って草や木の枝から樹液を吸います。
 成虫は、一見すると蛾のような姿をしていて、教えてくれた人が蛾の仲間といったのも納得です。

 ところが、その幼虫の姿を確認すると・・・確かにタンポポの綿毛そっくりな物がくっついてはいるのですが・・違う。オ・カ・シ・イ・・・・納得できない・・・。幼虫の姿を頼りに近縁種を探っていくと、見つかりました。アオバハゴロモ(青羽羽衣:カメムシ目 アオバハゴロモ科 Geisha distinctissima)の幼虫です。

 体を覆っている白い綿状のものは、幼虫の分泌するロウ物質。自分の体にも枝にもついているので、どこからどこまでが虫の本体なのか分別不能です。白は草原では目立つ色ですが、鳥などにしてみれば餌と認識するのが困難でしょう。外敵から逃れるためのみごとなカムフラージュになっています。近づいても、ほとんど動かない性質もカムフラージュの完成度を上げるのに役立っています。そして、さらに危機が迫ってくると、間一髪のところでピョーンとはねて敵から逃げるという、非常に合理的な対応をしているのです。
 成虫は、フィールドでよく見かける虫でした。青緑の羽で淡いえんじ色の縁取りがある美しい姿です。学名の「Geisha」は日本語の「芸者」にちなみます。美しい色合いからということではないかと思います。そして、この成虫も擬態の達人です。植物の茎に集団でとまっているとまるでバラのトゲです。トゲを食べたがる鳥はいないので、しっかり見えていても食べられないというわけです。

 翌日『小さな美』というネイチャーゲームを指導している時には成虫の姿を見ました。(もっともそのときは、同じ虫とは思っていなかったのですが・・・)この活動は、フィールドの中の小さなお気に入りをマウント(スライド映写用のフレーム)をセットします。アオバハゴロモの成虫を見つけて、マウントセットしようとすると、あわてて飛び立つ事もなく、よく見ないと見えないような短く細い足をチョコチョコ動かして微妙に位置を変えてゆきます。まるで、満員電車で後から乗ってきた人のためにスペースを確保しようとチョコチョコと位置をずらしている人たちのようです。トゲがじわーっと動いてゆくのを見るのも面白いです。

 樹液や草の汁を吸うので害虫ですが、通常では決定的なダメージは与えないようです。ところが、幼虫の時に分泌した綿状のものは、成虫になっても枝に残っていて美観を損ねるので、嫌われ者のようです。芸者にたとえられたり羽衣にたとえられたりと美しい物と思いますが・・まあ立場が違えば見え方も異なってくるということです。
 ちなみに、2週間たって又山田緑地に行くことが有ってもう一度見てみようと探してみましたが・・・もう幼虫はいませんでした。7月下旬から8月初旬にかけてのころが、ちょうど幼虫から成虫になる時期だったのです。そして、両方の姿を見ることができたわけです。
2008.8.20記

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